フラッシュ:或る伝記 (白水Uブックス)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560072295

作品紹介・あらすじ

愛犬の目を通して、十九世紀英国の詩人エリザベス・ブラウニングの人生をユーモアをこめて描く、モダニズム作家ウルフの愛すべき小品。

感想・レビュー・書評

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  • 飼ったことがあれば分かってもらえるだろうか。
    犬は、求めている分量を遥かに超えて愛してくれる。
    相手が人であれば、適量をタイミングを選んでやり取りできるのになって、つい思ってしまう。
    僕は、十分な愛を返すことができなかった。

    飼い主は成長し環境も変化してゆくが、それを犬が愛情をもって受け入れてくれることと、犬にとって幸せなことは一致していない。

    どうにもフラッシュに感情移入してしまい、うまく読めてない気がする。フラッシュを通じてエリザベス・パレットを描いたはずなのに印象が薄い。

    ロンドンに移り住む前の、まだフラッシュが幼いときの描写が素敵だ。
    “緑の草のカーテンを押し分けながら、あちこち跳びはねていく。
    露か雨かの冷たい玉が、彼の鼻づらのまわりで虹色のしぶきなって砕け降り注ぐ。
    大地はここでは固く、こちらでは柔らかで、ここでは熱く、こちらでは冷たく、足の裏の柔らかい膨らみをひりひりさせ、なぶり、くすぐる。
    すると、なんと微妙な組み合わせで混じり合った様々な匂いが鼻孔をくすぐることだろう。

    しかし、突然風が吹いて、もっと鋭い。もっと強烈な、もっと悩ましい匂いを運んでくる。
    ー 彼の頭脳を引き裂いて、何百もの本能を呼び覚まし、何十万もの記憶を解き放っていく匂いー 野兎の匂い、狐の匂いだ。
    急流に乗って先へ先へと引き寄せられていく一匹の魚のように、フラッシュはさっと走り出す。
    ご主人のことを忘れる。人間たち、すべてを忘れる。黒い肌の男たちが、「スパン!スパン!(ウサギ)」と叫ぶ声が聞こえる”

    全身から迸る悦びが、文章から伝わってくる。




  • 人間に比べると犬の一生は簡潔でよい。人間は情報が多すぎる。

    この本は表題どおり一種の伝記なのだが、先週読んでいたウルフの『病むことについて』に「伝記という芸術」という随筆があった。伝記という芸術の限界についての話だった感じがある。だから本書ではフラッシュ中心に書いたのだろうか。

    今は人間より犬についての文章を読むほうが気が休まるので、そのままフラッシュのことばかり書く。犬と暮らしたことはないけれど、フラッシュが犬らしい我慢をする。犬派の人はそういう犬のけなげなところが好きなんだろうし、猫派の人は苦手なのかもしれない。犬と生活したことのある人の感想が聞きたい。

    ウルフは『波』を書きあげたあと本書を執筆したそうだ。大作のあとの小品で、軽やかに読めた。

  • 19世紀、イングランド。元気盛りの子犬のフラッシュは、病気で部屋に篭りきりのエリザベス・バレット嬢に貰われる。フラッシュは太陽の下で駆け回ることを諦め、一人と一匹の小さくも満ち足りた世界を築き上げてきたが、一通の手紙を皮切りに、バレット嬢の様子が変わり始める。飼い犬の視点で詩人エリザベス・ブラウニングの肖像を描きだした、一風変わった伝記小説。


    イギリスの小説を読むのが久しぶりだったので、冒頭から「これぞイギリス人の文章!!!」と嬉しくなってしまった。スパニエル犬の由緒をくだくだしく語ったあと、血統書付きの犬たちと人間の貴族階級を比べてヒトを落とす、この数ページの与太的な面白さ。しかも、ここで語られるロンドン犬社会の厳格な階級分けが、のちにフラッシュがイタリアで感じる自由の前振りになっている周到さ。掴みが上手い。
    フラッシュの世界は触覚と嗅覚と聴覚の世界、そしていろんなものがとにかくスピーディに通り過ぎていく。それがウルフの畳み掛けるような文体とめちゃくちゃに相性がいい。〈意識の流れ〉と言うと難しく思えるものが、フラッシュの感覚を通すとこちらも体感で掴める。それだけにものすごく感情移入してしまって、ブラウニングの登場でフラッシュが一気に心かき乱されていく三章では一緒に傷心気分になり、「彼は自分が永久に彼女を愛さなければならないのを悟った」の一文でじんわり泣いてしまった。こんなふうに絡んでしまった負の感情をほどいていくのは、人間にもなかなかできることじゃないんだから、フラッシュは偉いねえ。
    バレット嬢が実はロバート・ブラウニングの妻になった詩人のエリザベス・ブラウニングである、というのがこの小説のキモなのだが、私はエリザベスの詩を知らない。でも、この二人のロマンスが大流行していたらしい刊行当時より、今読むほうがずっと面白いんじゃないかと思う。人間の話に引きずられすぎず、あくまでフラッシュの視点から成り行きを楽しむことができるからだ。
    病弱なエリザベスは、健康体を持った魂のふたごとしてフラッシュを見つめる。だからこそ、駆け落ちしてイタリアに居着き、みるみる体調が良くなると、エリザベスとフラッシュはそれぞれに自立していくことになる。けれど最後までやはり一人と一匹は双生児であり、「別々に分かれてはいるが、もとは同じ鋳型で作られて、おそらくお互いがお互いの中に隠れているものを補い合って完全なものにする」のだ。ウルフの弟は「犬好きが書いたのではなく、犬になりたい人間が書いた小説」と評したという。全くその通りだと思う。
    史実上の人物に材をとった伝記的な作品なので、原注でそこを補足しているのだが、ここもウルフのユーモアが炸裂していてとても面白い。特に、エリザベスの駆け落ちについていったバレット家の女中リリー・ウィルソンのことはこれだけで一章分になるくらい語られていて、主人の行動によって経済的に大きく左右される身分にいた女性の小さな一代記になっている。「歴史の中の探索ができない、ほとんど黙っている、ほとんど目に見えない召使いの女たちの偉大なる大群の代表」という締めが印象的だ。
    私は前から、ウルフは少女漫画の読み方を知ってたら親しみをもって読める作家じゃないかと思っているのだけれど、犬のようにけなげな生き物に注ぐシンパシーもやはり少女漫画的だなぁと感じた。自分がエリザベスの膝に横たわるフラッシュであると同時に、フラッシュを撫でているエリザベスでもあるような気持ちにさせてくれる、犬と人の魂の結びつきを描いた人生讃歌の物語だった。フラッシュ!

  • ウルフが犬を主人公にこんなチャーミングな本を書いていたとは。エリザベス・バレットの飼い犬のコッカー・スパニエル。女性アーティストが夫の功績の影に隠されてしまう問題、名前さえ、フランケンシュタインの作家メアリー・シェリーを「シェリー夫人」と書いた時代があったように「ブラウニング夫人」と呼んではいけないだろう。女性詩人エリザベス・バレットにウルフは作家としての自分を重ねていたのかもしれない。

  • 枕元にいる愛犬の温もりを感じながらこの本を読んだ今日はなんて幸せな一日だったのだろう。彼の死後、ふと思い出す一日に違いない。

    人間の足下のフラッシュの視界、鼻先に感じる露の冷たさ、人間にはわからない匂いのグラデーション。
    他者と一体化する、他人の立場になる、そもそも人間ですらないフラッシュの感受性を捉えること。口で言うほど簡単ではないこうした行為をやってのけてしまうのはさすがウルフ。フラッシュの荒い呼吸が聞こえてくるようなみずみずしい描写の数々。

    個人的には、イタリアでノミにやられて毛を刈られてしまったフラッシュが「何者でもなくなる」こと、そしてその状態こそ「この世でいちばん満足」と描かれていたのが面白かった。

  • コッカーの耳と、詩人の髪の毛かお揃いというのが、たまらなくきゅーっとくる。犬が差別心を持っていたりそれを自覚するのもよかった。

  • ミッドフォード嬢の家に生まれた子犬のフラッシュは、美しい垂れた耳を持つ、血統書付きのコッカースパニエル。
    彼女の若き友人であり、女流詩人のエリザベス・バレット嬢への贈り物として、バレット嬢にもらわれることになる。
    その日の、ミッドフォード嬢に置いていかれるフラッシュの心細さから、「まあ、フラッシュ!」と
    彼を呼んでくれたバレット嬢との出会いのシーンから、ぐいぐいぐいと引き込まれてしまった。

    見つめ合った二人?の心の声。
    「おや、わたしがいる」
    それから、めいめいが感じた、
    「でも、なんてちがっているのだろう!」

    バレット嬢は病気で、ほとんどを寝室で過ごしている。
    暖かいうちは、何度か街を散歩したものだが、だんだん彼女は床からでられなくなり、ヘッドの上や、ソファーで過ごす。フラッシュは女中のウィルソンさんと、お座なりな散歩をするに留まることになるのだが、
    彼の不思議に豊かな感性から、バレット嬢との絆が深まり、彼らは何ものにも変えがたく、お互いを敬い、愛し合うように過ごす。

    そこからの、フラッシュの繊細な心の動きと、バレット嬢のフラッシュを理解しようとする姿がとてもいじらしい。
    まず彼に立ちはだかったのは、詩人のロバート・ブラウニング。彼らの恋路に嫉妬を覚え、ブラウニング氏と戦う。そして、そのフラッシュの姿をブラウニングへの愛の手紙に綴るバレット嬢。
    犬泥棒、駆け落ち、フィレンツェの日々。。

    フラッシュの目を通して、女流詩人バレット嬢の事を自伝的に書いた作品なのだが、私には、コッカースパニエル犬、フラッシュの大河ドラマのように思えてならなかった。

    ・ウルフの弟が書いた自伝によると、ウルフはとくに犬が好きだったわけではない。
    「犬好きによって書かれた本というより、むしろ犬になりたいと思う人によって書かれた本」なのだ。

    これはー、本当にかわいかった

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著者プロフィール

1882年―1941年、イキリスのロンドンに生まれる。父レズリーは高名な批評家で、子ども時代から文化的な環境のもとで育つ。兄や兄の友人たちを含む「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団の一員として青春を過ごし、グループのひとり、レナード・ウルフと結婚。30代なかばで作家デビューし、レナードと出版社「ホガース・プレス」を立ち上げ、「意識の流れ」の手法を使った作品を次々と発表していく。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など、短篇集に『月曜日か火曜日』『憑かれた家』、評論に『自分ひとりの部屋』などがある。

「2022年 『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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