つぎはぎ仏教入門

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480842961

感想・レビュー・書評

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  • 仏教のそんなところの疑問を明確に説明してくれた人や本はないな。大乗非仏説。輪廻と魂の有無。自己と無我。先祖崇拝と仏教。後世に創造された大乗経典。などなど。

  • 仏教のエッセンスが簡潔にわかる。その上で、「現代は自我が肥大化した時代であるからこそ、我執を捨てよととく仏教の意義は大である」とまとめた最終章もおもしろかった。

  • まじめに葬式仏教やりましょう、と仏教の本来を釈尊に求めるのと、上座部と大乗とその後の日本仏教とを一冊に詰め込んである。

  • 第1章 宗教とは何か
    第2章 仏教はどういう宗教か
    第3章 釈迦は何を覚り、何を説いたか
    第4章 仏教の発展と変容
    第5章 仏教と現代

  • 仏教系の本を自分もいくつか乱読雑読してきた手前、それら本と同じで解説本のたぐいかな。借りたけど読まなくていいかなと思っていた。

    しかしながら、いざ読み始めると違った。鮮やかな切り口とスピード感をもって、かつどの宗派(書中「祖師仏教」)にも依らず解説されている。無用に一所に止めて解説されることもなく、スッと読めるので、興味が広がった人はある意味他で補う必要があるか。あんまり順序よく

    入門といいつつも各宗派がどんなんかも分かってないと読めない部分もあるので、立ち返るべき一冊とも言えるか。

    檀家としてとある宗派にある身ではあるが、それを考えさせられた。供養も執着なんだろうけど、バッサリ行くにはこれまたしんどいので薄めていく力添えが宗教の役目なんだと思っているところもあるので、切れずとの関係でもあると思う。

  • 著者が、あくまで知識を中心としてとして(信仰心はもたないまま)仏教を理解し、解説しようとする姿に好感が持てる本。

    あとがきに書いてあるが、周りの友人があまりに仏教のことを知らないので、専門が儒教の筆者が書いた仏教の解説書であり、そのうえで事実や研究、歴史などを通して、仏教の違いなどを明確にしている。体系的に学んでいないこともあり、書名の「つぎはぎ」という表現になっている。

    まったくもって個人的な意見だが、日本人はキリスト教やイスラム教についてはいろいろとダメ出しや意見をすることが多いが、実は仏教には興味をもっていないことや土着宗教化して意見がないような気がする。その意味では、足元をもう一度確かめるためるには良い本だと思う。

  • 「仏教は哲学なんです」
    こんな事を聞いてから、そのあといろんな人が仏教を口にするもんだから仏教に興味を持った。
     確かにブッダが悟った事柄は哲学的だけど、今身の回りにある仏教観は哲学な感じはしない。輪廻転生とか極楽浄土とか。
     どうしてかと思っていたら、これはインドから日本に伝わる中で哲学が宗教に変わったということらしい。
     私の知る限り、宗教は人間が死の恐怖から逃れるために人間が作り出したものだと思う。じゃあ、仏教の生みの親ブッダは死の恐怖にとらわれる人々を端から眺めて、何を悟ったかというと、
    「怖がっても怖がらなくても必ず死ぬ、生まれ変わりとかあの世とかは無い」
    と悟り、そんなどうでもいい事は気にしなくなったそうな。
    厳密に言うと、有があるから無がある訳で、ブッダはそのどちらの唯物性をも否定してただの現象だとしているらしいけど、詳しくはよくわからない。要は自我がもたらす恐怖とか欲望とかから解放されたらしい。
     だがしかし、一般ピープルにそんなこと言っても何の救いにもならないから、ブッダの没後、後世の人々が仏教を宗教チックにアレンジしたらしい。死んでもどこかに行けるから信じて、と。

     ブッダみたいに必死に考えて悟れば幸せになれるの?とか思ったけど、仏教の目的は「悟り」なんで幸福を求める自体筋違いだなと気づいて、どのように生きても死ぬということには変わりはないのに、私という自我は何をジタバタしているのかと気が抜けるのです。

  • 読み易く、解りやすい。釈迦の教えがなんなのか、その後仏教がどう変遷していったのかが、よくわかる。仏教が『覚り』の宗教なのは分かっていたけど、『覚り』って何なのか?どうすれば『覚り』を得られるのか?我執を捨てれば良いのかい?うまいもんも喰いたいし、勿論、人生はエンジョイしたいし、釈迦が自分の教えは衆生には理解されないからって思ったのはもっともだよね。凡夫は救われないね。

  •  仏教の宗祖は釈迦、しかし釈迦は「お経」など残さなかった。仏像を拝む習慣もなかった。では、釈迦の教え=仏教の確信はなんなのか、ということがテーマ。
     仏教をほんとうに勉強した人からは、本書のように「大乗・小乗」で切り分けること自体がすでにアウト!らしいが、素人の身としては理解しやすい。日本の仏教にはあまりいいイメージがない自分ではあるが、著者の解説する「初期仏教」はなかなかスッキリとして魅力的だと思った。それは、「覚り」の教えであり、輪廻を含む迷妄から脱するための現実的なノウハウである。「神のもとで永遠なる命が得られる」なんてとんでもない、「我はそもそも有限であり、我はそもそも実態がない」と説く。ああ、なんてスッキリ! 
     「あまりいいイメージがない」のは、仏教についてではなく、仏教をとりまく制度や人間が気に入らないのだな、と明確にできただけでも、読んでよかった本。

  • 仏教徒ではない著者があくまで知識という観念で仏教を解説する本。
    仏教の本は初めてだったので、詳しく書いていきます。

    著者は仏教は釈迦の時代では仏像もなく経典も無いことに、気づかない事、それをあえて伝えない日本仏教界を批判している。
    また、仏教は現代の弱点を克服できる可能性を持っているとする。

    仏教とは、事故が覚ることを目的としている、極めて論理的な学問ともいえる宗教だ。釈迦の言うそれは初期仏教といい、数や九年後、初期仏教の流れをくんだ小乗仏教、大衆向けの大乗仏教と別れ、更に地域ごとにさまざまな枝分かれをした。
    著者は初期仏教を知った上で諸々の宗派を知るべきだと説く。初期仏教を純金の指輪にたとえ、派生した宗派を純度10%だったり、20%だったりの指輪と考えたらいいという考え方だ。後世になるほどややこしく、教理と離れ、一神教化していると批判する。

    現代において世俗主義にはっきりと対立できる思想は宗教のみ。ただ、それに怠惰な因習と化した日本現代仏教は力不足であり、初期仏教の本分に立ち返らない限り、対立は不可能だ。
    基本的に著者は最も古いといわれる「阿含経典」を推している。

    「愛」は現代日本を悪化させている。西洋から渡ってきた概念であるが、キリスト教的価値観で土台が作られていない日本では愛は即、執着へと変貌し、醜いものへと変わる。愛=慈悲である。そう考えなければ、空虚な愛が更に日本人を蝕んでいくことになる。

    また、自我が肥大していると言う。自己愛とも撮れ、本当の自分を強迫観念のごとく求めようとする。自我を捨てる事を目的とする仏教は、ひとつの答えになるのではないだろうか。

    ただ、初期仏教は、資本主義とあまりにも相性が悪い。釈迦自身、出家した乞食のような存在だ。そんな乞食ばかりの国が成り立つはずも無い。問題は多い。


    著者が言いたいことは、今の仏教界は初期仏教に立ち返り、今こそ現代の闇を払拭する力を発揮するべきだ、ということである。
    仏教にはとてつもない力が秘められている。それを仏教界のみならず、ひとりひとり考えていこう、と提唱する本である。

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著者プロフィール

評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。

「2021年 『死と向き合う言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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