黄泥街 (白水Uブックス)

著者 :
  • 白水社
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本棚登録 : 221
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560072196

作品紹介・あらすじ

空から黒い灰が降り、ゴミと糞で溢れ、様々な奇怪な噂が流れる幻の街の出来事を、黒い笑いと圧倒的な文体で描いた世界文学の最前線。

感想・レビュー・書評

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  • あそこにいたのは何年前だったのか。腐臭が執念深い微生物のようにびっしりと繁茂した、混沌と微睡と汚穢の通りを思い出すとき、苦くて強い酸の味のする咽喉をひりひり焼く胃液が胃の底から逆流してこみ上げてくる。と、書き始めてみて初めて記憶というもののなかに時間が流れていたことを思い出す。だが黄泥街について書こうとすると困惑を感じないではいられない。
    いるけれどいないのは、すべて幻想の産物だから。いないけれどいるのは、何者かになろうとして失敗するから。悪しき無限の増殖として降りしきる黒い灰の中でわたしだけが目覚めている。

  • 黄泥街(ホアンニーチェ)は、あらゆる汚物、疫病、狂気、腐敗などが集まる掃き溜めのような場所だ。機械工場から黒い灰は降るし、雨は降り続けるし、風は吹き続けるし、屋根は落ち、壁は崩れ、鼠は猫を悔い殺し、犬や猫や鶏の死骸が腐り、蠅・蚊・蛆・蛾・蟻・蜘蛛そしてもちろんGまで汚物と腐敗に群がるあらゆる不潔な虫たち、茸・蛇・蛭・蜥蜴・あげく吸血蝙蝠、そして垂れ流しの排泄物にまみれて生活する人々には当たり前だが変な病気が蔓延する。読んでるだけで本から腐臭がしそうというか体が痒くなってきそうというか・・・いやはやどうもこうも。

    ではただ不快なだけの悲惨な作品かといえば、これが不思議と一種の活気に溢れている。こんな環境でも人々は逞しいというか無頓着というか、眠ってばかりいるけれど、無駄に活発でさえある。陰謀、スパイ、上部、委員会etc.、妙な噂や悪夢に踊らされて右往左往し、住人同士の会話は基本一方通行(コミュニケーションが成立しているとは思えない)登場するのは奇人ばかりで、それぞれ自分勝手に思いついたことを喋り散らし、シュールな舞台演劇みたいだ。時折、謎の人物「王子光(ワンツーコアン)」や、「区長」などが訪問し、人々をさらに混乱させ掻き乱していく。

    にもかかわらず、なぜか退屈はしない不思議な文章で、どんどん読んでしまった。感触的には南米文学に近いマジックリアリズム。これほどまでに不潔であるにも関わらず、一種のユートピアのような錯覚すらしてくる不思議。終盤の「黄泥街は果てしない夢からぬけだせない」という言葉がすべてだろう。まるで街自体が悪夢を見ているかのような、誰かの悪夢の中にしか存在しないような。わからないなりにとても面白かった。

    あと内容とは関係ないけれど、すべての人名に常に読み仮名がふってあるのはありがたかった。普通は最初の1回だけであとは省かれるパターンだけど、本書は毎回律儀にすべての登場人物に読み仮名があって、頁を繰って戻る必要がなく、大変助かりました。翻訳者:近藤直子の「わからないこと 残雪『黄泥街』試論」も併録されていて親切。

  • 一日中灰が降る街。
    街はあらゆる汚物に塗れ、雑多で騒がしく、住人は不潔で無知で、陰謀論と噂好きの怠惰人々。
    と想像してこんな感じかなと思っても、その何十倍も汚いのだろう。その始まりは、街の人々の行いから始まったのだから、人がこのような街にしたのだろうか。それとも街がそうなるような環境だったのだろうか。
    汚穢を気にせず、偶然から運命を妄想し、外からの権力を気にしながらも外に行こうとはしない。ぼんやりとなんだか浮かんできそうで、自分が浮かんできそうになって考えるをやめる。
    もし住人であったならもう逃げ出すしかないけれど、逃げ出すのさえ理由をつけて出ないだろう。
    この街は私の中にあるのだろうか。

    黄泥街は果てしない夢が醒めないでいる。とある。それはぬるま湯のような悪夢だと思う。

  • この本のことを理解できない、受け入れられない。残念。
    いつかまた読めるかなぁ。

  • まるでこの世の嫌なものをごちゃごちゃにいれて煮込んだ闇鍋。

    理性の向こう側にはこんな通りが。

  • 臭い、埃っぽさ、猥雑さ、触れられない幻覚その他を凌ぐ温度感

  • 何度読んでも何もわからない。わからなさを楽しめるかどうかだと思う。前の文章が次の文章に続いていかない。この支離滅裂さに耐えられるかどうかだと思う。読む側が試されている感じは常にする。

  • わけがわからなすぎて、なんとなくわかったふりをすることもちょっと無理なくらいないわからない
    なのに、やたらと饒舌な語りにひきづられてなんか読めちゃう
    わたしとあなた、とか、あなたと彼、の境が曖昧になることはありそうだけど、あなたもわたしもかれも、物も言葉で名指される対象も言葉自体もすべての境をうやむやにしてしまうくらいの大胆な試みなのかも

  • 92年に河出書房新社から刊行されたものの再刊。
    河出書房新社→白水Uブックスって意外に多いような気がする。気のせいか?
    読んでいる間中、どうもこの作中に漂う雰囲気を知っている……という気がしてならなかったのだが、漸く思い出した。昔、プレステであった、『クーロンズ・ゲート』だ!

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著者プロフィール

1953年中国生まれ。文革期を思わせる長編『黄泥街』でデビュー。邦訳作品集に『蒼老たる浮雲』『カッコウが鳴くあの一瞬』『廊下に植えた林檎の木』『かつて描かれたことのない境地』『最後の恋人』がある。

「2020年 『突囲表演』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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