- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560084939
作品紹介・あらすじ
〈わたし〉のからだの声を聞く
「あたりまえに失われる毎日をひきとめたいと書くことは、大それた望みだと思う」
ふれる、うたう、なく、わすれる、きる、はしる、かく……22の動詞をめぐって紡がれる文章は、自身の身体と心にまっすぐ向き合い、ときにばらばらになりそうなそのふたつを言葉でなんとかとり結ぼうとする、ささやかだけれど果敢ないとなみ。ひとつひとつ丁寧に重ねられていく言葉から、日常が非日常となり、色彩は華やぎ、五感は研ぎすまされる。
「なんだか、生きてるなと思う。きのうきょうと、ビックリするくらい生きてるなと気がついて、だれもいない女湯でふとももを揺らした。はだかで泣くと、とても軽い。赤ん坊というのは、もっとも勇敢な生きものだな。あんなにちいさくて、だれとも知らずに泣いているんだから」
ときにドキッとする描写や、微妙な女心も顔をのぞかせる、独特のことばの「肌触り」。けっして〈わたし〉とは言わない石田千の〈わたし〉が、抑制の利いた文章ながら、いままでで一番自分をさらしている。22枚の章扉を飾る石井孝典による著者の写真にも、本人も気づいていない〈わたし〉が写っている。
感想・レビュー・書評
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『もしくは、かばいながら生きてきたはずの傷が、もうしみていなかった。いつかの、いつのまにかの結果が、頭ではない水路から流れてくる』ー『ふれる』
石田千の言葉はいつも尻つほみ。言いたいことを曖昧にして、言い切らずてばなす。肝心要のことは明らかにしないまま。時になまめかしく。時にうら悲しく。もっぱら過去を悔やむように思い出しながら。
そんな内向きの言葉が妙に心地よい日がある。例えば、誰からもなにも頼まれない日。自分の存在が否定されたとまでは言えないけれど、石川啄木の歌が口をついて出そうになる日。石田千の言葉はしんしんと深いところに落ちてくる。
ほんとうは、本当は、と繰り返し後悔するけれど、ほんとうの自分てなんだろう。石田千の後悔はいつもそこに戻ってくる。それは一番分かっているようでわからないこと。人から言われて、驚いたり、憤慨したり、悲しくなったり、嬉しくなったり。だのにそんなことを言ってくれる筈の他人を遠ざける。
自分自身を無意識に映し出すだろう持ちものを次々に手放すのは、執着を断ち切るための行い。そのじつ、数少ない持ち物を手放して残るものに執着はより鮮明に浮き上がる。それが、ほんとうの自分だと知っている。
短く打たれる句読点。時折押し込まれる喘息というイコン。知らずしらず読むものの息もあがる。その呼吸の早さが、心と身体が折り合わない思春期の頃の記憶の中に、くたびれた自分を連れ戻す。誰の心の中にもあるサナトリウムをさらけ出し、治りかけのかさぶたを剥がす、その甘美さを石田千はどこまでもみつめる。魅入られたように、そこから視線を逸らすことが難しくなる。 -
石田千さんのエッセイ。自身の身体と心にまっすぐ向き合いそれらを言葉でとりむすぶ。体と心から淡々とゆらゆらと紡ぎ出されたその言葉たちは浮遊感があって 石田さん独特のことばの肌触りがあった。中身よりも、歌うように溢れるその言葉の羅列や雰囲気をずっと味わっていたい感じ。
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違うのかもしれないけど、なんだか生きてる実感が自分と似ている人のようなきがする。
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石田千さんの本は、読んでいると落ち着く。
言葉の静かさ、ゆっくりさ。
生活する時間の丁寧さ。
写真も含めて、昭和なかおりのする本。 -
ことばの選び方が、さすがだなーと感動した。
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2016 7/17
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石田さんのエッセイは、本当にゆっくりと時間が流れている。
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天才。
時々難しくて読み進められなくなったり、
気付いたら字面だけ追っていて中身があたしの中に入ってこない『天才についていけない感』と、
時々襲い掛かる色濃く注ぎ込まれて湿度や色や風を感じるかのような『幸福感』のギャップがなんとも言えず面白くて。
子どもの頃の自分だけの秘密や俯瞰していた感覚を思い出し、胸がぎゅっとなったのも良い体験。 -
いつもながら、サッパリしていて小気味いい。
彼女の文は潔くて好き。
この本で初の試み?である写真も効いている。