エドウィン・マルハウス: あるアメリカ作家の生と死

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (401ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560047682

作品紹介・あらすじ

十一歳で死んだ天才少年作家の克明な伝記、しかも書いたのは同い年の親友!意表をつく設定で描かれる濃密な子供の宇宙。

感想・レビュー・書評

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  • 小学生のころの、めちゃくちゃ集中して遊んだり読んだりしていた時間を思い出した。ある日の日差しの具合とか、自分がどれだけ息を詰めてそれを見ていたかとか。特に思い出したくもない子供時代を過ごしたけれど、一日一日の充実と世界の鮮やかさは、今とは比べものにならなかった。

    後半、死の色がどんどん濃くなってきて落ち着かなくなる。いびつな花が開いて息ができないような濃い匂いを放つ展開が、デビュー作からミルハウザーだ。視線は常にエドウィンに向かっているけれど、ジェフリーの(狂気/執着についての)小説だった。

  • 12/26 読了。
    11歳のジェフリー・カートランドは、その驚異的な記憶力を駆使して、同じく11歳で死んだ幼馴染エドウィン・マルハウスの伝記を書く。それは生後6ヶ月のジェフリーが新生児のエドウィンと初めて対面した瞬間から、彼の心を支配し続けた使命だった。エドウィンは言葉の持つ意味と音とを全く別のものとして捉えていたがゆえに、平均よりも言葉を覚えるのが遅かったが、それは特異な言葉遊びのセンスを培う土壌でもあった。絵本とアニメ映画が大好きなエドウィンは、病弱なために両親によって地下室に閉じ込められている年上の男の子エドワード・ペンが壁に書き殴ったアニメキャラの世界に夢中になる。性悪な少女に恋をしたことを誰にも話さず衰弱するまでふさぎ込んだり、不良の転校生に預けられた銃を引き出しの中に隠し持っていたりもする。そして遂に10歳にして傑作小説「まんが」(足穂の「一千一秒物語」そっくり!)を完成させたエドウィンは、"11歳の誕生日に自分の人生そのものを芸術へと昇華させる"という考えに取り憑かれ始める。幼馴染のジェフリーはその全てを見届け、そして書いた。

    ミルハウザーの偏執狂的なディテールへの拘りが、セピア色のノスタルジーではなく極彩色の悪夢としての少年時代を眩暈がするほどくっきりと立ち上がらせる大傑作。
    まず、11歳という年齢の設定が絶妙。思春期を目前としながら異性を見下しているため、同性同士の繋がりの方が余程強固で依存度が高く、とはいえ自分は親友よりもちょっぴり優位に立っていたい、という年齢の焦燥感と執着心。こういうプレティーンあるいはローティーン期における性愛未満の同性愛的な友情は少女について書かれたものが多いが、少年たちだって切実に"自分の片割れ"を求めているのだ。エドウィンが挙げた「僕の人生に大きく影響を与えた3人の人物」の中に入れてもらえず、後から「それと、君もね」と慌てて付け足したエドウィンに対して悔し紛れに「君は昔から計算が下手くそだからな」と返すジェフリーの姿には、心臓を針の先で突かれているような痛みを感じる。
    ジェフリーは自らの執着心を伝記作家としての使命と結びつけているが、実際なかなか危うい地点まで進んでいる。例えば、エドウィンが再び恋の病に取り憑かれたと思い込み、恋の候補者である少女4人に聞き込みをしているうちに勘違いされて(仕向けて)ジェフリーは全員からラブレターを貰ってしまうのだが、そのラブレターをベッドで伏せているエドウィンに読ませながら「エドウィンよ、泣くがいい!叫ぶがいい!頼むからその手紙を破り捨ててくれ。あの女狐たちの顔など、二度と見たくないと言ってくれ」と吐き出す心情は、屈折した恋心と呼んでもいいのではないだろうか(私は『こころ』の先生がKに「向上心のない者はばかだ」というシーンにも匹敵すると思う)?また、執筆にかかりきりになったエドウィンの代わりに彼の妹のカレンと遊びながら、「僕は兄たちに見捨てられたこの世の妹たちの哀れさを思い、悲しみに胸を詰まらせた。それが他ならぬ自分に対する悲しみだと、心のどこかで知りながら」と独白するジェフリーは、自分の感情に気付き始めていたに違いない。勿論、これは本書を同性愛小説だと断じたいわけではなく、11歳という年齢ならではの切実な問題がプロットと分かち難く結びついていることを言いたいのである。思い当たる節がありすぎるエピソードがザクザク出てくるので、自分の小学生時代のトラウマをたくさん思い出してしまった…。

    エドウィンの伝記を書き終えたあと、ジェフリーはどこへ行ったのだろう。序文によれば行方知れずになっているというが、私はジェフリーはこの本の中に閉じ込められてしまったのだと思う。ジェフリーは徹底して観察者であり、エドウィンを映し出す鏡として存在した影=分身だった。彼は自らの使命を好んでおり、「芸術家は芸術を生み出すが、伝記作家は芸術家を生み出す」「僕がいなければ、エドウィン、君は果たして存在していただろうか?」と嘯くが、彼の方こそエドウィンなくして存在することはできないのである。だからこそ遂にエドウィンが11歳の誕生日を迎える一連のシーンは、ポーの「ウィリアム・ウィルソン」のクライマックスにも似た緊迫感を持つ。エドウィンの存在が伝記なしには証明できないように、エドウィンの消えた世界に観察者の生きる場所もないのだ、永遠に少年時代を閉じ込めたこの本以外には。

  • 最初はエドウィン変な子だなーと思いながら読んでたけど途中でジェフリーの異常さに気づくとエドウィンが子供らしくて可愛く感じてくる。

  • 「グロテスクな愛らしさ」これはジェフリーがエドウィンの嗜好について表した言葉だけれど、私はジェフリー自身のことをより表していると思った。子どもは決して純真な天使などではなく、生々しく闇を抱えた存在でもあることが鮮やかに感受性豊かに描かれていた。傑作。

  • なんと言ったらいいか…。
    衝撃さめやらずといえばあまりにありきたりな文言ではあるけれど、それが一番近いのかもしれない。

    なんといっても11歳の、いや11歳の誕生日までしか生きていないのだから、10歳の天才作家の人生の、濃密な記録なのだから。
    彼の人生の最初から最後までを観察していたのが、ジェフリー・カートライト。
    ジェフリーが生後6か月と3日たった日に、エドウィンは隣の家にやってくる。生まれた病院から両親の家へ。
    その時のことをジェフリーは事細かに記す。
    日射しの柔かさ、木々の影、そして雲の形まで。
    そう、ジェフリーは驚異的な記憶力の持主なのである。何しろエドウィンが発した喃語(あ~、とか、ん~、とか)まですべてを執拗に覚えている。意味も音も。

    同じ学年ではあるけれど半年早く生まれたジェフリーの方が、言葉を早く覚え、大人びた少年(幼児)であったのに対し、エドウィンは割とゆっくり成長する。自分のペースで。
    言葉を音のおもしろさとして捉えたエドウィンは、言葉と意味をつなげることがなかなかできなかった。
    そして、子ども向けの扁平なお話ではなく、大学でイギリス文学を教える父が読むディケンズやシェークスピアの朗読の方を好む子どもでもあった。

    二人はそろって幼稚園児になるが、淡々と幼稚園の行事をこなすジェフリーに対してエドウィンは真剣に季節の行事を楽しみ、次の行事を心待ちにする。
    “子供は時のない“今”を生きているなどと言わないでほしい。狂おしいまでの未来への切望、永遠に繰り返される熱狂的な期待、それこそが子供時代なのだから。”

    言葉に対する執着もさることながら、エドウィンは興味のあることにはとことんのめり込む。
    ゲームだったりパズルだったり。
    子どもらしい遊びは何でも好きだが、特に好きなものに対する集中力のすさまじさ、こだわりの強さときたら、彼の右に出る者はいない。
    これこそが、ジェフリーがエドウィンに見出した天与の才なのである。

    小学校に上がる直前にできた友だち。エドワード・ペン。
    7歳の彼は体が弱く、学校にもほとんど行かずに家の地下室で毎日を過ごしている。
    そのほとんどの時間を、絵を描くことに費やしながら。
    水彩画、油絵、サインペン、色鉛筆、クレヨン。あらゆる画材を使って、精密に絵を描き続けるペンの姿はエドワードを捉えて離さない。

    間違い探し、ぱらぱらマンガ。そして、現実にはいない動物たちの絵。
    空想の産物を事細かに、そしてどこまでも深く掘り下げて描くペン。
    彼との交流は、彼の突然の拒否によって強制的に幕を閉じることになる。

    小学生になって、初めての恋。
    これもまた凄まじいもので、とにかくプレゼント攻撃。そして追いかける。
    相手のローズは小学校低学年とは思えないほどのワルで、人の嫌がること、困ったことをするのがとにかく好き。
    エドウィンが彼女のどこに好意を感じたのかはわからないが、彼女にささげる詩を書いたことが、エドウィンの人生に何らかの影響は与えたことだろう。

    エドウィンのことを好きではないが、彼のくれるプレゼントだけを心待ちにし、彼の心をもてあそぶローズ。
    だが、彼女はやり過ぎた。
    自分が彼女に嫌われていることを過剰に感じ取ったエドウィンは、徹底的に彼女と距離をおく。
    たとえ好きではない相手からでも、毎日好意を示し続けられていたのに、突然距離をおかれた彼女は混乱し、いたずらはますます手が付けられなくなり、とうとう…。

    つぎにエドウィンの心を捉えたのは、一匹狼の転校生アーノルド・ハセルストローム。
    優等生のエドウィンと問題児のアーノルドは、全くの正反対だからこそ惹かれあった。
    しかし、やはりそれも長続きはしなかった。
    お互いがお互いに歩み寄ろうとした時に、惹かれあったはずの何かが消えてしまったのだ。
    そして、やけになったとしか思えないアーノルドの行動が悲劇を…。

    エドウィンの人生に影響を与えた3人。ペン。ローズ。アーノルド。
    ジェフリーはそれを苦々しい思いで見ているしかない。

    エドウィンより成績がよいジェフリーは、しかし決して目立つことなく、つねにエドウィンにつき従っている。すべてを見て、記憶するために。
    こうなってくると、実は天才はどちらなのかわからなくなる。
    ジェフリーが天才と言っているからこそ、エドウィンは天才なのかもしれない。

    そして9歳。ついにエドウィンが小説を書く。
    夜も寝ないで憑りつかれたように書いた小説「まんが」
    言葉にこだわり、表現にこだわりぬいたその作品は1年半かけて完成する。その集中の凄まじさ。

    エドウィンにとってのジェフリー。ジェフリーにとってのエドウィン。
    それは光と影のように、お互いを際立たせるものなのか。それともコインの裏と表のように、決して並び立つことができないものなのか。
    最後まで読んでもわからない。
    そもそもエドウィンの死の意味すらも、読みようによっては解釈を変えてしまう。

    エドウィンの、世界を開いていくような物事へのこだわり。
    ジェフリーの、ただひたすらエドウィンだけを見続けるこだわり。

    ジェフリーはエドウィンを表した言葉。
    “このことは是非とも心に留めておいていただきたいのだが、僕ら一人一人がみんなエドウィンだったのだ。彼が持っていた才能とは、要するに、夢想する力の一途さ、そして何ひとつ手放すまいとする執拗さだったのだ。(中略)何かに執着できる能力を天才と呼ばずして、いったい何を天才と呼ぶのだろう?普通の子供なら誰だってその能力を持っているのだ。(中略)もっと正確に言うなら、天才とは何かに執着する能力を維持する才能である。”
    だとしたら、ジェフリーだって、天才だった。

  • こと細かな美しい描写が子供のころを思い出させる。

    登場人物の子供達の行動範囲は物理的には限られていて、世界は狭いのだが、日々は濃密である。雪の日、不思議で刺激的な友人、初恋の女の子、雷、乱暴な転入生...。
    子供の青空のような純粋さだけではなく、暗闇の部分が印象的だ。執着、わがまま、気まぐれ、嫉妬、残酷さ...。


    そして、それだけでは終わらなかった。
    最後まで読んで、混乱させられた。

  • 〈子供によって書かれた子供の伝記〉という表面上のプロット以上に複雑なプロットが隠され、ラストの戦慄と衝撃は未消化のまま引きずります。(始めに示される)書き手ジェフリーの失踪に、物語後のまた別の事件を謎めかされます(深読みしすぎ?)。アーヴィングの作品を想起しましたが、もっと鋭利で冷ややかな緊張がありました。長閑な始まりの第1章は少々退屈、2章以降の躍動感あるエピソードに引き込まれ、ラストへの高揚感は息が詰まるほどでした。初めてのミルハウザー長編でしたが短編より面白かったです。

  • 処女作にはその作家が後に書くことになるすべての要素がつまっているといわれる。ここには、後に何度も登場することになる地下室に棲む画家がいる。賞賛されることだけを愛し、決して自分からは愛さない女がいる。兄妹と兄の友人という関係、月夜の彷徨、そしてお気に入りの小物達。ミルハウザー的世界はここに始まったのだ。

    十一歳で早逝した少年が一冊の本を書くに至るまでのできごとを、その一部始終に付き合ってきた親友が伝記として書く。一見何の不思議もなさそうだが、その伝記が親友の死の三時間後から書き始められ、八ヶ月後に完成したのだとしたら。『エドウィン・マルハウス<あるアメリカ作家の生と死>』は天才少年作家の伝記という体裁をとった一種異様な小説である。

    作家は始め、主人公に二十五歳という年齢を想定していたという。もし、初めの構想通りに、見られる側と見る側、つまり、天才とそれを嫉妬した競争相手の愛憎劇として書かれていたなら、よくある心理ドラマの一つとして人の口の端にのぼったりはしたろうが、これほどまでに話題をさらうことはなかったはずだ。舞台を子ども時代に限定し、特有の心理、お気に入りの本や玩具、遊び等の材料を贅沢に使用し、濃密に描写しきったことが作品の成功の秘密だろう。

    「何かに執着できる能力を天才と呼ばずして、いったい何を天才と呼ぶのだろう?普通の子供なら誰だってその能力を持っているのだ。君も、僕も、誰もがかつては天才だった。しかしじきにその才能は擦り切れて失われ、栄光は色褪せていく。そして七歳にもなれば、僕らはもうひねこびた大人のミニチュアになってしまっている。したがって、もっと正確に言うなら、天才とは何かに執着する能力を維持する才能である。」

    伝記作者であるジェフリーの言葉だが、作家の告白と見て差し支えないだろう。他のあらゆるものを犠牲にしても、成長によって喪われることになる「何かに執着する能力」を維持し続ける人物を描くことがこの作家畢生のモチーフである。人間的な快楽に見向きもせず依怙地なまでに自分の仕事に執着する主人公を書かせたらミルハウザーの右に出る者はいない。成人が主人公であっても彼らは何かに執着し続けることによって≪成熟することの醜怪さ≫から己を守っているのだ。

    ミルハウザーの小説に頻出する遊園地や遊戯場の遊具、見世物、玩具、マンガ映画その他のアイテムは、子どもにとっては城や宝物に類する物だ。一方でそれは、ジェフリーがエドウィンの作品を評した「アメリカという名の野蛮で舌足らずの哀れな巨人の魂の発露たるテクニカラーと金粉のイメージ」と通底する。アメリカは若い国だ。「アメリカの夢」という言葉は、成熟した国の見せる絶望や諦念とは無縁に輝いている。しかし、現実の「アメリカの夢」は作品の中で何度も描かれる廃業した遊園地のメリーゴーランドやコースターのように既に遠い過去の遺物と化している。

    物語や小説は、普通、過去形で書かれる。つまり終わってしまった物や事しか語ることのできない宿命を帯びていると言えよう。伝記作家は生きている対象を伝記にすることはない。その意味ですべての伝記作家は自分が書くべき対象が死んで始めて心おきなく筆を執ることができるのだろう。幼年期に心躍らせた対象を執拗に描き続けるミルハウザーは、死んでしまった「アメリカの夢」を描く伝記作家なのかもしれない。

  • 長かったけど、最後は一気に読んだ。描写が細かいです。

  • 先日初めて作品を読んだミルハウザーの、処女長編。11歳で亡くなった“天才作家”エドウィンの人生を描いた、同い年の幼馴染による伝記作品――という体裁で書かれている。0歳から11歳までの人生を「幼年期」「壮年期」「晩年期」と分けるなど、全体がミルハウザーによる伝記文学のパスティーシュ的な面白さに満ちている上、子どもの目線で子どもの生き様を描いている(ただし表現技術は大人レベル)内容そのものも細部まで非常に面白い。面白いが、コミカルとグロテスクが紙一重に近接する瞬間、そもそも幼馴染としてこの身近な距離で“伝記作者”として友人を見つめ続ける書き手の眼差しの異常さにも気付いたりして、ただ楽しいだけの作品ではない。読後感も、それこそコミカルの果てにあったグロテスクな結末ゆえに、衝撃が残る。子ども時代の新鮮な驚きや世界の眩しさを思い出す一方、繊細な感情の揺れやむらのある不安、残酷な真剣さなども思い出さずにはいられない作品。こうした感情を文字で表現できるミルハウザーの、プルーストばりの表現力と文章力にますます心酔。

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著者プロフィール

1943年、ニューヨーク生まれ。アメリカの作家。1972年『エドウィン・マルハウス』でデビュー。『マーティン・ドレスラーの夢』で1996年ピュリツァー賞を受賞。『私たち異者は』で2012年、優れた短篇集に与えられるThe Story Prizeを受賞。邦訳に『イン・ザ・ペニー・アーケード』『バーナム博物館』『三つの小さな王国』『ナイフ投げ師』(1998年、表題作でO・ヘンリー賞を受賞)(以上、白水Uブックス)、『ある夢想者の肖像』『魔法の夜』『木に登る王』『十三の物語』『私たち異者は』『ホーム・ラン』(以上、白水社)、『エドウィン・マルハウス』(河出文庫)がある。ほかにFrom the Realm of Morpheusがある。

「2021年 『夜の声』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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