アクロイドを殺したのはだれか

  • 筑摩書房
3.66
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480837110

作品紹介・あらすじ

アカザ・クリスティーの代表作として、またミステリー史上最大の問題作として知られる『アクロイド殺害事件』の犯人はその人物ではない-文学理論と精神分析の専門家バイヤール教授が事件の真相に挑戦、名探偵ポワロの「妄想」を暴き出し、驚くべき(しかし十分に合理的な)真犯人を明らかにする。「読む」ことの核心に迫る文学エセーとしても貴重なメタ・ミステリー。

感想・レビュー・書評

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  • アクロイド殺人事件の犯人があまり納得いかないのでこの本を手に取ってみた。

    まずアクロイド殺人事件の話全体のあらすじが語られて、次にアガサ・クリスティの作品を例にとって、推理小説のセオリーの説明に入った。つまりこの本はネタバレがたくさん。

    ペイトン犯人説とキャロライン犯人説のふたつがこの本ではあげられている。
    恐喝の件が無かったら前者が有力だけど、シェパードが恐喝の犯人で、キャロラインが殺人の犯人という後者の説が、実際の「アクロイド殺し」の結末よりも納得できる。

    最後に作者による答え合わせ(いわゆる「真実はいつも一つ」)があるのが、推理小説の良いところでも、退屈なところでもある。
    この本はそんな推理小説の読みに関して、新たな可能性と提示するものだ。
    もしかしたらコアな推理小説ファンにとっては、こういう読みはよくあることなのかもしれないけど、最近になってはじめて本格的な推理小説に少しずつ触れるようになった身にとっては新鮮だった。

    でもこれはどんな推理小説でもできることではなく、アガサ・クリスティの作品が単なる娯楽小説としての推理小説に収まらず、文学的な価値がいくらかでもあるので可能な読みかもしれない。

    「推理物語をモデルとして援用することで、フロイトは読者主体と創造的読解の可能性をなおざりにしたのである。謎についての回答はひとつしかないとされるとき、解釈者の役割は必然的に軽視される。解答は解釈者の介入に先立って存在すると考えられ、したがって解釈者にはそれを「創造する」ことではなく「見つけだす」ことが求められるからである。そこで解釈者に残されている主体としての、とりわけ言語主体としての役割は、すでに記されていることに耳を傾けることであるにすぎない。それはいまだ知られていない意味を創出することではないのである。」p.151

    「妄想を特徴づける第一の要素は、「妄想が現実との間で結ぶ偽りの関係」である。もっと簡単にいえば、妄想する者はものごとをあるがままに感知しないということだ。

    この現実の偽造は、どのようなかたちをとろうと、妄想体験の中心にある。フロイトが明らかにしたところによれば、精神病は妄想が顕著に表れる領域であるが、それは現実の知覚を変えようと試みる点において神経症と区別される。耐えがたい現実を前にして、精神病患者はもっと受け入れやすい新事実をもってそれに変えようとするが、神経症の患者の方はむしろそれを無意識の中に抑圧しようとするのである。」p.154

    「フロイトによれば妄想は、狂気であるよりも、反対に「狂気に秩序をもたらそうとする試み」である。妄想を抱きはじめるということは、神経病理学的プロセスのうちにあっては、心的生活のもろもろの断片を別の仕方で取りまとめること、意味づけの作業に取り掛かること、したがってある意味で一種の理論化に入ることなのである。しかも妄想をこのように考えることは、それを部分的に狂気から切り離し、反対に一つの治癒の試みとして理解することにもつながる。

    妄想をこうした視点からとらえるならば、つまり「意味喪失としてではなく意味づけの作業として」とらえるならば、妄想と理論は、根本的に対立するどころか、同種の思考態度に発しているということがわかる。この思考態度は、主体の原初的な問いかけの中にそのアルカイックな起源を持ち、さまざまな――また文化的に多様に評価される――心的現象を生み出すが、しかしそれらの詩的現象にはときとしていくつもの類似点が見られる。」p.174

  • 2020.8.28読了。
    図書館で借りたもの。

    途中精神分析論に動いた感じがして、あれ?と思ったけど、概ねおもしろく…
    キャロライン犯人説、シェパードにキャロラインをかばわせた説…
    個人的にはなしな説ですが(笑)、その論法はすごくいい!
    読後感として、良かった1冊でした。

  • アガサ・クリスティーの推理小説『アクロイド殺人事件』をピエール・バイヤールがもう一度推理し直す、、という推理小説を推理する一冊である。

    実際、アクロイド殺人事件に触れるのは、本書の半分くらいだと思われるが、他の推理小説を多く引用しており、バイヤールの主張が確固たるものとなっている。

    推理小説の作者に、読者は踊らされていると言っても過言ではなく、私たち読者は上手くまるめくるめられていると気づいた。
    改めて、推理小説の作者がすごいことを知るとともに、小説の不確実性を強く知ることとなった。

    読後、とてつもなくミステリー、推理小説を読みたくなる。けれど、もう以前のようには単純に楽しく読めないのかもしれない、
    が新たな視点を持って読めそうだ。

  • 同著者『シャーロック・ホームズの誤謬』の上に重ねたまま読んでいたら、読みさしで下の本の栞を挟もうとしてしまう。この行為が、2冊の本のテーマそのものという感じがして面白い。上は筑摩書房、下は東京創元なのだが、表紙が黒×赤、栞も赤と深紅で近い感じ(にしてくれた?)でお洒落。

  • かの有名なクリスティーの名作「アクロイド殺人事件」の、作中でポアロが指摘した犯人とは別に真犯人がいるのではないか、という話。
    途中、ポアロの推理の問題やトリックの無謀さを指摘するあたりまではワクワクしながら読み勧めていたが、後半にフロイトの名前が度々出てくるあたりから雲行きが怪しくなってくる。
    本書はABCDの4章から構成されているが、純粋な謎解きの爽快感を味わいたければCは丸々読まなくてもいいかもしれない。

  • フィクションにおける真相を疑うという、ひねくれ者のようで哲学のようでもあり。クリスティ作品のネタバレオンパレードにつき、クリスティは一通り修めた、という人にしかおすすめできない。しかし、この条件を満たし、再読したいが分析的に読書するのに尻込みしている、私のような半可通にはもってこいの一冊。後半の妄想に関するフロイト論は冗長か。

  • 作中で解き明かされた真実に対して、異なる真実を提示する
    ミステリーにおいてこれほど興奮する体験はないと思う

    この本はその一例であり、これを機に他のミステリーにおいても異なる真実の提示が可能でないか検討してみたいと思う

  • かつて推理小説を読み耽った時代があった。エラリー・クィーンから始まり、ヴァン・ダイン、ディクスン・カー等の作品はすべて読んだ。所謂本格派の黄金時代の作品である。そんな中でアガサ・クリスティーの作品にだけは、謎かけと謎解きの勝負をともに戦った者同士、買っても負けても最後に互いの健闘を讃え合って握手して分かれるといった爽快感を読後あまり感じなかった。殊に『アクロイド殺害事件』がそうだった。その後、クリスティーを読むのをやめてしまったほどに。

    本格推理小説というのは、厳正なルールの上に成り立つ知的遊戯性を持つ。それゆえに、ヴァン・ダインの二十則が有名だが、たとえば、「謎を解くにあたって、読者は探偵と平等の機会を持たねばならない。すべての手がかりは、明白に記述されていなくてはならない」などのように作者と読者の間に暗黙の契約が成立している。読者が注意深く論理的に読むならば、犯人を捜し当てることができるように書かれているのが推理小説だったのだ。

    クリスティーは特異な作家である。本格派の推理作家であるくせに、ルール違反すれすれの境界侵犯をわざとしてみることに快感を抱くようなところがある。「アクロイド殺し」の場合が、その最も顕著な例にあたる。作家はここで、ヴァン・ダインの二十則にも触れない新手を開発したのだ。有名な作品なので許されると思うが、もし未読で、犯人を知りたくない人は、ここまでで止め、原作を読んでから戻ってもらいたい。

    アクロイド殺しの真犯人は、語り手である医師ということになっている。読者が話者に寄せる信頼という盲点をついた、この前代未聞の作品は賛否を二分した。私も正直言ってだまされた気がした。同じ思いをした人も多いのだろう。多くの人が、アクロイド殺しについて言及している。しかし、この本は、語り手=犯人という解決をアンフェアだと責めるそれまでの論調とはちがう。医師が犯人である妥当性を疑い、残された手がかりをもとに隠された真犯人をあらためて捜査するという画期的な作品である。

    名探偵エルキュール・ポワロを相手に一歩もひけを取らないどころか、分析療法の実践家でもある著者は、恣意的な証拠集めをもとにしたポワロの推理を「妄想」と断じる。もともと、フロイトのエディプス・コンプレックスについての理論が、「オイディプス王」という推理小説風の謎解きドラマを援用することで成立したように、精神分析と推理小説は縁が深い。妄想と理論は通底しているのだ。

    「受容理論」という文学理論がある。作品は読者に読まれることによってはじめて完成するという考えに立ち、読者のテクストへの参加を必須とする。バイヤールはどうやらこの考えに立つものらしい。推理小説はもともと読者の参画を期待して書かれている。ただ、読者の求めるのは唯一正しい解決の道筋であり、作者のミスディレクションもまた唯一の真理に読者がたどり着けなくさせるための努力である。真犯人は一人であり、その意味でテクストは閉じられている。

    バイヤールの功績は、その推理小説の閉じられたテクスト性に忠実に動くことで、逆にテクストの綻びを暴き、クリスティー作品に隠されている読者の自由な読みを許す「開かれたテクスト」性を発見していくところである。著者の挙げた真犯人はなるほどと思わせる人物であり、そこに至る論拠も充分に説得力を持つ。その意味でこの書は一つのメタ推理小説として読むことも可能である。

    バイヤールの方法を用いることで、このジャンルの保持していた「閉じられたテクスト」性は崩壊してしまうだろう。しかし、テクストと自由に戯れる知的遊戯に満ちた空間の現出は新しい文学的地平の登場を予感させもする。バイヤールにはクリスティーを論じた本書のほかに、プルーストやラクロ、モーパッサンを論じた作品があるという、邦訳が待たれる所以である。

  • アクロイド殺人事件の真犯人を探す、ということが主旨のいわゆるメタミステリ。クリスティの他の作品のみならず、フロイトなどを引用し、小説上で「語られない」部分を浮き彫りにしていく。小難しい理論が多く出てくるが、予備知識なしでも読めるように分かりやすく書いてくれてるのも◯。ただ、アクロイド殺人事件そのものは読んでおいた方がいいのは、言うまでもない。

  •  最初からこういうのは何だけど、こういう本を出版して売れるのかなと思ってしまった。もちろん「アクロイド」といえば、アガサ・クリスティのあの名作である。この本、あの作品の「真犯人」を見つける、という趣向が全面に出ていて、まあ僕自身それに惹かれて読んだのだけど、果たして「それに惹かれて読んだ」という人が、この広い日本に何人いるのか、他人ごとながら不安になってしまったのである。
     真犯人探し、おもしろかった。同じクリスティ作品に関する「真犯人探し」には、「名探偵に乾杯」という日本の傑作があるが、それに匹敵するおもしろさであった。が、この本は実はミステリ評論ではなく、文芸評論であり、この「アクロイド殺人事件」というミステリの、ある特色に注目し、それを論じることによって文学の、特に「視点」について論じているものである。実は、その部分がおもしろい。とても知的好奇心を刺激する文章であった。

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著者プロフィール

1954年生まれ。パリ第八大学教授(フランス文学)、精神分析家。『アクロイドを殺したのはだれか』、『読んでいない本について堂々と語る方法』等、多くの著作がある。

「2023年 『シャーロック・ホームズの誤謬』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ピエール・バイヤールの作品

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