なぜマネジメントが壁に突き当たるのか―成長するマネジャー12の心得

著者 :
  • 東洋経済新報社
3.80
  • (22)
  • (35)
  • (26)
  • (1)
  • (4)
本棚登録 : 249
感想 : 32
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492521243

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 201307/
    彼らは、若手社員の語る「論理」そのものを批判しているのではありません。彼らは、若手社員の持つ「論理で割り切れるという姿勢」を批判しているのです。すなわち、現場経験の豊かな熟練のマネージャーは、体験的に知っているのです。「論理で割り切れる」という姿勢でプロジェクトを進めていくと、必ず、見落としてしまう「大切な何か」があるということを。/
    例えば、「魚の解剖」を考えてみると良く理解できます。我々は、子供の頃の理科実験で行ったように、魚をメスで解剖して五臓六腑に腑分けし、骨や内臓や神経などを詳しく調べ、魚というものの「仕組み」を整然と理解することはできます。しかし、こうして腑分けして整然と理解した結果、失われてしまう「大切なもの」があることに気づくのではないでしょうか。それは何でしょうか? 魚の「生命」です。/
    大局観や直観力や洞察力を磨くためには、その「対極」に徹することが近道なのです。すなわち、多くの先人たちは、「論理思考」に徹する時代を経て、大局観や直観力や洞察力を獲得していったのです。/
    一つの極に徹すると、その対極に突き抜ける。それは、我々が生きる世界の「理」に他ならないのです。/
    「我々は、言葉にて語り得ることを語り尽くしたとき、言葉にて語り得ないことを知ることがあるだろう」 直観力や洞察力の世界とは、実は、このヴィトゲンシュタインの言葉が表す世界に他ならないのです。/
    その世界に突き抜けるために求められるものは、実は、いかなるマニュアルでもテクニックでもありません。 徹すること。 そのことだけなのです。/
    例えば、部下を三人預かっているマネージャーを考えてみましょう。彼が、ひとたび「自分は、三人の部下が気持ち良く働ける職場の雰囲気を創っているだろうか?」との具体的な問題意識を抱くならば、その問いに対する答えを見出すためには、実は、夜も眠れないほど考え込んでしまうはずなのです。そして、本当に、夜も眠れぬほど考え込み、昼は職場で部下の気持ちを汲み取ろうと努力し続けるならば、そのマネージャーは、間違いなく職場の雰囲気の変化を直感する何がしかの力量を見につけるはずなのです。/
    羽生棋士が、先手であるにもかかわらず、開始後数分間、先手を指さないのです。目を閉じて、何か考え事をしている。通常ならば、前日の夜か当日の朝には、先手に何を指すかは決めているはずなのですが、指そうとしません。そして、大局者の佐藤棋士が訝し気にみつめ、周囲に心の波が伝わり始めたとき、ようやく羽生棋士が先手を指したのです。後日、羽生棋士は、詩人吉増剛造氏とのテレビでの対談において、このとき先手を指さなかった理由を、「突然、迷いが生じたのですか?」と聞かれ、答えています。「いえ、そうではありません。静寂がやってくるのを待っていました」/
    深い直感力が求められる重要な意思決定の場面において、最も大切なことは「何を選ぶか」ではありません。最も大切なことは「いかなる心境で選ぶか」なのです。/
    東洋的治療の発想とは、「全体観察」→「構造理解」→「要所加療」→「全体治癒」という思考です。/
    例えば、我々が病気になって漢方療法を受けるとします。そこでは、病気の原因を病原菌だと診断するのではなく、「抵抗力の低下」←「体力の低下」←「食生活の不規則」←「生活習慣の乱れ」←「精神の問題」といった捉え方をするのです。そしてそれら全体に働きかけるような療法が提示されるのです。/
    「マネジメントの本質は、矛盾との対峙である」との真実をこそ、伝えなければならないのです。では、なぜ、我々マネージャーは、「矛盾」と対峙し続けなければならないのか?「矛盾」とは、「生きたシステム」の本質に他ならないからです。/
    複雑系のような「生きたシステム」は、相対立する「矛盾」の狭間の絶妙のバランスの中にこそ出現するのです。従って、その「生きたシステム」の「矛盾」を解消してしまうと、そのシステムは文字通り「生命力」を失ってしまうのです。/
    分析力や推理力については、「一人の個人」が単独で発揮する能力よりも、「複数の人間」が集団で発揮する能力のほうが一般に高いと言えます。しかし、直観力や洞察力については、優れた「一人の個人」が発揮する能力のほうが、「複数の人間」が集団で発揮する能力よりも高いことが多いのです。/
    決断力を持ったマネージャーとは、いかなるマネージャーでしょうか?分かりやすく述べましょう。勘が鋭く、腹がすわり、言葉に力のあるマネージャーです。/
    そもそも、企画とは、それが重要な企画であればあるほど、その「内容」は形式的な意味しか持たなくなるものです。なぜならば、どれほど論理的かつ詳細に構想された企画でも、所詮、その企画どおりに物事が進むことはないからです。それゆえ、熟練の経営者が見ているのは、企画の論理性や緻密性ではありません。それは戦略やビジョンですらありません。究極、その経営者が見ているのは、ただ一つです。その企画を提案してきたマネージャーの、決意の強さと確信の深さです。どのような企画でも、それが優れた企画であればあるほど、必ず一度や二度は「予想外の困難」に直面します。そのとき支えになるのは、企画の論理性でも詳細なデータでもありません。そのとき支えになるのは、あらゆる創造性を発揮して困難を突破していこうとするマネージャーの強い決意であり、プロジェクト・メンバーが信頼を寄せることのできるマネージャーの深い確信に他ならないのです。/
    張本選手は、若手選手に対して、「理想のフォーム」ではなく、「理想のフォームを見出すための具体的な方法」を教えようとしたのです。それが「一晩中素振りをしなさい」という言葉の意味なのです。/
    熟練のマネージャーは部下に対して、「何を身につけるべきか」を教えるのではなく、「何を行えば見につくか」をこそアドバイスすべきなのです。/
    マネジメントにおける「聞き届け」の姿勢とは、「深い共感のこころを持って部下の話を聞く」ということに他なりません。一人の人間として、部下という一人の人間と正面から向き合うことです。/
    人間関係が壊れるときというのは、どちらかが、どちらかに対して「シニカル」な姿勢を持ったときです。すなわち、「どうせ、彼は」「しょせん、あの人は」との枕詞で相手を見る姿勢であり、「正対」ということの対極にある姿勢と言えます。我々は、このシニカルな姿勢に陥った瞬間に、目の前にいる一人の人間の人生に対する「敬意」失いはじめます。そして、そのとき、人間関係もまた深いところで壊れはじめるのです。すなわち、「正対」するとは、シニカル姿勢に陥ることなく、相手の人生に深い敬意を持って接することに他なりません。/
    これからの新しい時代において我々マネージャーに求められるこうした資質は、かつての古い時代の価値であることに気づきます。「一途」であること。「一徹」であること。/
    マネージャーが部下の成長を支えようとするならば、まず最初に教えるべきは、こうした「こころの姿勢」です。この「こころの姿勢」であるかぎり、どれほど失敗を積み重ねようとも、必ず成長していける。この「こころの姿勢」であるかぎり、当面どれほどの成功がやってこようとも、必ず壁に突き当たる。そうした世界が存在するということです。/
    新入社員だからこそ、最も「高み」にあるものを見せなければならないのです。/
    登山を目指す初心者には、もちろん、靴の履き方から、ザックの背負い方、地図の見方という基本的なことを教えなければなりません。しかし同時に、いつの日か昇るであろうアルプスの名山や、さらには、いつか登ってみたいと願うヒマラヤの最高峰を仰ぎ見せなければならないのです。そして、もし、その新入社員が、アルプスの名山やヒマラヤの最高峰をそのこころの深くに刻むならば、彼にとっての「成長の目標」は定まります。それは、かれがビジネスマンとして、生涯かけて登っていくべき道を知るときに他なりません。そして、それこそが、一人のビジネスマンの先輩であるマネージャーが、これからの長き道を歩み始めた一人の後輩に伝えてあげられる、おそらく最高の「何か」なのです。/
    組織には、「メンバーを成長させる空気」というものがあるのです。そして、我々マネージャーが、部下の成長を支えたいと願うならば、職場に、その「空気」を生み出すことができるかが問われるのです。では、その「空気」とは、どのようにすれば生まれるのでしょうか?その方法は、たった一つしかありません。  マネージャー自身が、成長すること。 マネージャー自身が、成長し続けること。 マネージャー自身が、成長したいと願い続けること。 そのことしかありません。/
    言葉や論理によって表すことができない暗黙知を伝えるには、古くから、これら三つの方法を用いるべきであるとされています。「否定法」「隠喩法」「指示法」という三つの方法です。/
    複雑系の知: (1)個別の分析をするな、全体を洞察せよ【全体性の知】、(2)設計・管理をするな、自己組織化を促せ【創発性の知】、(3)情報共有ではない、情報共鳴を生み出せ【共鳴場の知】、(4)組織の総合力ではない、個人の共鳴力を発揮せよ【共鳴力の知】、(5)部分治療ではない、全体治療を実現せよ【共進化の知】、(6)法則は不変ではない、法則を変えよ【超進化の知】、(7)未来を予測するな、未来を創造せよ【一回性の知】/
    これからの新しい時代、マネジメントは、企業を合理的に運営するための単なる「テクニック」ではなく、「生きたシステム」としての市場や企業や職場に処するための高度な「アート」になっていきます。そのことを、我々マネージャーは、理解しておくべきでしょう。しかし、そのことは、決して、マネジメントに携わる人々にとって、「新たな困難」がやってくることを意味しているわけではありません。それは、「素晴らしい時代」がやってくることを意味しているのです。それは、マネジメントという役割が、ますます「やり甲斐」のある、素晴らしい役割になっていくことを意味しているのです。そのことを、我々マネージャーは、深く確信すべきでしょう。/

  • 大局観や直観力や洞察力を磨くためには、その「対極」に徹することが近道か
    一つの極に徹すると、その対極に突き抜ける
    論理に究め得ることを究めつくしたとき、論理にて究め得ないことを知ることがある
    ものごとが複雑化すると、新しい性質を獲得する
    起業とは、単純な論理では理解することができない複雑な生命体である
    論理の本質は単純化
    只管打坐
    常に真実は足元にある
    自己か即死を持つ循環構造、摂動敏感性
    全体観察⇒構造理解⇒要所加療⇒全体治癒
    大局観の本質とは論理的思考ではなく、むしろ幾何的感覚
    矛盾と対等し続ける姿勢

  • マネジメントの本質が書かれている。
    なぜマネジメントに失敗するのかを例をあげながら説明していく。
    とてもわかりやすく想像しやすい本だった。
    暗黙知についての概念が変わった。

  • 読みやすく、これまで引っかかっていたことを解くカギが見つけられたような気になる。
    しかし、要求されるのは、自分で感じ、見て、考えることなのだから、ここから先を自分に対して求めていき続けることがとても大切なのだろう。

  • 自分がやってきたマネジメント経験で、手法を変えなければならない部分を指摘された。自分だけが良いと思い行動してきたことが、必ずしも正解でなかったことを認識した。今後、対応に不安を感じた時に読み返したい。

  • 「知識を学んだことで分かったつもりになってはいけない」ということを、心の中に刻むことが大事だと思った。それから11章で教育についても触れていて、そこは人事部の人間として、すごく参考になった。素晴らしい本なので管理職になる人に是非、お勧めしたいです。また、田坂さんの話を直接聞きたいなぁ~。

  • 2002年発行だから9年前の著書です。
    9年前は新鮮だったかもしれませんが、今の段階では目新しいものは少なかったです。
    でも、分かりやすい文章だったので、すんなりと理解、考察ができました。
    マネジメントがアートに近付いていくという事には、基本的に賛同できます。

  • この本が田坂さんのルーツなのかな?
    「報酬とは何か?」や「なぜマネジメントの道を進むのか?」はこの本の延長で出版されたと感じた。

  • 引用例がとても興味深く,納得できるものが多い.

  • マネジメントを行う上で常に心に留めておきたい心得の数々。この本にもっと早く出会いたかった。でも、実際に人を率いる立場で様々な葛藤を経験してから読んだほうが納得感は高いと思う。ぜひオススメの一冊

    ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
    【読書メモ】

    ●「我々は、知っていることを、すべて言葉にすることはできない」・・・我々の中には、「言葉で語りえない智恵」とでも呼ぶべきものが、たしかにあるのです。そして、それをあえて言葉にしたときには、必ず「大切な何か」が失われた感覚を呼び起こすのです。従って、こういった瞬間には、敢えて言葉を発するよりも、沈黙を守ることこそが優れた接し方になってくるのです。「沈黙は金」と呼ぶべき瞬間は、こうして生まれてきます。

    ●マネジメントにおいて未熟なマネジャーの多くは、この「言語知」の世界だけで仕事を行おうとする傾向があります。要するに、経営書やマネジメント書を読んで得た知識だけでマネジメントを行おうとしてしまうのです。・・・このことを裏返して言えば、こうしたマネジャーがそのマネジメントにおいて突き当たる壁の多くは、この「暗黙知」の世界を理解することによって、それを突き抜ける方法が見えてくるのです。

    ●現場経験の豊かな熟練のマネジャーは、体験的に知っているのです。「論理で割り切れる」という姿勢でプロジェクトを進めていくと、必ず、見落としてしまう「大切な何か」があるということを。

    ●企業とは、単純な論理では理解することができない複雑な生命体である

    ●本当に革新的なキーワードは、「忘れ去られてからが、本番」なのです

    ●ものごとが複雑化すると、新しい性質を獲得する

    ●直観力や洞察力を用いることによって、「大切な何か」を見失うことなく、全体をありのままに理解することができるのです。複雑な全体を、その複雑性のままに理解することができるのです。

    ●「論理的である」がゆえに直観力や洞察力を身につけられないのではありません。「論理に徹することができない」がゆえに直観力や洞察力を身につけられないのです。

    ●我々は、論理にて究め得ることを究め尽くしたとき、論理にて究め得ないことをしることがあるだろう

    ●直観力や洞察力の世界とは、論理の彼方に突き抜けたとき、到達する世界に他ならないのです。しかし、その世界に突き抜けるために求められるものは、実は、いかなるマニュアルでもテクニックでもありません。徹すること。それだけなのです。

    ●直観力や洞察力というものは、「人為によって身につける能力」ではありません。それは、気がついたら「自然に身についている能力」なのです。・・・「目的」ではなく「結果」にすぎないのです。・・・そして、それを身につけるために、もし「方法」とでも呼ぶべきものがあるとするならば、それは、ただ「徹する」ということに尽きるのです。

    ●この経営者は、何百人、何千人という社員の人生を預かり、安易に答えの出ない眼前の経営課題に全責任を賭けて取り組み、「何が正しい判断か」を極限にまで考え続けるという修練を通じて、その直観力を自然に身につけたのです。

    ●なぜ、これほど直観力や洞察力を身につけたいと願うマネジャーが溢れているにもかかわらず、それを身につけるマネジャーが少ないのか。・・・その原因は、手軽に直観力や洞察力を身につけたいと願うマネジャーの「精神」にこそあります。・・・こうした安易な精神からは、決して「徹する」という姿勢は生まれてこないからです。

    ●直観力や洞察力が真に発揮されるための条件を考えるとき、この「無我夢中になってしまう」という才能が、大切な意味を持つからです。・・・苛立ち、焦り、不安、恐怖などのエゴに振り回され、騒々しい心境で意思決定を行ったときには、直観力が曇り、誤った判断にながされてしまうからです。逆に、「無我夢中」「無心」の心境にあるときには、不思議なことに、直感と洞察の閃きが訪れるからです。

    ●企業の抱える問題は、当初、ある部門が小さな問題を抱えることから始めるのですが、それが循環構造を通じて急速に悪影響と悪循環を広げていき、短期間に企業全体の問題へと拡大していくのです。

    ●「東洋的治癒」の発想とは、この「全体観察」→「構造理解」→「要所加療」→「全体治癒」という循環的思考にもとづくものです。

    ●東洋的な発想にもとづいて「治癒」を促すためには、まず、企業の抱える問題の全体を観察し、その循環の構造を理解することが必要です。しかし、そのうえで、問題が循環的に改善されていくためには、最初に手をつけるべき「要所」があるのです。そこをおさえれば、あとは、順次、好循環が広がっていくという部分です。まさにこれを見抜く力が、マネジャーには求められるのです。

    ●全体観察において循環構造を把握する心的プロセスとは、このように、複雑な表面現象の中から特定の部分がコンステレーションを形成して、浮かび上がって見えるプロセスに他なりません。こうした心的プロセスこそが、大局観というものの本質なのです。

    ●我々マネジャーは、精神の厳しさを保持した「腹決め」は行うべきなのですが、精神の弱さから来る「割り切り」は、決して行うべきではないのです。なぜならば、マネジャーが精神の弱さから「割り切り」を行ったとき、それは、たとえこころの奥深くの世界であっても、必ずと言ってよいほどマネジメントの結果に影響を与えるからです。そうしたマネジャーの精神が、部下の教育に与える影響は大きいのです。

    ●優れた人材とは、究極、多くの「矛盾」を抱えた現実を前に、精神の強さを失うことなく、その「矛盾」と対峙し、自己の責任を賭した決断を行える人材だからです。・・・マネジャーが真に優れた部下を育てたいと考えるならば、部下に伝えるべきは「矛盾を解消するための方法」ではありません。彼が部下に教えるべきは、「矛盾と対峙し続ける姿勢」なのです。言葉を換えれば、我々マネジャーは、部下に対して「マネジメントの本質は、矛盾との対峙である」との真実をこそ、伝えなければならないのです。

    ●マネジメントの本質は、「矛盾」との対峙です。それゆえ、マネジャーの力量とは、その「矛盾」の両極の間でバランスを取る力に他なりません。そして、この「バランス感覚」とでも呼ぶべき力量は、熟練のマネジャーならば、誰もがその重要性を理解しているものであり、マネジャーにとっての最も高度な力量なのです。

    ●部下指導の基本は、仏教思想に言う「対機説法」、すなわち「部下の持っている力量に応じて語る」ことであるため、部下によって言うことが違わざるを得ないのですが、これに加えて、この「バランス感覚」がゆえに「部下の置かれている状況」に応じて、語ることが違ってくるのです。従って、この機敏を理解できない現場のスタッフからは、こうしたマネジャーの姿は「矛盾している」としか移らないでしょう。そして、優れた経営者でありながら、「矛盾だらけ」との陰口をたたかれている経営者が少なくないのは、こうしたことが理由でもあるのです。

    ●一つのことを言うと、まったく逆のことを言いたくなる

    ●魂の力とは、壮大な矛盾を心に抱き続ける力である

    ●市場が「創発性」や「自己組織性」を高めていくと、「明日は何が起こるか、まったく分からない」という意味で、分析や推理による「将来予測」が意味を失い、「思うように動かそうとしても、動かない」という意味で、設計や企画による「将来計画」が意味を失ってしまうのです。

    ●では、そうした「明日は何が起こるか、まったく分からない」という状態において、マネジャーにはいかなる能力が求められるのでしょうか?ここでもまた、答えは同じです。直観力や洞察力です。

    ●分析力や推理力については、「一人の個人」が単独で発揮する能力よりも、「複数の人間」が集団で発揮する能力のほうが一般に高いと言えます。しかし、直観力や洞察力については、優れた「一人の個人」が発揮する能力のほうが、「複数の人間」が集団で発揮する能力よりも高いことが多いのです。従って、「明日は何が起こるか、まったく分からない」という時代において、市場の動向を把握し、企業の進路を定めていくために求められるのは、集団の分析力や推理力ではなく、何よりも優れた個人の直観力や洞察力なのです。

    ●決断力を持ったマネジャーとは、いかなるマネジャーでしょうか?分かりやすく述べましょう。勘が鋭く、腹がすわり、言葉に力のあるマネジャーです。

    ●これからの「複雑系の時代」が、「未来がどうなるか?」との客観的予測よりも、「未来をどうするか?」との主観的意志にこそ、大きな価値がおかれる時代になっていくということです。

    ●言葉に力を与えるものとは何でしょうか?それを適切に表現する言葉はないのですが、敢えて言葉を選びましょう。それは「信念」です。その企画が必ず成功するという確信、その企画を絶対に成功させるという決意、そうした意味での「信念」をどれほど持っているか。そのことが、実は、隠しようもなく言葉に表れてしまうのです。

    ●熟練の経営者が見ているのは、企画の論理性や緻密性ではありません。それは、戦略やビジョンですらありません。究極、その経営者が見ているのは、ただ一つです。その企画を提案してきたマネジャーの、決意の強さと確信の深さです。

    ●成功するマネジャーは、意識的にも、無意識的にも、企業や市場という複雑系が、「小さな変化が大きな変動を生み出す」という性質を持っていることを知っているのです。いわば、これらのマネジャーは、あの言葉が真実であることを体得しているのです。神は細部に宿る。

    ●これらのマネジャーは、こだわるべき「細部」と、こだわらなくてよい「細部」を明確に区別しているのです。複雑計の言葉で表現すれば、「大きな変動」につながる可能性のある「小さな変化」と、「大きな変動」につながる可能性のない「小さな変化」を見分けているのです。それは、意味のある「ゆらぎ」と、意味のない「ゆらぎ」を見分けていると言ってもよいでしょう。

    ●「気配りの細やかな人」という評価は、人間や人間集団の「こころの流れ」を読む力が優れていることを意味しているのです。

    ●熟練のマネジャーが示す「完璧主義」とは、あくまで直観力や洞察力にもとづく「細やかさ」に他なりません。しかし、そうした直観力や洞察力を持たず、ただ「細かさ」だけに目を奪われるとき、マネジャーは「瑣末主義」に陥るのです。

    ●選手一人ひとりに適切なアドバイスをするということは、相手の「機」に応じてアドバイスをするということに他ならないからです。それが、「細やか」なアドバイスという意味です。それは、ただ「細かい」アドバイスを数多くすることではありません。そのアドバイスは、相手の「機」に応じたものならば、たった一つでもよいのです。

    ●「部下のこころを理解しているか」「人間のこころというものを理解しているか」そのことが深く問われるのです。そして、そのことに気づくとき、我々マネジャーは、「人間学」や「人間通」ということの真の意味を理解し始めるのです。

    ●「あのスタイルは彼だから成功する。あのスタイルを他の人間がやっても毒になる」

    ●「成功者」は、一つや二つの「秘訣」によって成功しているわけではありません。何よりも、そのことを理解すべきでしょう。「成功者」は、様々な能力のバランスが良いことによって成功しているのです。そして、このバランスとは、一人ひとりにとって極めて「個性的」なものなのです。

    ●成功者や成功事例から我々が学ぶべきは、一つや二つの「成功原因」ではありません。また、手軽な「成功方法」や「成功法則」でもありません。我々が、成功者や成功事例から学ぶべきは、何よりも、数多くの「成功原因」が織り成す「バランス」なのです。そして、我々が、成功者や成功事例からさらに深く学ぶべきは、自分の能力と個性に合ったバランスを掴み取るための「方法」なのです。

    ●もし、世の中に「成功の方法」とでも呼ぶべきものがあるとするならば、それは「自分の能力と個性に合ったバランスを掴み取る方法」に他ならないのです。

    ●「自分の能力と個性にあったバランス」というものを、いかにして掴み取っていくことができるのでしょうか?・・・「一晩中素振りをしなさい」という言葉が、その答えです。これはすなわち、「現実との格闘の中から掴み取りなさい」「現場での実践の中から見つけ出しなさい」という意味に他なりません。

    ●熟練のマネジャーは部下に対して、「何を身につけるべきか」を教えるのではなく、「何を行えば身につくか」をこそアドバイスすべきなのです。・・・「成功の体験」を持つマネジャーが、部下に対して伝えるべきは、その成功体験から学んだ「成功の方法」ではありません。むしろ、その成功体験から掴んだ「体験の方法」をこそ伝えるべきなのです。

    ●深い暗黙知は体験を通じてしか伝えられない

    ●我々マネジャーは、現場での体験を通じて獲得された自身の暗黙知に光を当て、その暗黙知を、やはり現場での体験を通じて、新しい世代に伝えていく努力をすべきなのです。こうした努力によってのみ、我々は、無意識に身についた「知行分離」の発想から脱し、新しい「知行合一」の思想にもとづく、二十一世紀のマネジメント論を創造していくことができるのでしょう。

    ●どのような「経験」も、事前に何らかの「仮説」を持って臨むのと、何も考えずに臨むのとでは、その経験から得られる暗黙知が決定的に違います。田中マネジャーは、事前に「仮説」を立て、事後にそれを「検証」することによって、一つの経験からできるだけ多くの暗黙知を学び取ろうとしているのです。

    ●マネジャーが若手社員に対する指導において、まず最初に身につけさせるべきは、「精神のスタミナ」とでも呼ぶべき、こうした「集中力」に他なりません。なぜならば、それは成長していくための「基礎体力」だからです。

    ●「集中力」を鍛えるための方法は、一つしかありません。それは、「集中力」が求められる場面を数多く経験することです。・・・いかなる小さな会議においても精神を集中して臨むという訓練を自己に課することです。

    ●しばしば、経営学の世界では「組織は戦略に従う」という原則が語られます。この言葉は、ある意味で極めて正しいことを述べているのですが、しかし、実際の現場のマネジメントにおいては、むしろ「組織は人材に従う」とでも呼ぶべき原則が支配しているのです。

    ●書物に書かれているある言葉が、我々に深い共感を呼び起こす瞬間があるとすれば、それは、書物から大切な「真実」を学んだ瞬間なのではなく、「著者の真実」と「読者の真実」が共鳴した瞬間に他ならないのです。

    ●「人間通」の力とは、粘り強い「人間との格闘」によってしか身につくことはありません。

    ●人間は「道具」ではありません。「機械」でもありません。誰といえども、他の誰かの意志に従って「操られたい」とは思っていないのです。

    ●マネジャーのこころの世界に潜む操作主義的な人間観は、必ずその人間集団の「こころの生態系」に反映し、それを、その貧困な人間観の水準にまで引き下げてしまうのです。

    ●自分の内面にある「エゴ」を見つめ、その動きが見えていることは、それだけで、その「エゴ」が衝動的に活動することによってもたらされる破壊的影響から、我々を救ってくれるのです。

    ●残念ながら、企業を見渡してみると、「部下の意見を聞く」ことはよく行われているのですが、「部下の声を聞き届ける」ということはあまり行われていないのです。

    ●「聞き届け」の姿勢とは「深い共感のこころを持って相手の話を聞く」ことであるとはいっても、それは、必ずしも部下の意見に「賛同」することを意味していません。では、「賛同」するのではないなら、どうするか?「正対」することです。マネジャーが、一人の人間として、部下という一人の人間と正面から向き合うことです。一人の人間に対する深い敬意を持って、正面から向き合うことです。

    ●「正対」するとは、シニカルな姿勢に陥ることなく、相手の人生に深い敬意を持って接することに他なりません。

    ●いかなる計算もなく、いかなる駆け引きもない、一途さや、一徹さ。そうしたことがマネジメントにおいて大切な価値とされる時代が回帰してくるのではないでしょうか。

    ●マネジャーが為すべきこと、そして、為し得ることは、その時代の環境に合った人材が自然に育つための条件を整えることです。言葉を換えれば、人材の成長を支援することが、マネジャーに求められるのです。

    ●マネジャーが為すべきことが、三つあります。
    ・「成長の方法」を教えること
    ・「成長の目標」を持たせること
    ・「成長の場」を創ること


    ●マネジャーが部下の成長を支えようとするならば、まず最初に教えるべきは、こうした「こころの姿勢」です。・・・この「こころの姿勢」であるかぎり、どれほど失敗を積み重ねようとも、必ず成長していける。この「こころの姿勢」であるかぎり、当面どれほどの成功がやってこようとも、必ず壁に突き当たる。そうした世界が存在するということです。

    ●新入社員だからこそ、最も「高み」にあるものを見せなければならないのです。・・・ビジネスマンとしてスタートした最も瑞々しい時期にこそ、最も高みにある頂を見上げるということをさせてあげるべきなのです。そうした意味で、新入社員の教育は、本来ならば、その組織で最も力量のある人間が行うことが望ましいのです。それは、ときに経営トップ自らの教育であってもよいでしょう。

    ●登山を目指す初心者には、もちろん、靴の履き方から、ザックの背負い方、地図の見方という基本的なことを教えなければなりません。しかし同時に、いつの日か昇るであろうアルプスの名山や、さらには、いつか登ってみたいと願うヒマラヤの最高峰を仰ぎ見せなければならないのです。そして、もし、その新入社員が、アルプスの名山やヒマラヤの最高峰をそのこころの深くに刻むならば、彼にとっての「成長の目標」は定まります。・・・それこそが、一人のビジネスマンの先輩であるマネジャーが、これからの長き道を歩み始めた一人の後輩に伝えてあげられる、おそらく最高の「何か」なのです。

    ●もし、組織の中心に立つ人間が、メンバーの誰よりも強い「成長への意欲」を持っているならば、その組織には、黙っていても「メンバーを成長させる空気」が生まれてきます。

    ●「こころの姿勢」とは、「終わりなき道」です。いかに優れたマネジャーといえども、「それを身につけた」との資格において、それを部下に語るべきものではありません。そうではありません。「それを身につけたい」との祈りを込めて、それを部下に語るべきものなのでしょう。

    ●例えば、部下の言動に苛立ちを感じる瞬間があるとします。その瞬間に、その苛立ちの感情に流される前に、「なぜ、自分はこれほど苛立ちを感じているのか?」を静かに問うてみればよいでしょう。そこには、部下の言動によって刺激された自身の劣等感や恐怖感、すなわち自分の「エゴ」のうごめきがあるかもしれません。

    ●「こころの成長」にとっての最も大きな課題の一つが、自分の中にある「劣等感」や「恐怖感」を乗り越えることができているかという課題なのです。

    ●しばしば「本来持っている力を発揮できていない」「力が萎縮してしまってうまく出てこない」などと評される人材がいます。・・・彼にとっての真の課題は、力の発揮を妨げている真理的問題をいかにして解決することができるかなのです。そして、その心理的課題の多くが、こころの深くにある「劣等感」や「恐怖感」の問題なのです。・・・これからの時代において、マネジャーに求められる役割は、メンバーの抱えているこうした心理的問題を解決することであり、そのことを通じて、メンバーの「心の成長」を支えることに他ならないのです。それは、おそらく、マネジメントの役割が、これまでの役割から大きく脱皮し、「セラピー」としてのマネジメントへと進化を遂げていくことを意味しているのでしょう。

    ●自ら成長の道を歩むものだけが、他者の成長を支えることができる。

    ●言葉や論理によって表すことができない暗黙地を伝えるには、古くから、これら三つの方法を用いるべきであるとされています。「否定法」「隠喩法」「指示法」という三つの方法です。

    ●真にマネジメントに役立つ書物とは、我々に、深い「矛盾」を突きつける書であり、豊かな「物語」を語る書であり、「体験」の方法を教える所に他ならないからです。

    ●複雑系の七つの性質
    1)分析によって理解することができない/分析不能性
    2)人為的に管理することができない/管理不能性
    3)情報に極めて敏感である/情報敏感性
    4)小さな変化が大きな変動をもたらす/摂動敏感性
    5)一部分だけを独立して換えることができない/分割不能性
    6)法則そのものが変わってしまう/法則無効性
    7)未来の挙動を予測することができない/予測不能性


    ●複雑系の七つの知
    1)個別の分析をするな、全体を洞察せよ/全体性の知
    2)設計・管理をするな、自己組織化を促せ/創発性の知
    3)情報共有ではない、情報共鳴を生み出せ/共鳴場の知
    4)組織の総合力ではない、個人の共鳴力を発揮せよ/共鳴力の知
    5)部分治療ではない、全体治療を実現せよ/共進化の知
    6)法則は不変ではない、法則を変えよ/超進化の知
    7)未来を予測するな、未来を創造せよ/一回性の知


    ●これからの情報社会において、我々マネジャーは、企業や市場という「高度な複雑系」に処する智恵とともに、職場の「こころの生態系」という「極めて高度な複雑系」に処するための智恵を、身につけなければならないのです。そして、その智恵とは、本講義で述べた、豊かで、細やかな、そして深みある「暗黙知」に他ならないのです。

    ●これからの新しい時代、マネジメントは、企業を合理的に運営するための単なる「テクニック」ではなく、「生きたシステム」としての市場や企業や職場に処するための高度な「アート」になっていきます。

    ●もし、マネジメントというものが「アート」へと進化していくものであるならば、我々マネジャーは、その「アート」が残す「作品」に思いを馳せなければなりません。その「作品」とは、一人のマネジャーが、深い縁あって巡り会った「部下」と名のつく人々と、こころを結び、力を合わせ、魂を込めて残していく「仕事」という名の作品に他ならないのです。

全32件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

シンクタンク・ソフィアバンク代表

「2023年 『能力を磨く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

田坂広志の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×