- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560090251
作品紹介・あらすじ
「ぼくは覚えている」というフレーズで始まる短い回想、1950年代アメリカ大衆文化の記憶、詩的で鮮烈なイメージが横溢する。美術家としても名高い異才の傑作メモワール。
感想・レビュー・書評
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ポップアートの時代に活躍したアーティストである著者の青春時代を、「ぼくは覚えている」からはじまる短いセンテンスを集め、コラージュのように描く。時に曖昧、時に痛いほど赤裸々な青春小説。
他人の記憶を覗くのって多分こんな感じなんだと思う。起承転結なんかなく強烈なシーンが浮かび上がっては消え、重要でもなんでもないもののディティールがズームアップされ、本人にしかわからない連想法で次から次へ短いフィルムが切り替わっていく。
子ども時代、ティーンエイジ、アーティスト活動を始めてからの記憶が入り混じるなか、幼い頃からドレスを着たいと思っていたことや、「オカマ」っぽいと思われるのをとても恐れていたこと、同性に性的な魅力を強く感じていたことが幾度もフラッシュバックのように挟まれる。いかにも世間から見て「幸せそう」な白人中流家庭で育つセクシャルマイノリティの恐れと痛みが、時に生々しいほど感じられた。
スタイルとしてはデイヴィッド・マークソンに近いけど、本書は『ウィトゲンシュタインの愛人』より18年も早い。50年代アメリカのポップカルチャーを表す巨大なコラージュかのように、映画・テレビ・ラジオ・音楽・コミック・お菓子などの固有名詞がもりもりでてくる(巻末の訳注が丁寧でありがたかった!)。ポール・オースターが「完全にオリジナルと呼べる作品」と絶賛してるらしいけど、オリジナルがゆえに真似っこして自分の卑近な事柄を書き出してみたくなるような力がある。
感情の起伏を始まりから丁寧に追う記述より、ブレイナード方式のほうが胸を打つように思われるのは、ふとした瞬間に強烈な刹那の記憶が頭を占領する「ぼくは覚えている」の書き方が、私たちにとって「思い出す」という作業の実感に近いからだと思う。気づけば大量の一瞬にとらわれ続けている「ぼく」に同調し、鋭い皮膚感覚を共有しているような気になってくる。たぶん、この小説を読者が折に触れて思い出すところまで含めて完成する作品じゃないだろうか。 -
ふむ
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文学
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原文で読み直したい。
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私はこの本を見つけたときのことを覚えていて、それはこれから先折に触れて思い出すような瞬間で、そういう瞬間の積み重ねをだいじにしていきたいから、記憶とは、光や匂いやものや音とか小さなもののときにしょーもないものの集積だとおもうから、この本が好きだ。
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「ぼくは覚えている」から始まる、ごく短いセンテンスによる短編。
現代美術を手掛ける著者の自伝のような、エッセイのような不思議な小説。
ユニークな手法だったけれど、途中で厭きてきた。 -
1975年に発表、95年ポール・オースターの推薦で再評価を得た美術家の散文。すべての行の書き出しは、"ぼくは覚えている(I remember)"。少年期の回想が詩的に展開する。
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「ぼくは覚えている」という書き出しで綴られる回想。丸山健二を思い出したり、「ヒロシです」を思い出したり…。なんかミニマル・ミュージックを聞いている気にさせられたり。
「あったね、そんなこと」という自分の過去と共通するフレーズもあれば、電車の中で周りを気にかけてしまうような断片もあった。リズミカルなのだろうか。原文が気になった。