現代語訳 暗黒日記: 昭和十七年十二月~昭和二十年五月

著者 :
制作 : 丹羽 宇一郎 
  • 東洋経済新報社
4.47
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本棚登録 : 87
感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492062203

作品紹介・あらすじ

大東亜戦争は非常なる興亡の大戦争である。筆を持つ者が、後世のために、何らかの筆跡を残すことは、その義務である。すなわち書いたことのない日記をここに始める。将来、大東亜外交史の資料とするためである。神よ、日本を救え。
昭和十八年十月一日 清沢 洌

***

日本人はもう二度と戦争などするはずがない。恐らく日本人のほとんどはそう考えているだろう。しかし、その確信は極めて頼りない、むしろ大きな勘違いであることは、清沢洌の『暗黒日記』を読めばわかるはずだ。

清沢の日記に綴られている戦時下の日本人とその社会の姿は、驚くほど現代と似ている。まるで我々の現在のありさまが清沢に見透かされていたかのようだ。相手変われど主変わらずというが、何かひとつきっかけを得たならば、日本人はたちどころに、戦前のような好戦的な国民になってしまいかねないという危惧さえ覚えずにはいられない。

戦争というのは、どこまで行っても手段のはずだ。それも非常手段だ。目的ではない。にもかかわらず、戦時日本では、いつの間にか手段であるはずの戦争が目的となってしまった。

なぜ我々は、いや権力者は、殺し合いの決断をしてしまったのか。なぜ我々は戦争国、神の国日本への橋を渡ってしまったのか。なぜ300万人を超える犠牲者を出すまで戦争をやめることができなかったのか。そして、今の我々日本人のどこがその後変わったと言うのだろうか。問題の答えも、また『暗黒日記』の中にある。――はじめにより

感想・レビュー・書評

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  • 2022.05.18 品川読書会で紹介を受ける。戦時下で日記を書いていた。『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』を紹介したら、清沢洌の日記として、紹介を受けた。
    http://naokis.doorblog.jp/archives/War_began_when_I_got_up.html

  • 4.38/48
    『大東亜戦争は非常なる興亡の大戦争である。筆を持つ者が、後世のために、何らかの筆跡を残すことは、その義務である。すなわち書いたことのない日記をここに始める。将来、大東亜外交史の資料とするためである。神よ、日本を救え。
    昭和十八年十月一日 清沢 洌
    ***
    日本人はもう二度と戦争などするはずがない。恐らく日本人のほとんどはそう考えているだろう。しかし、その確信は極めて頼りない、むしろ大きな勘違いであることは、清沢洌の『暗黒日記』を読めばわかるはずだ。

    清沢の日記に綴られている戦時下の日本人とその社会の姿は、驚くほど現代と似ている。まるで我々の現在のありさまが清沢に見透かされていたかのようだ。相手変われど主変わらずというが、何かひとつきっかけを得たならば、日本人はたちどころに、戦前のような好戦的な国民になってしまいかねないという危惧さえ覚えずにはいられない。

    戦争というのは、どこまで行っても手段のはずだ。それも非常手段だ。目的ではない。にもかかわらず、戦時日本では、いつの間にか手段であるはずの戦争が目的となってしまった。

    なぜ我々は、いや権力者は、殺し合いの決断をしてしまったのか。なぜ我々は戦争国、神の国日本への橋を渡ってしまったのか。なぜ300万人を超える犠牲者を出すまで戦争をやめることができなかったのか。そして、今の我々日本人のどこがその後変わったと言うのだろうか。問題の答えも、また『暗黒日記』の中にある。――はじめにより』
    (「東洋経済STORE」サイトより▽)
    https://str.toyokeizai.net/books/9784492062203/


    『現代語訳 暗黒日記』
    著者:清沢 洌(キヨサワ キヨシ)
    出版社 : ‎東洋経済新報社
    単行本 ‏: ‎304ページ
    ISBN‏ : ‎9784492062203

    メモ:
    ・松岡正剛の千夜千冊 648夜

  • 意思決定をしない、責任を取らないところは、未だに日本人の特性なんでしょうねえ

  • 戦前、アメリカ留学を経験し、新聞記者として働いた後、フリーランスの外交評論家活動した清沢洌がこっそり書いていた、昭和17年から20年にかけての日記です。

    その時代と言えば太平洋戦争真っ只中なわけですが、私たちが想像する戦時中となんか違う。
    むしろ、国内を覆う空気感とか政治家の言動とかが、コロナ禍の日本とあまりにも似ていてびっくり。

    日記と言っても、ニュースや身の回りの出来事に対する愚痴や感想といった感じで、私たちがTwitterやFacebookに普通に書いているものと大差ないだけに、この人の目を通して、当時の世の中が今の世の中と重ね合わさって感じられるのです。
    それだけに、何か些細なきっかけ一つで、あの時代をまたやってしまいそうな、他人事でない感覚になります。

  • 暗黒日記の前史
    昭和十七年十二月~昭和十八年十二月
    ─日本はなぜ勝ち目のない戦争に突っ込んでいったのか
    昭和十九年一月~九月
    ─政治の強権化と情報統制に逆らえないメディア
    昭和十九年十月~昭和二十年五月
    ─現実とかけはなれた銃後の国民意識
    暗黒日記の後の日本

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著者プロフィール

清沢 洌(きよさわ・きよし):1890-1945年。長野県生まれ。小学校卒業後、内村鑑三門下の井口喜源治が創立した研成義塾に入り、感化を受ける。1906年渡米、働きながらハイスクールを卒業。カレッジ在学中から邦字新聞の記者として活躍。20年、帰国して中外商業新報社に入社、のちに通報(外報)部長となる。27年、東京朝日新聞社入社。29年退社、フリーランスの文筆家となり次々と著書を発表、自主独立の評論家・外交史研究家として矜持を貫く。1945年5月、急性肺炎のため急逝。『暗黒日記』他著書多数。

「2023年 『外政家としての大久保利通』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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