- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480818560
作品紹介・あらすじ
チェーン店やアウトレットに負けずに、個人で商売を続ける店を訪ね歩く。食料品、衣類、銭湯…。老舗、家族経営、たった一人での開業など、人と店に歴史あり。
感想・レビュー・書評
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地元に根付いたさまざまな個人商店を取材した話がまとめられた1冊。
子供の頃はこの本に出てくるようなお店が軒を連ね、商店街を成していた。今やチェーン店に押され、次々とシャッターが下ろされて行く中で郷愁深く読んだ。
どこでも同じものが手に入る便利さも必要かもしれないが、職人肌の人がプライドを持って仕事をこなすこのような個人商店が復活して欲しい。
…が、今の崩壊した資本主義では無理かな…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトル通り「個人商店」が18軒。
自転車屋さんや靴屋さん
時計屋さんなんかは主が「職人」だ。
お肉屋さんに魚屋さん
青果店の主たちは自分の目利きで
お客さんに喜んでもらうのが楽しそう。
魚屋の店主の
「(仕入れに)年は関係ないじゃない」
なんてセリフにしびれる!
霊園で仏花やお墓参り道具を扱うお店の話
ちょっとめずらしかったです。 -
2023.1.14市立図書館
PR誌「ちくま」連載(2018〜2020)の書籍化。地元で長く愛されているような個人商店18軒を訪ね歩いて取材したレポートで、連載時にずっとおもしろく読んでいて、単行本になったらもう一度読み返したいと思っていたが、丸二年過ぎてようやく手にとった。
実家もちょっと変わり種の個人商店だったので(平成から令和になるタイミングで店じまいし、その父ももういない)、いろいろと思うことは多い。
ここに登場するお店と店の人たちはどれもこれもそれぞれにすごい歴史を背負っていて印象深い。とくに巻頭の佃煮屋「中野屋」のおばあちゃんのインパクトがすごくて、つかみはばっちり(目次は連載のときと順番が変わっているので編集の妙)、次に出てくる鶴見のお肉屋さんぐらいは遠くないのだから行ってみたいものだけど、一冊読み終えていちばん忘れ難いのはやはり雑司ヶ谷霊園の花屋だろうか。花を売るだけでなく墓所の管理全般に携わり所有者との付き合いがあること、仏花の作り方・・・目から鱗というか、あるところにだけ細々と伝わっている文化の豊かさに痺れ、そしてそれをさらについでゆく存在がどんどん先細って遠からず失われる(2020年の刊行時はまだ全店健在だったとあとがきにあるが、それ以降の数年ですでに失われている恐れもある)ことを思ってやるせなくなる。この花屋に限らず、後継者がない、デジタル対応できないなどの絶滅危惧事情はあちこちの回でも言及されていたことではあるけれど(まれに後継者に恵まれた店もあるけれど、生き延びるとしたらあれこれスタイルを変えながらになろうし)。
遠からずちくま文庫になったときにそのあたりの消息を聞くのがいまからちょっとこわい。
追記:雑司ヶ谷霊園の花處住吉は2021年3月末で閉店したらしい。ああやはり・・・こういう記録や記憶が残されていて読むことができるのがせめてもの慰みか。 -
著者が東京周辺の気になる個人商店を訪ね歩き、店の歴史や店主の想い、商売の心意気などを聞き取った記録。
昔ながらのレトロなお店を紹介する本は、お店の苦労をよそに無責任に讃えていたり、ちょっと上から目線の書きぶりだったりするものも多くて、あまり読もうと思ったことがなかった。
本書を手に取ったのは、商店街の将来について考えている本なのかと勘違いしてしまったからだ。パラパラと見てみるとなじみのない東京周辺のお店ばかりで、選書を誤ったかな、と一瞬読むのを躊躇したが、一度手に取ったからと読み進めていくと、予想に反しておもしろかった。
インタビュー当時50代後半という著者の年齢も関係しているのだろうか。個人商店が当たり前だった生活をリアルに知っている世代であり、お店の人も話しやすかったのだろう。あらあら、こんなことまで、というお茶目な話をするすると聞き出している。硬めのノンフィクションも書いておられる著者だが、本書が雑誌の連載企画をまとめたものということもあり、著者本人の心の内もちょいちょいはさまれて、まるで一緒に話を聞いているような気持になる。
「絶滅危惧」というタイトルの通り、取り上げられているお店は、周辺環境の変化や店主の高齢化、再開発による立ち退きなどの理由により近い将来なくなってしまう可能性が高いものも多いが、長いところでは100年続く個人商店の話は下手なビジネス本よりも奥が深い。
個人的には、昔ながらのスタンスを維持しながら上手に世代交代し、今でも堅実に経営している神田神保町のミマツ靴店の話が特に興味深かった。
戦後、靴の大幅な需要にこたえるため安い靴を大量に売っていた時代から、少しずつ高級靴にシフトしていったミマツ靴店。帰宅難民の女性が歩きやすい靴を求めてお店に駆け込んできた東日本大震災以降、「足にやさしい靴」を打ち出し、婦人靴のセレクトにも力を入れることになったのだそう。時代に合わせて売り物を少しずつチェンジしながらも、お客さんの足を見て直観的に靴を合わせてくれる目利きのすばらしさが、現在も続くお店の繁盛につながっている。
以前デパートで売り場の人に乗せられてデザイン性の高い靴を買ったものの、足が痛くて数えるほどしか履くことができなかった苦い経験がある。ミマツ靴店のようなお店が近くにあれば私も常連になる。
優れた技術に裏付けされた経営を行いながら近所のおばさまがたの憩いの場にもなっている須田時計眼鏡店、質屋の家業を現代に合うようアップデートしながら経営している谷口質店など、他にも魅力的なお店がたくさん紹介されている。古くから続くお店だからこそ、戦中、戦後の話も多く語られていて、今の日本のあり方についても考えさせられる。
家の近所に創業が大正時代だという時計店があるのだが、一度足を運んでみようかな。 -
老舗のこじんまりとした個人商店を取材した本。
とても暖かな気持ちにさせてもらえる本です。
見習うべきところがたくさんある。頭が下がります。
とても寂しい気持ちにもなる本です。
タイトル通りこう言う心意気のあるお店が生き残りにくい現代社会。実際に今はもう閉店して無くなっちゃったお店もあります。とても残念。どうしたら守れるのか。と言いつつネットショッピングをついつい利用してしまう自分も反省。
これの関西版出して欲しいです!! -
思えば昔は個人商店ばかりでした。いつのまにかチェーン店や大型店だけになってしまいました。とはいうものの、じゃあお前は個人商店を利用しているのか?と言われると・・・。
そんな昔ながらの個人店舗を丁寧に取材したルポです。 -
著者は独特な言い回しをする人。これはちょっと表現しにくいので、読んでみてほしい。ただ「~と聞こうとしたが、思い直した。」とか「~と思ったことは胸に秘め」とか頭の中の言葉がサラッと書かれている。まぁ、エッセイなので当たり前なのだけれど、どこかユーモアが漂う。
ユーモアといえば、あるレトロな銭湯に取材に行って、体を洗うのに鏡の前に映ったご自分の姿に「おぞましい」と驚く場面は、クスリと笑えた。さらに周りの人も自分と変わらない、と安心するところがさらに笑えた。
おもちゃ屋さんで子供が文房具を買うのに、かわいい財布から小銭をまじえてお金を出す場面で「限りあるおこづかいから捻出したんだろうなと、うるうるする。」に自分も子どもの頃を思い出してうるうる……。
実はちょっと前に、レトロな商店街についての写真集を見たので、本書で記述での商店街を知って、より理解しようとした。これは当たり。著者の井上さんも「あとがき」に触れているが、登場するすべての店主は、矜持というかプライドというか「気高い商い」をしている。
ある文房具屋さんの、お客さんの要望に手取り足取り応対する姿は”コンシェルジュ”だ。単なる流行りの店や、ましてネット通販じゃこうはいかない。
店名は記されていないけど、魚屋さんの女将さんは仕入れに行くのにダッシュしていく。公共交通機関を使っていくからだが、なんと「御歳八十オーバー」。そもそも市場が築地から豊洲に移転したからだが、だからといって店はたたまない。そして肝心の商品の値段は安い。
古本屋さんの主人の言葉に「商売、遊ばなきゃ」とあるが、確かに店主たちはどこか楽しんでやっているところもあるだろう。それがちゃんとお客さんに反映しているのだ。
商店街のお店がほとんどだが、ちょっと変わったお店も登場する。でも、よく考えればタイトルが「個人商店」で「商店街」ではないから。霊園の中にあるお花屋さん。ここの「旦那さん」の経歴でまさに”人に歴史あり”と思った。なんと、もと踊りの師匠でもあって本格的な舞台にも立っていた(女性言葉なのも頷ける)。取材時は高齢のためほとんどを従業員に任せている。
この従業員の男性がとても面倒見の良い人で、井上さんが跡を継いだら、と勧めると……。けっきょく断るのだが、その訳がなかなかシビア。仕事が好きだからこそなのか、この人の性格なのか?自分の”職場”がいずれ無くなる、ときっぱり言う場面は、悲しいけど「気高い商い」が無くなってゆくんじゃないか、とちょっと暗い未来を想像してしまう。しかし真っ暗にならないのは、先ほど書いた文章のユーモアと、独特な言い回しおかげ。 -
2022年7月13日読了