景観形成と地域コミュニティ―地域資本を増やす景観政策

著者 :
  • 農山漁村文化協会
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784540083051

作品紹介・あらすじ

「生活環境主義」「地域資本」「責任主体としての地域コミュニティ」をキーワードにした「地方から」の景観論。地域の暮らしと個性を生かし、地域資本を増大させる景観形成はいかに可能か。各地の実践に学ぶ。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は大きな欠陥を抱えている。それは、「景観」という言葉の意味を十分に理解、検討せずに書かれていることだ。景観と風景は違う。本書では景観を冒頭部に(表紙でも)平気で「scenery」と書いてある。これは風景や舞台用背景を表す言葉で、表面的な意味合いしかもたない。風景という言葉があるにも関わらず、景観という言葉がなぜ生まれたのか、その経緯すら理解出来ていないことが容易に伺える。

    風景は既に示したように、一面的な意味しか持たない。
    それに対して景観は「landscape」の訳語であり、自然、人工、人間の営み(文化)、人間の五感全てで感じられる物を含んだ意味を持つ。風景という言葉の代用品として景観を用いることをここまで強く否定するのは、そのような誤用が為される場合、決まって科学的な視線を欠くためである。

    風景には自然物、牧歌的なものこそ正義であり、人工物、ビル等は悪であるという決め付けから出発する。本書もその例に漏れず、善悪の定義すら済んでいない段階で、平然と自然物を正義とする。地理学では景観や文化等に優劣をつけないが、このような研究の多くは、自分の好きな物、嫌いな物を論い、その理由を持って回ったような言い方とアカデミズムで強化するという、学問として極めて不純な物ばかりである。

    もっとも、このような内容の方が、受け入れ易く、なんとなく理解した気になれるわけで、「善悪」の判断を既に済ませた人達にとっては嬉しい一冊だろう。しかし、重ねて申し上げるが、出発点が不純な研究に、価値があろうはずがない。自然と調査や統計、文章にバイアス(偏向)がかかり、研究としては低劣な物に終始することがほとんどである。

    このような本を読んで、地域研究の大切さを理解しただとか、コミュニティ、景観保全の必要性を感じたなどと言うに至っては悲劇以外の何物でもない。無垢な学生を騙まし討ち(酷い場所では教授も騙されている)し、善悪の先入観を与えるような本書は、悪書と言っていいだろう。

    抽象的で分かりにくいかもしれないので例を挙げたい。人工物は必ずしも悪ではないという例となるが、東京タワーは悪だろうか。東京の象徴、東京のランドマーク、景観として多くの人々に認識されていることは、疑う余地も無いだろう。今、あのタワーは人工物だから東京の景観を壊していると言ったところで、変人扱いを受けることは明白だ。

    何をもってして善とし、悪とするかなどは議論するに値せず、このような無駄な議論の為に地域を引き合いに出すことは、人間の営みの否定に他ならない。自然物が善だというのであれば、村などは存在してはならないことになる。都市を悪とし、相対的に都市ほどではない悪である村落を善としているのは滑稽でしかない。彼らはその矛盾に気付くことも無く、都市及び都市化を今日も否定している。

    無理解な連中の、「売れる研究」には辟易している。
    読者各位には、このような「売れる研究」に惑わされないよう気をつけて頂きたい。
    それは読み易く、通俗的ですぐに腑に落ちる。
    知らず知らずの内に、高尚な研究から知識を得たと思わされ、自らも「売れる研究」支持者とされていることがある。

    私の最も好かない類の研究書籍であるために、1ツ星とした。
    大学の講義等で見かけると聞くが、教授が本書を上記の様な手法で批判的に利用する場合を除いて、教材としては相応しくないだろう。

  • ざざざっと読んだ。
    事例部分がおもしろかった。
    環境社会学とか、まちづくりとか一生懸命やらなきゃいけない機会がきたら読み直したい。

  • ゼミの使用テキストとして読んだ本。

    地域資本としての景観をいかに形成していくかという議論が、具体的なケーススタディの中で進められていく。
    キーワードとなっているのは、「景観」と「コミュニティ」。

    著者達の主張を端的にまとめると、景観はコミュニティが自然に対して働きかけることで形成されるのであるから、コミュニティが景観の支配権と責任を持つべき、というものである。


    地方自治という観点から見たときに面白かったのは、景観政策について地方が主導した景観条例とそれに対応して国が制定した景観法の間に矛盾があるという議論である。地方自治体が進めてきた都市景観条例などは住民の景観に対する熱心な行動に裏付けられ、それを支援する形で発達してきたのであり、主役は住民であった。

    それに対して景観法では、法律としては当然だが、命令と勧告、許可と規制から成り立っているのであり、住民の意見を汲む配慮がされていても住民は主役ではない。その結果、自治体の条例から自主性が減少してしまったというのである。


    この矛盾を解消するためにも、コミュニティが景観の支配権を持つべき、というのが著者の議論である。
    ただ、コミュニティに深く入り込んだ社会学的な調査が中心となっており、社会学的調査としては十分に説得力を持つ議論なのだと思うけど、政治学専攻の学生としては行政や政治の役割にももう少し踏み込んで欲しかったと感じた。

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著者プロフィール

鳥越 皓之(とりごえ・ひろゆき):1944年、沖縄県生まれ。東京教育大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。関西学院大学教授、筑波大学教授、早稲田大学教授、大手前大学学長などを経て、現在は大手前大学大学院比較文化研究科教授。早稲田大学名誉教授。日本社会学会会長、日本村落研究学会会長を歴任。著書に、『水と日本人』(岩波書店)、『琉球国の滅亡とハワイ移民』(吉川弘文館)、『花をたずねて吉野山』(集英社新書)、『地域自治会の研究』(ミネルヴァ書房)などがある。

「2023年 『村の社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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