魔法飛行 (創元推理文庫) (創元推理文庫 M か 3-2)
- 東京創元社 (2000年2月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488426026
作品紹介・あらすじ
もっと気楽に考えればいいじゃないか。手紙で近況報告するくらいの気持ちでね-という言葉に後押しされ、物語を書き始めた駒子。妙な振る舞いをする"茜さん"のこと、噂の幽霊を実地検証した顛末、受付嬢に売り子に奮闘した学園祭、クリスマス・イブの迷える仔羊…身近な出来事を掬いあげていく駒子の許へ届いた便りには、感想と共に、物語が投げかける「?」への明快な答えが。
感想・レビュー・書評
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『あのね、面白いなぞなぞがあるんだけど、聞きたい?』
いきなり『なぞなぞ』から始まった本日のレビュー。もちろんあなたは、『聞きたい』ですよね(笑)。では、強引に進めましょう!
『ある人が出席表に書いた名前の話です。哲学の時間にはAという名前でした。ところが生物学になるとBという名前になっていました。さて、なぜでしょう?』
いきなり、『出席表』と言われても困りますよね。覚えてますか?『出席表』。学校によっても違ったかもしれませんが、『名前と学籍番号とを記入』して後ろの人に回していくというタイプと、『出席カードと呼ばれる小さな用紙』が一人ひとりに配られるタイプのものがありましたよね?
前者の場合には、『実出席者数よりも出席表に記入された名前の方がなぜか多いといった類の、摩訶不思議現象』が発生し、後者の場合でも『助手の先生がきちんと人数を数えて配ったはずなのに』何故か不足が生じるという現象がありました。そう、『代返』という行為が特に大教室の授業にはつきものです。先生と学生の静かなる戦いとも言えるこの現象。もちろん、真面目な さてさてはそんな現象とは無縁でしたけどね(汗) (¬、¬) アヤシイ
さて、ここに、ある教室で配られた『出席表』に感じた疑問を『面白いなぞなぞ』として友だちに出題する主人公が登場する物語があります。”身近なミステリー”がさまざまに描かれていくこの作品。90年代初頭の”学園もの”の雰囲気感満載に展開するこの作品。そしてそれは、そんな『なぞなぞ』の答えにまさかの真実を見る物語です。
『瀬尾さんへ。瀬尾さん宛てに手紙を書くのは、考えてみれば今回が初めてですね』という手紙を書くのは主人公の入江駒子。『「私も、物語を書いてみようかな」なんて口をすべらせたとき』、『じゃあ書いてごらんよ。よかったら読んであげるから』と瀬尾さんが言ってくれたことを『家に帰ってよくよく考えているうちに』、『ひょっとして、私にも書けるのではないかという気がして』きたという駒子は、『最近学校で、何とも奇妙な出来事に出会っている』ことがあり、『そのことを、書いてみ』ます、と次の物語を書きはじめます。
『最初にその姿を目にしたとき、彼女は風の中に立っていた』と始まるその物語は、『学生課の掲示板を』一人の女子学生が見ている姿に駒子が興味を覚えたことから始まります。『とても印象的な』『妖精めいた美貌』を持つその『女学生』を『しげしげと見つめてしまった』駒子。そんな時、『駒ちゃーん。おはよう』と友人の愛に声をかけられた駒子。そんなところに ふみもやってきました。『教室どこ?』と訊く駒子に『二二〇二。愛ちゃんと一緒』と答える ふみ。『私は二二〇一。右と左に泣き別れ、か。今日は寂しい一日だよ』と駒子が返すと、『オーバーね、昼休みにまた会いましょ』と ふみに言われ、駒子は『急がねば』と歩き始めると『ジュースの空き缶』が転がってきました。『あら、ごめんなさい』『人がいるとは思わなかったのよ』と言う顔を見て、『掲示板』で出会った女の子だと思う駒子。そして、教室へと入った駒子は席に座り授業が始まります。『二百名くらいは収容可能に違いない』扇形の階段教室。そんなところに一人の学生が遅れて入ってきました。それは、『またしても、彼女』でした。その『茜色のシャツを着た長い髪の女の子』のことを『茜さん』と呼ぶことにした駒子。『茜さん』は、駒子の前列に腰掛けました。そんな時に前から回ってきた『出席表』。『茜さん』から回ってきた『出席表』には『十人ばかりの学生の名前が』並んでいます。その『一番下の欄』に、『丸っこい少女文字で「井上美佐子」とある』のを見た駒子は『学籍番号から、英文科の一年だと』考えます。『そうか、「茜さん」は「井上美佐子さん」だったのか』と思う駒子。やがて一限目の授業が終わり、『引き続き次の授業を受ける人間は、両手の指の数ほどしかいなかった』という中に始まった二限目。なんと、『茜さん』がその授業にも出席していることに驚く駒子。そして、授業が始まり、また『出席表』が回ってきました。そんな用紙を見て『何とも不思議なことに気づいた』駒子。『彼女の名前が、変わって』います。『「田川恵理」。それが彼女の新しい姓名』でした。『偽名、変名、筆名、芸名…二つの名前を持つ…自在にそれを使い分ける』『茜さん』のことを思い『彼女は不可解な謎』だと思う駒子。そんな『茜さん』の行動に隠されたまさかの真実が、瀬尾さんの手紙によって解き明かされていきます…という最初の短編〈秋、りん・りん・りん〉。駒子が書いた初めての物語に加納朋子さんらしい”身近なミステリー”を上手く織り交ぜた好編でした。
第三回鮎川哲也賞を受賞した加納朋子さんの代表作の一つでもある「ななつのこ」。そんな「ななつのこ」の続編として刊行されたのがこの作品です。”駒子シリーズ”という愛称でシリーズ化されている三作の第二作目に当たるこの作品。そうか、まずは「ななつのこ」を先に読むんだな…と思われた方に、まずお伝えしたいと思います。確かにこの作品には一作目に登場した入江駒子が主人公として登場してはいますが、一作目の知識がなくても全く問題ないどころか、逆順でもなんら問題はありません。極論すれば主人公の名前が同じである、その程度の繋がり、意味合いしかない?のがこの作品です。(ちょっと言い過ぎ?)
さて、前作では、『書店の新刊本コーナーで』主人公の入江駒子が偶然に見つけた「ななつのこ」という短編集の内容がまさに入れ子になる形で構成された”小説内小説”の究極の姿を見せてくださった加納さん。そんな前作に続いて登場したこの作品も非常に凝った構成を取り入れています。まずはその全体概要を整理しておきたいと思います。大きくは四つの章というより短編から構成されたこの作品ですが、その内訳は以下のようになっています。
・〈一…秋、りん・りん・りん〉
①駒子 → 瀬尾への手紙
②駒子が書いた小説
③瀬尾 → 駒子への手紙(②の種明かし)
④〈誰かから届いた二番目の手紙〉
・〈二…クロス・ロード〉
⑤駒子 → 瀬尾への手紙
⑥駒子が書いた小説
⑦瀬尾 → 駒子への手紙(⑥の種明かし)
⑧〈誰かから届いた三番目の手紙〉
・〈三…魔法飛行〉
⑨駒子 → 瀬尾への手紙
⑩駒子が書いた小説
⑪瀬尾 → 駒子への手紙(⑩の種明かし)
⑫〈誰かから届いた最後の手紙〉
・〈四…ハロー、エンデバー〉
⑬駒子 → 瀬尾への手紙
⑭駒子が書いた小説
この作品の物語部分は、主人公・駒子が書いたとされる②⑥⑩⑭の四つの小説です。そこには、加納さんらしく身近な”身近なミステリー”が駒子の日常の中にさりげなく描かれています。そんな駒子の小説を、小説を書くよう駒子にアドバイスをくれた瀬尾に対して届けるための手紙が①⑤⑨⑬に記され、小説を読んだ瀬尾の感想が③⑦⑪に記されています。このサンドウィッチのような構成が絶妙な上手さを生んでいます。そのポイントを二つあげたいと思います。一つは②⑥⑩⑭の四つの小説の中の表現の仕方に触れる部分です。②の小説の中からある箇所を抜き出してみます。『教壇に先生が立』ち、『すべての音が止ま』ったという場面をこんな風に表現します。
『テキストを開いたり、筆記具を出したりする音が、水に落とした油の被膜のように広がった』。
次に、『一時限目の授業は、終了時刻に五分ほどを残して終わった』という後の教室の光景をこんな風に表現します。
『栓を抜いたバスタブみたいに、出入口付近に小さな混雑の渦を作りながら、大勢の学生たちが流れでていく』。
どうでしょうか?いずれもその空間に見える光景を比喩表現を用いて表したものです。ただ一方で少しとってつけたような感想を抱かないわけではありません。そんな読者の思いがその次に来る③の瀬尾の感想、『僕には批評家の真似なんてとてもできないから、これから書くことはごく平凡な感想文にすぎません』という語りから始まるパートの中にこんな風に表現されます。
『いかにも女の子らしい抒情的な書きっぷりにしろ、君が好んで多用しているらしい比喩にしろ、僕などにはどう逆立ちしても書けない文章だと思った』。
どうでしょう。自分が読んだ小説について他の方がどんな風に感じられているかは、例えばこのブクログの場などで見ることができます。自分が気づけなかった視点に気づくことができたり、自分とは全く異なる感想をそこに見ることができるなど、他の方の感想を読むことは読書の楽しみを広げてくれるものでもあります。この作品では、そんな感想が小説の直後に存在する、そしてそれは瀬尾という人物の名を借りた作者の加納さんのその小説への見方であり、かつ、そんな感想自体が作品の一パートでもあることになります。これは、とても面白い構成です。だからこそ、次のような展開が可能になります。瀬尾は、小説の感想を書く中でこんな一文を記します。
『君流の比喩を遣わせてもらうなら、生まれて初めて炎を目にした幼児が、焚き火に手を突っ込んで火傷を負ったようなものかもしれない』。
比喩表現にこだわった駒子の小説に、まず『僕などにはどう逆立ちしても書けない文章だ』と言っておいた上で、『君流の比喩を遣わせてもらうなら』とそんな比喩表現に似せたものを使ってみるという瀬尾。そんな瀬尾の感想を読んだ後、駒子は⑥の小説を書くことになります。そして、その感想を⑦で書く瀬尾は比喩表現にまたこんな指摘をしています。
『それからちょっと気になったんだけど、前回あれほど全編にわたって燦然とちりばめられていた比喩が、半分ばかりに目減りしているね。それに抒情的な部分もほとんどなくなってしまっている。ひょっとして、この間僕が感想で書いたことを気にしているんだろうか』。
いや、比喩表現を小馬鹿にするような真似をしておいてよく言うよ!と感じてもしまうこの一文。読者の側からはとても上手い構成だと感じました。そして二つ目は、小説で触れられた”身近なミステリー”の謎解きが行われていくという構成になっているところです。ミステリーは必ず種明かしがなされないと、読者にはもやもやだけが残ってしまいます。そういう意味でも種明かしは必須ですが、それをまるで解説を読むかのように瀬尾からの手紙の中で行ってしまうという構成はとても分かりやすく、また説得力があります。ネタバレそのものになる種明かしの例をここでご紹介するわけにはいきませんが、『彼女は何のためにあのような不可解な行動をとったのか?なぜ、そうする必要があったのか?』、『話を整理すると、結局こうな』る、『なぜなら彼女は…』と駒子を挑発するかのような文体をもって瀬尾は駒子の小説の中に散りばめられたミステリーの種明かしをしていきます。それは、まるで探偵の謎解きを見る鮮やかさをもって語られるものでもあります。小説と手紙が一体になって物語を構成していく、とても面白い作りの作品だと改めて思いました。
さて、この作品の構成がとても良くできているのは間違いのない事実だと思いますが、一方で、ご紹介した構成だけであればある意味極めてシンプルな作品とも言えます。しかし、この作品は、そんな簡単には終わりません。上記で④⑧⑫であげた〈誰かから届いた××の手紙〉という三つのパート、これが曲者なのです。しかもその内容がまずもって意味不明です。例えば〈誰かから届いた二番目の手紙〉の冒頭はこんな風に始まります。
『まず最初に申し上げておきましょう。これは一種の次元を超えた通信です。四次元から三次元への。現世から夢幻への。散文からポエムへの。そして、現実から虚構への。これはすべてを超えた、通信です。私は一人の読者です…』
これは全くもって意味不明です。どうしてこんなものがここにあるのか?、この『誰か』とはだれなのか?、そして、このパートが存在する意味は?加納さんの作品は、おおよそどの作品でも伏線を張りまくって最後に怒涛の回収を行うという作りが一貫しています。そうです。この作品でもこの不思議なパートが最後の最後に、なるほどね!と解決する結末が用意されています。ミステリーの醍醐味を感じる伏線回収の結末。もやもやとした読中、特に『謎の手紙』にはストレスが溜まりますが怒涛の結末を楽しみに読み進めていただければと思います。
そんなミステリーな内容がこの作品の一番の魅力ではありますが、駒子、愛、そして ふみという三人の個性豊かなキャラクーが過ごす大学生活の雰囲気感も忘れてはいけません。『出席カード』、『学食』、そして『学園祭』と、”学園もの”感も存分に味わえる中に、彼女たちそれぞれの個性が炸裂していく様もなんとも微笑ましい展開です。一方で、この作品は1993年に刊行されたものであることから『テレホンカードをさしこんで』、『ワープロも習うつもり。今はOLも、手に職の時代よ』といった時代を感じる表現の数々が、ある意味いい味を出してくれます。しかし、次の会話には流石に唖然としました。駒子が捜し人を訪ねて、ある施設を訪れ、一人の職員と会話するシーンです。
職員: 『家に電話してみたら?』
駒子: 『…電話番号、知らないんです』
職員: 『わかったわかった、今調べてくるから、ちょっと待っててくれるかな』
駒子: 『あの、できたらご住所も』
↓ さほど待つこともなく
職員: 施設の『利用説明の裏に走り書きした』同僚の住所と電話番号のメモを駒子に手渡す。
駒子は、この施設を人探しで訪れただけであり、上記した職員とは初対面です。そんな初対面の駒子にその職員は、自分の同僚の住所、電話番号を手書きして渡してあげるのです。30年前の平成初期の時代ってここまで個人情報の概念がいい加減だったの?と驚かざるをえない、まさに唖然とする他ないシーンです。全体としての大学生活の雰囲気感がそんなに古臭さを感じない一方で、唐突に登場する時代感を強く感じさせる表現にはとても驚かされました。本筋から話はそれましたが、”学園もの”として楽しめ、時代感をも楽しめ、そして”身近なミステリー”としても楽しめるこの作品。なかなかに一癖二癖を感じるそんな読み味の物語だと思いました。
“私がミステリを愛するのは、そこに必ず答えがあるからなのだと思います”
そんな風に〈あとがき〉に記される加納さんの”身近なミステリー”の醍醐味を味わえるこの作品。そこには、凝った構成の先に描かれる入江駒子の物語がありました。駒子が書き下ろす比喩表現に満ち溢れた小説が読めるこの作品。そんな小説の種明かしを瀬尾の感想でまとめるという絶妙な構成を楽しめるこの作品。
加納さんの今に続くミステリー作家の原点の一つを見た、そんな作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『ななつのこ』に続くシリーズ第ニ弾。
今作は、前作で知り合った瀬尾さん(前作はラストに○○さんとレビューしている)に駒子が、最初から身近で起こる話を小説として書き綴る。
そこに書かれた謎を瀬尾さんが解いて返事を寄越すのは前作と同様なのだが、新たに意味不明の手紙が出てくるのである。
それはラストまでわからないというのが、相当にもどかしい。
見事なクライマックスとなるのだが、最後にまた茜さんが見れるとは…ね。
ちょっと魔法めいたミステリーというのを楽しんだ。
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創元推理文庫らしい日常の謎。女子大生駒子が書いた3つの解決編のない物語を、瀬尾さんという作家が、アームチェアディテクティブよろしく真相解明し、途中差出人の分からない手紙が挿入され、最終章で伏線回収する連作。
日常の謎だからといってほっこりするような話ばかりでなく、センチメンタルな気分になる良作。ちなみにななつのこというデビュー作の続編らしい。これから読んでしまった。 -
『ななつのこ』に続く〈駒子〉シリーズ第二弾。広がる女子短大生の世界がリアル。ただし1990年代前半だが……。
駒子を中心とした女子短大生たちの日常描写が心地よい。舞台が1990年代前半ごろなので、登場する固有名詞が懐かしかったり。いくつかの短篇が最後につながって長編になるという構造が今回は前作以上に強化され、ラストの驚きがすごい。各短篇ごとの謎解きの楽しさ、さらにその裏で密かに進行しているより大きな物語を推理する楽しさ。少女時代に別れを告げようとする、大人になる一歩手前の切なさを感じさせるラストシーンには見とれてしまった。さらに有栖川有栖さんの解説が感動的で、これも含めて作品の一部といっていいかも。
シリーズものの2作目というのは、名作である前作を順当に拡張発展させて、さらに優れた傑作になることが多いものだ。本作はそこにとどまらず、変化球を加えながらも、やはり前作を超えてきたシリーズ最高傑作ではあるまいか。いやはや、最高だった! -
瀬尾さんじゃないもう一つの感想文がイレギュラーで違和感で、どんな効果があるのかと思ったら、4章で完結されて、出だしの茜さんも存在がわかるとか、飽きないで読み終える。出てくる人みんな優しい気持ちを持つ、嫌味のない、気に入ったのです。愛ちゃんも全然性格違うけど似た者同士の、瀬尾さんとの距離感も、恋人の前みたいな、将来を不安に思い、1番楽しいであろう学生生活を見れて良かった。チョイチョイ小話出てくるのもいいです。南十字星とか
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駒子ちゃんシリーズの2作目。
今回は『私も、物語を書いてみようかな』と口をすべらした駒子が、『手紙で近況報告するくらいでの気持ちでね』と言う瀬尾さんに後押しされて書き連ねる、身近に起こった奇妙な出来事の数々。
いくつも名前を持つ不可思議な魅力の女子学生、美容院で耳にした噂に端を発する幽霊騒動の顛末、受付嬢に売り子に奮闘した学園祭での〈魔法の飛行〉のエピソード…。
前作は駒子の物語の中に「ななつのこ」の物語が入れ子になった作りだったが、今作では、駒子の物語の中の謎に瀬尾さんの絵解きが届けられるところまでは同じでも、その後ろに誰かから届いた意味が分からない手紙が付け加えられたのが新しい興趣。
その手紙の意図が全く分からなかったが、最後の話になって急展開。それまで読んだ3つの話の印象もガラリと変わる見事な構成。
今回も駒子ちゃんは自分のあり方に正直で浮いたり沈んだりしながらもしっかり答えを見つけ出す。もう子供じゃない、でも大人でもない年頃の心の機微が何ともいい感じ。ラストの『ハロー、ハロー、ハロー、ハロー……』には切なくなるね。
シャガールの絵に象徴される卓見くんと野枝さんの関係も微笑まし。有栖川有栖さんの解説が秀逸。 -
1993年7月東京創元社刊。2000年2月創元推理文庫化。書下ろし。駒子シリーズ2作目。秋,りん・りん・りん、クロス・ロード、魔法飛行、ハロー,エンデバー、の4つの連作短編。前作とは趣きが少し異なります。駒ちゃんをはじめとする登場人物は変わらないのですが、わくわく感が少ないというか、事件の理由に共感が得られないというか、興味を惹かれませんでした。誰かから届いた手紙というのが各話の間に挟まれていて、ラストで明らかになりますが、コレもわざとらしいというか、こだわりが過ぎるというか要らないんじゃないかな。