- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488206062
作品紹介・あらすじ
母が亡くなり、叔母の住むジャマイカ館に身を寄せることになったメアリー。だが、荒野のただ中に建つ館で見たのは、昔の面影もなく窶れ怯えた様子の叔母と、その夫だという荒くれ者の大男だった。寂れ果てた館の様子、夜に集まる不審な男たち、不気味な物音。ジャマイカ館で何が起きているのか? 『レベッカ』「鳥」で知られる名手デュ・モーリアが、故郷コーンウォールの荒野を舞台に描くサスペンスの名作、待望の新訳決定版!
感想・レビュー・書評
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父亡き後、母子で農場を経営していたが、母が亡くなり母の妹の住んでいる「ジャマイカ・イン」に身をよせよ、との母の遺言でコーンウォルのボドミン・ムーアにやってきた23歳のメアリー。叔母の夫は荒くれ男で、ある夜になると怪しげな男たちが集ってくる。どうやらよからぬ事をやっているようだ。叔母は昔の輝いた面影は無く夫に怯えて暮らしている・・
舞台はコーンウォル地方。メアリーの住んでいたのは、ヘルフォード。トゥルーロで馬車に乗り、ボドミンの町を過ぎ、ボドミン・ムーアの「ジャマイカ・イン」でメアリーを降ろすと、ランソン(ローンストン)の町を目指して馬車は去ってゆく。地図を見ながら読む。コーンウォル地方の東はデヴォン州で、クリスティの住んだトーキーがあり、そこにもダートムーアがある。デュ・モーリアはコーンウォルに住んでいた。ムーアの描写で泥炭の中に湖というか沼地が点在し、霧がたち、知らずにそこに足をとられると沈んでしまう、とあった。表紙の絵よりもっと陰鬱な気配。
ムーアの中で前に進むメアリーの強さに惹かれる。叔父の弟ジェイミー、不思議な雰囲気の牧師フランシス。どちらにも少し惹かれるメアリー。隠し持った意図が現われた時・・
最後は最初の描写で匂わされた通りの人と進む。よかったなあ。19世紀の話。
1939年には「Jamaica Inn (邦題:岩窟の野獣)」としてヒッチコックにより映画化された。解説によると、展開が原作とは違っていて、メアリーは治安判事の家に立ち寄ったあとジャマイカ館に到着。その夜悪党が騒ぐ様子を窺い、叔父の正体を知り愕然とし、吊るし首にされた男を助け、その男と逃げ出し追われる身となる。原作では暗示するロープだけ。だが映画で二人で逃げ出し、という所は「第三逃亡者」1937で犯人にされそうな男を若い娘エリカが助け逃走する、という設定が似ている。原作では重要な叔父の弟も牧師も登場しないという。
原題:「JAMAICA INN」
モデルになった宿・ジャマイカ・インがあるようだ
https://wikijp.org/wiki/Jamaica_Inn
現在も営業。無料Wi-Fiもある。
https://www.booking.com/hotel/gb/the-jamaica-inn.ja.html
回りには巨石、ストーンサークルもあるようだ。う~ん、行ってみたい。
旅行に行った人
https://4travel.jp/travelogue/10047702
ヒッチコックが1939年に映画化。最後の英国での映画。
巌窟の野獣 モーリン・オハラ主演
1936発表
2021.3.12初版 図書館詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
イギリスはコーンウォールの原野に建つ元宿屋の館「ジャマイカ・イン」は、建物も住む人も禍々しく謎めいていた。
若き女性が孤独の身となって、叔母が住むその館に頼よるしかなかったのだから、叔母が息も絶え絶え、叔父が荒くれ男で、災禍がおこるのもやむなし、けれども自立心の強い女性であるゆえ、危険がせまっても、冒険をせずにはいられない、避けられない。なるべくして謎と暴力との目まぐるしい展開になるのを、息もつかせず読まされるのであった。
コーンウォールの荒々しい風景描写と心理描写が巧みでグッと引きつけられ、設定は19世紀なのに現代をも彷彿させる困難な女性自身の自主独立へのあがきは心強いものがある。
『レベッカ』の嫋々としたサスペンスとは違う面白さ、ローリングプレイング的の痛快さ。
お馴染みモーリアの「館もの」なんだけど『レベッカ』の「マンダレイ」といい、この「ジャマイカ」といい、館のネーミング、今は昔だけど、さすがは世界に進出したイギリスらしいよ。 -
想像していた物語とは、全然違って、なんていうか、冒険物で、その様に読みすすめると、主人公の好奇心と、行動力には、脱帽だし、どーなるの?どーするの?と、ワクワクしたけど、返って怖い。自然って夜の原野なんて、もう怖過ぎるでしょ。
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好き。
ダーク系の乙女ゲー読んでる感じ。
ペイシェンス叔母さんの名前が、patience(忍耐)なの考えさせられますね -
イギリスのポドミン・ムーアという荒野の街道にポツンと立つジャマイカ館(実在していた旅館)。そこに巣くう荒くれ男たちに立ち向かう勇敢な女性メアリーの冒険物語。
彼女は母が亡くなったことで叔母ペイシェンスが住むジャマイカ館に身を寄せるが、建物は寂れ果てていた。夫であるジョスは荒くれ者の大男、叔母は昔の面影はなくやつれ、いつも怯えていた。そして、夜になると集まる不審な男たち、不気味な物音、酔っぱらっては異様に怖がるジョス。
うら若き女性なら普通は、怯え縮こまるところだが、メアリーはジョスに立ち向かったり、彼と他の男たちとのつながりを暴こうとする。ジョスの跡を追って原野をさまよったり、命の危機にも遭遇する。
ジョスの弟でこれもまっとうな人間でないジェム、原野で道に迷ったメアリーを救うがどこか冷たい印象のあるフランシス牧師。この二人もメアリーに絡む重要人物だ。邪悪な人間に果敢に立ち向かうメアリーだが、正義感よりも好奇心、冒険心がまさり、この二人に抱く彼女の気持ち、態度が非常に危なっかしい。一見、矛盾を感じてしまう彼女の揺れ動く心を読み解くのもこの小説の醍醐味か。
ヒッチコックが1939年に映画化しただけあって、ミステリーやサスペンスだけでなく、歪んだ心理が招く恐怖も加味されており面白かった。 -
あらすじだけで考えると、
え?少女向けの本?と思った。
前半部分もそうだった。
ちょっと、読むのが恥ずかしくなる様な。
そして、他のみなさんが書いている活劇、
とも言える。
でも、読み進めていくうちに、
登場人物の描写から、デュ・モーリアの思想・世界観が、伺える。
それは深くて広い。
そして、一気読みしてしまう。
作者の「レベッカ」を初めて読んだ時、
上巻は退屈だった。
だが、下巻でハラハラする展開となり、
読むのをやめられなくなった。
読み終わり、また上巻を読む。
私はこれまで、何度も「レベッカ」を読んでいる。
夏目漱石の「こころ」もそうだ。
前半は、読むのが辛いほど退屈。
後半で、やめられなくなる、そしてまた最初から読む。
そして、人生の中で何度も読んでしまう本となる。
そんな感じで、この本も、また読みたい本になるでしょう。
やはり、デュ・モーリアさんは名手です。
読ませます。
デュ・モーリアって、ノンジャンルの小説家だと思います。
そして、東京創元社さん、訳者の務台夏子さん、
有難うございます。
次はもっと早く、短編がいいなぁ、とここでリクエスト(笑) -
このラストでは、おばさんと同じじゃないかと危惧。結構な活劇展開だった。原野というより荒野のイメージだが、原題のママが一番。実在したことにも驚くが、今や四つ星ホテルとは。
一言。痛みは意識された?何ともな訳。 -
あの「レベッカ」を書いた作者の作品だから
心理サスペンス風かと思ったら 活劇(笑)
ムーアの描写が素敵だけど ストーリーは
まあまあ でも楽しめました。 -
ダフネ・デュ・モーリア(1907~89)といえば『レベッカ』である。
こわい! 面白い! 素晴らしい!
名作と名高いそれを、しかし、私は読んだことがない。
他の作品を読んだこともない。
作者を存命中の人物とさえ思っていた。
そんな私が、ダフネ・デュ・モーリアを初めて読んだのである。
時はおよそ1815年、イギリスの南西部、コーンウォールが舞台の物語である。
主人公は、メアリー・イエラン、23才。
幼い頃に父は亡くなり、以来女手一つで育てられた。
子育ても農場の切り盛りも立派に成した母親だが、しかし、彼女も亡くなってしまう。
メアリーは、母の遺した言葉どおり、生まれ育った農場を去り、ペイシェンス叔母のもとに行くのだった。
叔母夫妻は街道沿いに宿を経営しているという。
しかし、メアリーの旅で出会う人は皆、向かう宿の名を聞くと震え上がり、彼女を止めようとする。
その名を『ジャマイカ館』という。
とにかくまずハラハラさせられた。
ジャマイカ館で過ごすメアリーが身体を壊しやしないか、心が潰れやしないか、ご飯はちゃんと食べているのか、かなり心配だったのだ。
しかし、読むうちに気が落ち着いてきて、次第に別の色々が気になってくる。
メアリーが出くわすこと、目を引かれる出来事、その意味、その理由――次々現れる謎に、どうしてもページをめくってしまうのだ。
これはデュ・モーリアの見事な手腕に他ならない。
父は役者兼演出家、母は女優という家に生まれた彼女は、どうしたら観客の気を離さないか、話がより面白くなるか、物語はどのように展開させるべきか、よく心得ていたにちがいない。
デュ・モーリアは、ジャマイカ館に逗留したことで、この物語の着想を得たという。
そう、ジャマイカ館は、なんと実在の宿なのだ。
皆が恐れおののく恐怖の宿――ということはなく、むしろ趣のある、設備の整った、実に評判のよいホテルである。
ちっともジャマイカ風ではないのに、なぜ『ジャマイカ館』なのか、
デュ・モーリアがどんなふうにこの話を創ったかなどは、訳者あとがきに詳しい。
話をより深く楽しめるようなことが書かれていて、とても役に立った。
映画を含めて映像化は3回、ラジオ放送は数知れずという、『原野の館』はかなりの人気作だ。
しかし、私はどうにも手放しで褒めることができない。
理由は主人公だ。
このメアリーなる人物に、私は寄って立つことができないのである。
『メアリーはリアリストだ。彼女は農婦になるよう育てられた。鳥や獣のそばで長いこと生活し、彼らがつがい、仔を産み、死んでいくのを見てきたのだ。自然界にはロマンスなどはほとんどない。だから彼女も自分の人生にそれを求めはしない。』(188頁)
まるでこれでは、幸せとは思えない結婚をして、子供を幾人も育て上げたおばさんの思考である。
将来の夢は農場を "独身のまま" ひとりでやっていくことだ。
リアリストだという割に、人生計画は現実的ではない。
女性ひとりで農場を? 農業機械もない時代に?
まだ農場も持たず、ろくに蓄えもないというのに?
頭がよく、考えることをよくしているようで、実はまったく世慣れてない。
正義感だの好奇心だの冒険心だのと言う割には、その行動は中途半端だ。
戻らなくてもいいと思う所に戻る、行かなくてもいい場所に突っ込んでいく。
それで特になにを解決したということもなく、せいぜいなにかを「目撃した」というだけである。
『「わたしには助けはいりませんよ」彼女は言った。「自分の面倒は自分で見られますから」』(105頁)
気骨はある。
それは認めるが、しかし、色々と認識が誤っている。
まずあなたは無敵ではない。
そして、あなたはひとりではない。
口を開けば叔母が叔母がと、自分で言っているではないか。
自分の面倒は見られたとして、ペイシェンス叔母はどうするのだ。
『「おまえにゃ分別があるし、根性もある。男にとっちゃいい相棒になるだろうよ。本来おまえは男に生まれるべきだったのさ」』(177頁)
複数人の男性が、彼女を男のようだと称し、言ったほうも言われたほうも、それを褒め言葉だとしている。
しかし、申し訳ない、私は彼女が男のようだと思えたことがない。
分別があるとも思えない。
話の終わりがけに、ある男性が「あの時あなたがこうしていれば良かったのに」と告げるのだが、まったくそのとおりだ。
もし本当に分別があれば、あるいは――叔母にそれほどの愛着がないだろう甥であれば――そうしていたのではないか。
しかし、メアリーは自分が男のようであることを誇りに思い、女であることを恥辱と感じる、なかなかこじらせたお嬢さんである。
お嬢さんというが、しかし、23歳――
これが16、17歳だったとしよう。
分別のない、世慣れない、無鉄砲な主人公でも、納得がいく。
さらに、犬か猫、鳥、カメレオン、雪だるま――なんでもいい、マスコット的相棒を添えれば、ディズニーか世界名作劇場にぴったりくるではないか。
読み始めの頃、私は、少女小説のようだと感じたのだ。
『家なき娘』のようだと。
これはきっと「大人のための少女小説」なのだ。
あるいは「乙女の冒険物語」か。
王子や騎士がヒラリと登場して、危機から助けてくれることはなく、男性に頼ることは一切せず、ヒロインはひとりでどうにかジタバタやっていく。
1815年を舞台に、1936年当時の「現代的」「先進的」思考を持った女性を描いたのかもしれない。
しかし、私にはそれがかえって古いと感じる。
話の展開は面白いのだ。
主人公の性格が、好いという人、よくわかる! すてき! という人もいるだろう。
この「乙女の冒険物語」を開くかどうかは、どうぞご自身の分別で判断していただきたい。
ジャマイカ館はこちら!
https://www.jamaicainn.co.uk/