養老孟司ガクモンの壁

制作 : 日経サイエンス 
  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532191917

作品紹介・あらすじ

博覧強記の養老先生と第一線で活躍中の若手科学者との面白対談集。ネアンデルタール人と人類は何が違うのか、クローンとは何か、視覚や聴覚はどう認識されるのか、人はなぜ超常現象を信じるのかなど、文理の壁や学問領域を軽々と飛び越えた知のトークバトル。

感想・レビュー・書評

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  • この、日経サイエンスの対談集はすこぶる面白い。
    あとがきを見たところ、研究者の先生方に新たな、
    視点を与えるためのものと書かれているが、
    対談集だし、両者に教養があり、所々に、編集さんが、
    注をつけてくれているのもありがたかったりした。

    で、この対談集内容自体はもう、十年ちょい前のもの。
    なので、少し古いが、それにしたって、面白いし、
    この書籍は主に「脳」が主題となっており、
    脳なんてものは、「未だに何もわかってない」と言われている、
    くらいの分野なので、読む価値あり。

    個人的に研究者同士、意見が違っていたりするのは面白い。
    養老さん的には、「視覚と聴覚は右脳にメインがあり、
    それぞれ楕円形に伸びたものは左脳で重なり、その重なった部分が、
    言語らしい」
    だが、これに対してとある科学者が、
    「そんな単純じゃない」と一蹴しており、
    しかしその後、養老さんは別の科学者に得々と上記のモデルを、
    語っていたりして、ちょっとにやにやしてしまう。
    やっぱり科学者のみなさんは自分なりのモデルをそれぞれ、
    構築している。そして、そのモデルってのはひとによって、
    たぶん少しずつ違うのだろう。

    ということはどういうことか?
    科学というものは、つまり、解釈を避けられないものである。
    いささか科学至上主義という考え方が広まっているが、
    しかし、実は科学と解釈は不可分なのだ。
    なんでかっつーと、
    科学ってのは、
    「仮説(モデル)」→「実験(データ)」→「証明(結論)」
    みたいな感じの流れになっていくのだが、
    モデルってのは自分なりの解釈で、
    データからどういう結論を導くのかもやはりまた解釈なのである。
    とはいえ、科学の基本は「反証主義」なのであって、
    つまり、反対意見が出て本当に正しいのかどうか証明していくことによって、発達していくもの科学。ただし、権威が崩れたりだとか、短期的な結果が求められたりだとかで、なかなかそういう大胆なこともできないようで、学者先生たちも大変なようだ。いえ、皮肉ではないです。純粋に。


    さて、本著は人間の起こりから、脳(ハード)を経て、最期には、精神(ソフト?)へと描かれている。まぁ、ハードとソフトの関係はちょっと安直かもしれないが悪しからず。人間の起こりから言えば、現代人類は、ネアンデルタールとクロマニョンの混血か否か、というのが一つの焦点なのかも(一応、大学でそういう分野が専門ではあったので)。
    あるいは、旧人と現代人の間の交流などいろいろな部分が焦点になってきてはいるが、ここで養老さんが問題としているのは、
    「脳が発達したから言語機能などを獲得したのか?」
    あるいは、
    「言語機能などを獲得していく中で脳がでかくなった?あるいは、最初からそういうことできた?」的な感じだろうか。前者と一般的には思われているが、(教科書など)、しかし、実際は違うのではないか?というあたりは面白いところ。

    そこから、さらに脳っていうハードへすすんで行く。養老さんは、唯脳論主義らしい。つまり、全ては脳につまっている。心だって脳にある。まあ、それもまた一つなのかもしれない。で、本著では、ソフト、つまり、外的な反応と脳内での細胞の変化などを関連付けて調べているもよう。細胞群の集まりの単位みたいなのをコラムと言うようです(たぶん)。
    また、コラム同士が競合している?という考え方なんかも面白い。競合主義、合理主義が人間の体内ですら繰り広げられているだなんて、しかし、それは、逆にそういう考え方に縛られているのでは?とも言われている。
    ちなみに、心と脳のあたりがかなり面白いです。ときおり臨死体験というものがあって、それによって、精神があるのではないか?と言われるのだが、果たしてどうだろうかという内容。つまり、臨死体験の記憶っていうのは、意識を失い眠りにつくまでの記憶や、あるいは、意識を取り戻してから目覚めるまでの記憶をいい感じで再構成しているのではないか?というもの。
    これは不粋ではあるが、確かに的を射ている。

    で、最終的にはそれでも、精神的な部分へと至る。
    つまり、ハードに拘っていると大胆な仮説は立てられないので、
    いっそうのこと、心理学的に、外部への表出を元に内部へと、
    辿るというもので、これは大胆なだけになかなか客観性を持たせるのは難しくて、「そういうことも言えるよね」とか「たしかに論理性はあるけれど」となってしまいがちで、そのあたりに養老さんは苦言を呈してもいる。

    また、トラウマは自分で克服するべきか、あるいは、病気として直してもらうべきか?など。しかし、病気レベルまで表出してしまえば意外と治療できるから楽で、無意識的にときおりぽつりぽつりと出てきてしまう場合には、それはどうしたものか?それは見てみぬ振りをするのか?しかし、現在的な辛さっていうのはそこにあるのではないだろうか?

    自己分析という言葉があるが、しかし、ほんとうの意味での自己分析をしてしまえば、そういうトラウマまで掘り返すことになる。そういう意味で、一般的に言われている自己分析は都合のいい部分だけを掘り返せということなのだろうと感じる。また、今の社会はやはり、社会に適合するべき「形」を強いている気がする。では、自分の内面的な「変形」に気付いてしまったひとは、あるいは無意識的に苦しめられているひとはどうすればいいのか?

    この頃自分の方向性を見失いかけていたが、やりたいこと、やれること、やらなければならないことが、また少し見えてきた気がする。漠然とだけれども。とりあえず、俺に出来ることは自分を実験材料にすること。結局、自分以外のひとを実験材料にするとそこに主観が挟まらないから、観察(客観)でしかない。しかし、主観も絶対的に必要だと思うし、対談でもそういうことを言っておられるひとがいた。亡くなってしまわれたようだが……。

    ほかに印象に残っている箇所。
    アルファベットは単語レベルでなくては意味を持たない。感じは一文字で意味を持つ。そういう意味で、使われる箇所が違い鍛えられるものも違うだとか、匂いや視界に比べて味は言語化するのが難しいのは、言語は嗅覚と視覚と係わり合いが深いからでは?だとか、昔の日本では、変人を変人として受け容れられたが今はそうはいかない、だとか、超常現象ってやつは昔は宗教と一体だったが現在は切り離され、また、そういうものがありうると一般的に広く信じられるようになっているが、それは反証をする思考能力に欠けているからでは?などといったあたりだろうか。後はハードから迫る自我だとか、バイリンガルは言語機能がそれぞれ独立しているけれど、外国語として覚えたひとは一つの中に複数の機能が混ざってるとか、細胞死アポトーシス(再生系細胞)とアポビーオーシス(非再生系細胞、神経細胞(脳細胞)とか心筋細胞とか)の区分、夢は記憶の整理説だとか、IQの度合いや低下が脳断面図からわかるだとか、卒業した学校などが小さく見えるのは、自分が大きくなったからというのもあるけれど、自分がその場所にあるものなどを具体的に覚えてるがゆえに、それらを詰めこみ空間的把握が大きめになってしまうからでは?だとか、まぁ、面白い内容が盛りだくさんではある。

    以上。

  • 帯表
    養老教授vs最先端研究者
    丁々発止のトークバトル!
    ここまでわかった「人間の謎」

    日経サイエンス初出一覧

    第一部 人はどこからきたか
    1 魅惑のネアンデルタール人 奈良貴史 一九九八年四月号
    2 神殿から生まれた古代アンデス文明 関雄二 一九九八年六月号
    3 言葉の中に過去の文化が見える 井上京子 一九九八年一一月号
    4 遺伝と環境が作る人間の能力 安藤寿康 一九九七年七月号
    第二部 知覚・感覚・生命の謎を追う
    5 視覚の不思議、脳の不思議 田中啓治 一九九八年一月号
    6 聴覚と言葉の起源を求めて 森浩一 一九九八年八月号
    7 ナメクジで探る嗅覚の秘密 木村哲也 一九九八年九月号
    8 「細胞死」から生命を問い直す 田沼靖一 一九九八年五月号
    第三部 自分とは何か、こころはな何か
    9 脳の中に「こころ」を探る 百瀬敏光 一九九七年八月号
    10 人が「ことば」を習得するとき 正高信男 一九九七年一〇月号
    11 自我はどのように生まれたか 澤口俊之 一九九七年一二月号
    12 記憶の確かさ、不確かさ 仲真紀子 一九九九年二月号
    13 人間の心はかくも傷つきやすい 崎尾英子 一九九九年四月号
    14 人はなぜ超常現象を信じるのか 菊池聡 一九九九年一月号

    本書は一九九九年六月に刊行した『養老孟司・学問の格闘』を文庫化したものです。

  • ごく浅く少し広く。

  • 「養老孟司ガクモンの壁」3

    編  日経サイエンス
    出版 日経ビジネス人文庫

    p263より引用
    “ほんとうの手入れというのは、自然をうまく改変していくこと
    なんです。つまり、完全に人工的なものじゃないし、かといって
    自然のものでもない。それが手入れなんです。”

     解剖学者と現場の最前線で研究している科学者による、それぞ
    れの研究についての対談・議論をまとめた一冊。同社から刊行さ
    れた「養老孟司・学問の格闘」改題文庫版。
     人類学についてから超常現象についてまで、前線で活躍されて
    いる研究者の貴重な意見が語られています。

     上記の引用は、研究費と責任について語られた項での一文。
    自然を相手にするから終点は見えないとのことで、その為に、ど
    うなるかわからない研究には公的な予算がつきにくいそうです。
    お金を出して学問や研究を手助けするのではなく、投資ビジネス
    の一種として見ているのでしょうか。

    ーーーーー

  • 養老さんと脳科学者の澤口さんとの
    対談内容が興味深い。
    また澤口さんは、京都大学の霊長類研究所で
    研究されていた。
    先日、同研究所の講演を拝聴したばかりだったので
    大変共感した。
    ぜひ澤口さんの本を読んでみたいと思いました。

  • 博覧強記の養老先生と第一線で活躍中の若手科学者との面白対談集。ネアンデルタール人と人類は何が違うのか、クローンとは何か、視覚や聴覚はどう認識されるのか、人はなぜ超常現象を信じるのかなど、文理の壁や学問領域を軽々と飛び越えた知のトークバトル。


    なるほど!
    といった学びも多々ありました。
    後は読み手次第の感想になるような気が・・・??

  • 掲載記事は少し古いけど、こりゃおもしれえ。ナメクジとかネアンデルタール人とかまさに私のためにあるような話題ばかり。さいこー。わくわくする。

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