ストリンドベリ名作集 (書物復権)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560081402

作品紹介・あらすじ

スウェーデンの劇作家による、代表傑作戯曲集。「父」「令嬢ジェリー」「ダマスカスヘ」「罪また罪」「死の舞踏」「幽霊ソナタ」、絶えず変貌する魂の遍歴を刻みつけた6編を収録。

感想・レビュー・書評

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  • ・『父』
    『風立ちぬ』の後に読むと、男と女の関係が真逆すぎて笑える。こちらでは,「男と女の間の愛は戦い」(byラウラ)。
     大尉の女性敵視はある種の強迫観念のレベルだが、多かれ少なかれ、男性には(『父』のレビューとはずれるが)、①子供が本当に自分の子供であるかが「絶対」ではないため、子供に対する恐怖がある。加えて、②たとえその子が自分の子だと知っても、男性にとって、なぜか子供は怖いところがある。例えば、三好達治に、「子供が自分に似すぎていてかえってみつめることができない」みたいな詩句がある。多くの男性が共感するため、この詩句が成立するのだろう。これらの恐怖が混じるため、男性にとって、もちろん子供は愛情の対象だが、100%愛情の対象かといわれると、そうではないと思う。心理学的にはエディプスコンプレックスへの恐怖かもしれない。
     これに対し、女性にとっては、分娩の事実は「絶対」だ。確実に子供は自分の子だし、「腹を痛めた」という事実が母性の根源となるのだろう。子供は100%愛情の対象だと思う。心理学的には、ピーターブロスのいう、前エディプス期(二者期)が根源にあるかもしれない。
    ・『令嬢ジュリー』
     『父」より評価しない。「自然主義的悲劇」の副題がつくが、『父』のがストリンドベリ自身のことを描いており、リアリティがある。想像力により、かなりの部分を補っているが、それもまた作者の一面的な見方の域を出ないとみる。また、女性の強さが不十分で、男女の戦いというには、弱い。たんに、世間知らずの令嬢を男がうまく誘惑したという昔ながらの(例えば『リチャード3世』的な)ストーリーだ。このことは舞台の狭さと登場人物の少なさに起因するところも大きいとみる。
     これに対して、『序文』は評価する。古来悲劇は「みんな死んで終わり」というのが典型だ(この点で『父』はまだ温い。また『トロイラスとクレシダ』のような例外は除く)。が、ちょうどこの時代位が悲劇の転換期だ。ストリンドベリは序文で「だが私は生活の喜びを、人生の力強い残酷な闘争の中に見出す」という。まさにいきて運命等様々なものに抗うことこそ悲劇だろう。ほぼ同時代の『ワーニャ叔父さん』(チェーホフ)などもこの具体例といえる。
    ・『ダマスカスへ第一部』
     新約聖書使徒行伝9章。特に、4「なぜつきまとうんだ、サウロめ!」
     形式的に気になるのは、
    ①シーンが9「貧民院」を中心に1「街角で」17「街角で」左右対称となっている点。『令嬢ジュリー序文』では、あれだけ不均衡にこだわっていたのがウソのようだ。サウロの改宗のようなストリンドベリ自身の劇的転回の一発現か。
    ②同『序文』では、不自然な語りをさせないといったが、「見知らぬ人」にしゃべらせるために、ところどころ愚劣な質問をさせているのも気になる。
    ③「婦人」を「見知らぬ人」が設定するさまは、異化的で面白い試み。
     内容的には、
    ①『父』『令嬢』とは違って、目まぐるしく場面が変わる面白い劇だ。
    ②『神曲』が浮かぶ。形式も『神曲」同様、きれいなコントラストを描いているし。
     前半は「婦人」をヴェルギリウスに見立てると、ある意味で地獄を見てまわったと認められる。運命に挑戦して挫折したという悲劇として、前半はとても評価できる。
     真ん中の貧民院は煉獄。
     後半は、罪をあがなう巡礼と評価できる。その巡礼を「見知らぬ人」が望んだかは疑問だが、巡礼が「見知らぬ人」にとっての戦いであり、つまり、生ある中の抗いである、という点が『父』『令嬢』同様に『ダマスカスへ』を一応悲劇たらしめている、と考える。しかし、『神曲』がそうであるように、天国というものは見て楽しいものではない。躍動感がないからだ。それゆえ、後半は悲劇としては弱い。
    ③全体としてみれば、伏線を回収しきって見事。後半は大円団にむけた悲喜劇とみるべきだったな(上のレヴューは残しておく)。
    ・『死の舞踏』
    第一部 『ダマスカスへ』と異なり、家の中が舞台。やはり『父』以来、ここがストリンドベリの十八番(「監獄」という比喩は言いえて妙だが)。また、「自己中心的で傲慢な、だが、何物にも頼らない生命力のある力強い男」という、たぶんにストリンドベリ自身を具現化した人物像も十八番。したがって、『死の舞踏」は、ストリンドベリの劇作家としての腕を十分に発揮しうる作品設定だといえ
    る。
    登場人物を三人にしぼったのは、良好。かなり克明に描かれていて、自然。
    第二部  
    作家にとっての処女作は、決定的に重要とよく言われる。ストリンドベリもそうだ。(日の目を浴びた)処女劇作品『父』とテーマは変わらない。
     彼を貫くテーマは「女性と男性の戦いが愛」だ。ということだろう。ストリンドベリの女性不信は根深い。女性は常に周りを巻き込んで、罠を張る。男性もそれと闘う。『父』と違うのは、『死の舞踏』では男性(大尉)もかなり強いことだ。涜神者の決心がある、自力がある。それゆえに、迫力のある戦いとなっている。しかも、それが人生をかけた戦いであるところに魅力がある。
    『幽霊ソナタ』
    グロテスクだ。最後は余計。ナンセンスとは言わないが、シュールレアル。

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