- Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480687807
作品紹介・あらすじ
友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。人と人との距離感覚をみがいて、上手に"つながり"を築けるようになるための本。
感想・レビュー・書評
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仕事で高校生と接していて、なかなか厄介な人間関係に巻き込まれそうになり、手に取りました。作者である菅野さん、すでに亡くなられていたんですね…そうとは知らずに読み終え、その事実を知り、内容をかみしめているところです。内容をたどりつつ感想を書いていくことが、誤解なく作品について伝えることができるのかな。なので、若干、ネタバレです。
いじめの原理「誰かをいじめるということは、今度はいつ自分がやれるかわからない(P89)」というのは分かっていたけれど、それを「殺人」とか「窃盗」の原理と合わせて説明してあるところは、なんだかしっくりきた。自分が殺したら殺されてもいいってことだし、自分が盗んだら盗まれてもいいってことだし、殺人も窃盗もいじめも倫理的にいけないじゃなくって、自分の安全を保障するためにいけないことなんだ。この視点はなかった。
そして、いじめっ子にありがちな、「出る杭を打つ」タイプの子への関わり方も印象的で。わたしは子どもは「無限の可能性を持っている」と思っているタイプで、だから、限界の提示というのは結構衝撃だったけれど、でも「無限の可能性」がネガティブに作用して、「僕ちゃんは無限の可能性があるはずなのに何で一位じゃないんだ!おのれ一位を奪ったやつめ!」となることもあるわけで、わたしは子どもが壁にぶつかった、その瞬間瞬間に対処法を身に着けていくものなのかなって思っていたけれど、やっぱりきちんと「常に自分が一位と思うなよ」と教えていく必要があるよね。そして天才にも、その能力だけに注目するんじゃなくって、社会性の部分を持ち上げて、自立した社会生活を送れるようにしてあげないといけない。それが、社会を知ってる大人の、大切な役割。
最近は、子どもに無限の可能性を訴えつつも、うまくいかなかった時の話なんかも一緒に考えるようにして、子どもがそれなりに生きていけるような力を持てればいいなって思ってる。
最後に、「コミュニケーション阻害語」(やばい、うざい等)のことが書いてあって、できるだけこうしたネガティブな言葉を使わずにコミュニケーションを取ることを勧めているのですが、個人的には、別にその言葉自体は使ったっていんじゃないかなって思ってる。子どもたちが逃げ場をなくして、それで人や自分を傷つけてしまうよりかは、吐き出した方がいい。ただ、相手はきちんと選んだ方がいいとは思うけれど。できればそれは親でも友達でも先生でもない、話を聴いて受けて止めてくれる大人、そういう立場の大人がいい。学校で言えばスクールカウンセラーさんのような。そしてそういう人が聴いてあげて、そこでやばいとかうざいに代わる言葉を見つけることができれば、きっと、彼ら彼女らは、自分と他者と社会とを区別して言葉を使えるようになると思うんだ。信頼できる他者になら、「やばい」も「うざい」も言ったっていいじゃない。上司やSNSで言わなきゃ、いいじゃない、と、個人的には思うわけで。ここが★-1の部分かな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
友人関係に悩む中学生たちに、何らかの一助を与えられればと読んでみた。
驚くことに、子どもの頃から周りの大人たちに耳にタコが出来るほど教えられてきたことが、この本の主旨。そんなわけで、てっきり古典の部類に入るかと思ったら、奥付けでは2009年の初版。
しかもこれが、今話題の本であるらしい。一体どういうことなのだろう。
内容を新鮮に感じる人には「もう10年も前」だろうが、私のような者にはその逆だ。
調べてみたら、あるTV番組の中で人気芸人が本書を推薦したことがあるらしい。
親しいひととの関係は大切だが時々重苦しく感じるという、多くのひとの悩みを解きほぐし別の視点を教えてくれるからなのだろう。
苦手なひと・嫌いなひとというのは、いて当たり前だし、だからと言って礼節まで欠くのは愚の骨頂。嫌いでも挨拶は欠かさず、ありがとう・ごめんなさいも忘れず。
そして一緒に何かする機会があったら、何事もないように淡々とこなしなさい。
そのうちに嫌いと思い込んでいた人の思いがけない美点を発見したり、思わぬ世話になったりするもの。そして好悪の感情に左右されていた自分こそがつまらない人間だと発見する。
そこからが、ひととしてのスタートだよ。
・・私が教わったのはそういうことだった。この場合、対象はひとでも仕事でも同様。
そして、その通りだったと今も心底そう思う。
本書の中では、これを「並存」「共在」と表現している。
無理に関わろうとするから傷つくのであり、「やりすごす」という発想をすすめている。
「私を丸ごと受け入れてくれる人などどこにもいない」のだから、他者と良い関係を築くためのソーシャルスキルを学ぼう、ということだ。
このソーシャルスキルは、何故か学校では教えない。著者もその疑問を呈している。
教師とてこのスキルの大切さを身に染みて感じている。
ところが、声に出しては決して言えない保護者からの「同調圧力」がある。
だから、心にもない「みんな仲良く」を教育目標に掲げざるを得ない。たぶん、それが現実ではないだろうか。
「幻想」に対して「幻想」で答えただけで、そんな教師を非難するひともまた、教師はこうであるという「幻想」にとらわれているだけ。
誰しもが欺瞞を好み、本音を言うと叩かれる世の中。
せめて大人はソーシャルスキルを身に着け、悩む子どもたちを助けられるようでありたい。
その大人の定義が、本書ではちょっぴりハードルが高いのだけれどね。
友だちが人生を楽しく豊かにしてくれるわけじゃない。
あなたの人生を楽しく豊かなものにするのは、外ならぬあなた自身だ。
比較するのをやめて、自分の人生を楽しく生きていくこと。その時きっと、良い友だちが出来る。楽しく生きているひとの周りには、ひとが寄ってくるものだから。
良い友だちには、いつも感謝を忘れないようにしようね、自戒も込めてそんなことを思う。 -
子どもの「友だち」のつながり方を知る。
再読。
〇「幸福」の本質的なモメント(契機)(p37)
契機・・きっかけ
①自己充実
☆が能力を最大限発揮し、やりたいことができる。
この状態いいよねえ。
②他者との「交流」
イ 交流そのものの歓び
☆例えば恋人同士、母と赤ちゃん
一緒にいるだけでOKな関係。
ロ 他者からの「承認」
☆人から何かを認められる。
なぜいない人の悪口をいうのか
〇これは、第三者(=ここにいない、私とあなたとそれ以外の人のこと)を排除することによって、その場の「あなたと私の親しさを確認しあう」ということなのです。(p48)
☆でも、これをやってしまうと、今度はいつ自分が排除される側になるか分からない。だから不安の増幅につながる。
「ルール関係」と「フィーリング共有関係」
〇「ルール関係」というのは、他者と共存していくとき、お互いに最低限守らなければならないルールを基本に成立する関係です。(p80)
☆学級の基本はこれでよいという教師のおさえが必要。行事の時になかよくするのはOK。協力、一致団結、アリだが、基本はここ。ルールと自由はワンセット。ルールがあるから、それ以外は自由と言える。
〇そして「秩序性」というものは、最低限のルールをお互いに守ることの中から、結果として出てくるものです。秩序正しさそのものを目的にすると、人々はより多くの自由をがまんしなげればならなくなり、息苦しさが増してしまいます。(p88)
☆基本は「盗むな、殺すな」社会のメンバーの生命と財産をお互いに尊重する。自分が盗まれたり、殺されたりしないために。でも、殺されてもいいと思っている人はどうなんだろう。適用できないね。
〇ルールを決めるときには、どうしても最低限これだけは必要というものに絞り込むこと、「ルールのミニマム性」というものを絶えず意識することが重要です。(p92)
☆積み重なってきたルールがあれば、いるものといらないものに分ける。あと、ルールに対する感覚の違いも知っておく。ルールを守るのが苦でない人もいる一方で、ルールが嫌いな人もいる。確かに。 -
親友だけでなく家族も極論的には他者である。
自分のことをすべて理解してくれると思い込んでいたら人間関係は成り立たない。
社会人20年くらいだってこのことに実感するのだけれども、中高生にはほんとに理解しずらいだろうな(大人になっても気づいていない人は沢山いる、、、)
解決策はこの本の中でも言っているが、様々な人と対話できる読者が役立つと思う。他者の意見を知ることで、それは自分を知ることにつながり、あらためて他者の存在をリスペクトできるようになると思う。 -
新聞の書評がきっかけで興味をもった本です。
「一年生になったら、友だち100人できるかな」という歌に象徴されるように、学校とは「みんな仲良く一つになる」という「幻想」が強調される場所である……という本書の趣旨紹介の、「幻想」という言葉が衝撃的で。
本書は、社会学者である著者が、学生や若い読み手に向けて、人間関係を築くうえでの考え方の基礎を、社会学の手法をベースにひも解いた本です。
友人、教師、学校、親、そして自分自身といかに付き合うか、悩みの根はどこにあるか、具体的な社会現象やエピソードを織り混ぜながら、平易な言葉で整理されています。
若い読み手に向けて書かれた本ですが、自分の環境におきかえて読むことで、はっとさせられた記述がいくつもありました。
例えば、[先生]は[生徒]の記憶に残らなくてもいい、という一文。
その理由は、先生が生徒の記憶に残ることを求めすぎると、過剰な精神的関与や自分の信念の押し付けに走ってしまう恐れがあるから、というものなのですが、私の場合は[担当者]は[顧客]の記憶に残らなくてもいい、と読み替えて、頭を割られたようなショックを受けました。
なんだかんだ、しょっちゅうしんどいなーと思いつつ仕事をしているのですが、大河ドラマと半沢直樹を足して割ったような謎の武勇伝(理想的な職場で仲間と一丸となり熱い思いでつき進んで成果をあげる……みたいな)を思い浮かべ、それと比較して一人でモヤモヤしていた部分があったのかも、と。
具体的ではないからこそ、お化けのように自分の回りを漂っているという点で、「幻想」という言葉が本当にぴったりだと思いました。
同質的な共同性は幻想であることを前提に、自分以外の人間を他者として認識すること。
自分の限界を知り、人生の苦味をうま味に変えて味わうことが、人間をルサンチマン(恨み、嫉妬といった負の感情を表す言葉。ニーチェがその思想において焦点をあてた)の淵に沈んでしまうことから救ってくれること。
学生時代にこの本を読んで、これらの知識を得ていたら、もう少し痛々しくない青春がおくれたかしら。。。
いやいや、大人になったいま読んだからこそ、身にしみるんだと思います。
竹田青嗣さんのものをはじめ、面白そうな文献も文中でたくさん紹介されているので、また機会を見つけて読んでみたいです。 -
人間関係について改めて考え直すことのできる本でした。高校生にもおすすめです。
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帯の部分に、「みんな仲良くに苦しんでいる人に」とあるように、社会学者である著者が「人と人のつながりを考える」本です。
日本の若者の特徴として、諸外国と比較して自己実現の意識は低く、友人重視指向の傾向が突出して高い。
にも関わらず、人とのつながりをどのように築き上げたら良いのかと悩んでいるとのこと。昔は様々な事柄が「人は1人では生きられない」という社会だったが、現代は「人は1人でも生きていけるが、1人だけではなんとなく空しい」社会であると述べています。
今の若者はLINEの返信の速さで親密度を図るなど「同調圧力」が強く、楽しい時はいいが息が詰まると感じている若者も多いとのこと。いちいちなるほどと思いました。
最も私に響いた言葉は「大人になるということは、人生の苦味を味わうことを通して味わううま味を経験できるようになるということ。」
つまり、仕事においても人間関係においても難しいことにチャレンジして乗り越えた時に感じる気持ちということです。そのために親や教育者は苦手な人とは距離を置いて良いけど、そればかりではダメだよと他者との距離感を学ばせる責任があるということであった。
教育担当として若いスタッフと接することが多く、「職場は学校じゃねぇぞ。人との接し方くらい学生のうちに学んでこい」と思っていましたが、若手を取り巻く環境も違うんですね。今後の接し方の参考となりました。
人間関係に悩む若者や悩む子を持つ親や教育関係者にオススメの本です! -
「みんな仲良く」出来ないことは、大人なら薄々気づいているような気がする。なのに、子どもにはそれが出来るんじゃないかと思ってしまう。大人側の幻想が問題かもしれないと思いながら読んだ。
大人も子どももだれが読んでも、なにか心に響く部分がありそうな本。面白かった。
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人との関わり方に悩む現代人へのバイブル。
時代が変われば人付き合いも変化しなければならない。互いに傷つけあったりしない為に、ちょっとしたマナーを心がけて距離感を保ち、無理しない他者とのつながりを持つ方法を提案している。
筆者のメッセージは、友達関係に行き詰まって身動きとれなくなっている若者だけでなく、親子関係、会社の人間関係に悩む大人にも響く分かりやすいものになっている。子供の論文の参考にと購入したが、良い本に出会えた。