脳科学エッセンシャル 精神疾患の生物学的理解のために (専門医のための精神科臨床リュミエール)

制作 : 神庭 重信  加藤 忠史 
  • 中山書店
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感想 : 2
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784521731308

作品紹介・あらすじ

最先端の脳科学研究のエッセンスを幅広く集約、イラストを多用して視覚的に理解しやすく工夫した。脳から回路、分子へと、脳を俯瞰した脳科学の入門書。

感想・レビュー・書評

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  •  「脳」の話が色々ありました。8割ぐらいつまんなかったですが2割ぐらいは面白かったです。

     個人的に面白かったのは、
    「ソマティックマーカー仮説」
     繰り返し、ダメな行動をしてしまう人(たとえばギャンブル依存)は、カラダの痛みをイメージする箇所の機能が弱い、というハナシ。

     どういうことかというと、我々が、たとえばおそろしく勝率の低いギャンブルを目にした時、それを避けるのは、それによってもたらされる不利益をまるでカラダの痛みのように感じるからなのだとか。
     つまり、「イタい目」をあらかじめ脳内で予行演習するからやめるのですね。けど、ギャンブル依存なんかではこの「痛み」を感じるのが難しいらしいです。
     そしてこの頭の中でイメージされる「痛み」は実際の身体的な「痛み」を感じる箇所と密接にリンクしている、というハナシです。

     「痛い目を見ないと治らない」とよくいわれますが、困った行動を繰り返す人の中にはその「痛さ」すら感じられないひともいる。
     という考えようによっては恐ろしい話です。こわっ。

     むかし「ほんまでっか」の軍事評論家のテリーさんが「凶悪犯の中にはカラダの痛みに対しておそろしく鈍い人間がいる」といってましたが、それに通じるかもしれません。
      
     そこから導き出されるひとつの乱暴な結論としては「痛みを感じる能力の恩恵に我々は浴している。肉体的にも、社会的にも」。
     痛みを感じられなければ、肉体はおろか、社会的に破滅するかもしれない行為に歯止めがかからない。この原始的な抑止力の上に生活が成り立っている、ってことですね。

     あと、我々が判断し、行動するのは色々な情報を集めて、そこから帰納法的に動くのではなく、まず、どう動くか算段してから不利な状況を回避するように動くのだとか。
     まずは直感ありきで生きている私(笑)にはとても得心がいくのですが他の人はどうなんだろう???
    =============================


    Craigのinteroception仮説
    島皮質と精神疾患
     島皮質の後方から前方へと感覚の統合が進むことにより、最終的にある瞬間のが形成される。
    ============================
    <前提>
     人間の脳には様々な箇所があります。 のっぺりと一様に見える脳ですが、働き方は一様ではなく、特定の場所で、決まった情報の処理をしています。
     大きなデパートで、地下1階は食品、1階は化粧品を置いているようなかんじです。
     たとえば、側頭葉(左右側の脳領域)は音声に関する場所です。
     後頭葉(頭の後ろ側)は視覚に関する場所です。

     そのなかで頭を上から見ると2時と10時の方向の内側に「島(insula)」とよばれる箇所があります。
     広い場所ではないですか、前方と後方で処理する情報が違っているようです。
     前方は情動や認知、感情(不安や期待など自分の内側に感じる感覚)
     後方は体性感覚(暑い、寒いなど外側からもたらされる刺激に対する反応)を感知するんじゃないかといわれています。
     そして、ここに投射している神経線維は後方から前方に向かって統合されていきます。

     その解剖学的な知見からもたらされるのが「Craigのinteroception仮説」です。
     外側からの刺激に反応した身体からの情報と、脳内からの情動・感情の両方を「島」で統合させて、人間は「直覚的自己をあらわす全情動的瞬間」を感じている、という仮説です。

    <本論>
     上記をもうすこし砕いて説明すると、「外」側からの知覚と、「内」側からの知覚を統合して初めて、「いまここにいる自分」というのを人間は知覚しているのではないかと。
     そして、それを担当しているのが脳の中の「島」という部分ではないか、という仮説です。
     
     よくSFなんかで首だけ人間が出てきますが、よしんば、首だけor脳だけで生きていける装置が開発できたとしても、そのヒト(?)たちが、「今ここにいる自分」を認知して、人間らしい滑らかな会話を交わすのは難しいのじゃないかと。もっとはっきり言うと、錯乱しているんじゃないか、と。
     なんでかというと「外」側の知覚がないからです。
     人間の「いまここの自分」を支える2本の柱の1つがないからです。
     
     *人間が外側の刺激が全くない状況に放り込まれると、おかしくなる、という説は枚挙にいとまがありません。昔の拷問でもあったそうですし。
     **そうなると、自分で自分の話し相手を脳内で作り出して話し出すこともあるそうです(当然、外からは廃人になったように見える)

  • 所在:紀三井寺館1F 請求記号:WM100||S3||16
    和医大OPAC→http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=166292

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