- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560090916
感想・レビュー・書評
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作家のキョンハは、虐殺に関する小説を執筆中に、何かを暗示するような悪夢を見るようになる。ドキュメンタリー映画作家だった友人のインソンに相談し、短編映画の制作を約束した。
済州島出身のインソンは認知症が進む母の介護のため島に戻り、看病の末に看取った。キョンハと映画制作の約束をしたのは葬儀の時だ。それから4年が過ぎても制作は進まず、私生活では家族や職を失い、遺書も書いていたキョンハのもとへ、インソンから「すぐ来て」とメールが届く…
研ぎ澄まされた静謐な世界。生と死のあわいで語られる事実。済州島4・3事件を生き延びた母親の知られざる情熱、粘り強さ。
もう何と言ったらいいかわからないけれど、最後の3行からは光を感じられた。痛みを通過して回復へと至る人間に備わった力への信頼。たしかに「究極の愛の小説」だった。
斎藤真理子さんの訳者あとがきは、いつもわかりやすく丁寧で、本当にありがたい。済州島4・3事件について知らないことばかりだった。
“そのうちいつからか、母さんが嫌になってきたの。この世が嫌で耐えられないのと同じくらい、ただもう母さんが気持ち悪かった。自分自身を嫌っていたのと同じくらい、母さんが嫌だったんだね。母さんが作ってくれた料理が気持ち悪くて、傷だらけの食卓を几帳面に布巾で拭いてる後ろ姿にぞっとして、昔ふうに結い上げた白髪が嫌で、何かで罰を与えられた人みたいに少し背中をかがめた歩き方にいらいらした。だんだん憎しみが大きくなって、そのうち息もできないくらいになったの。何か火の玉みたいなものがひっきりなしに、みぞおちから湧き上がってくるみたいで。家出したのは要するに、生きたかったからだよね。そうしないとあの火の玉が私を殺してしまいそうだったから。”
“資料が集まって、その輪郭がはっきりしてきたある時点から、自分が変形していくのを感じたよ。人間が人間に何をしようが、もう驚きそうにない状態…心臓の奥で何かがもう毀損されていて、げっそりとえぐり取られたそこから滲んで出てくる血はもう赤くもないし、ほとばしることもなくて、ぼろぼろになったその切断面で、ただ諦念によってだけ止められる痛みが点滅する…これが母さんの通ってきた場所だと、わかったの。悪夢から目覚めて顔を洗って鏡を見ると、あの顔にしつこく刻み込まれていたものが私の顔からも滲み出ていたから。信じられなかったのは、毎日太陽の光が戻ってくるということだった。…
怖くなかった。いいえ、息もできないくらい幸せだった。苦痛なのか恍惚なのかわからない不思議な激情の中で、その冷たい風を、風をまとった人たちをかき分けながら歩いていったんだ。何千本もの透明な針が全身に刺さったみたいに、それを通って輸血のように生命が流れ込んでくるのを感じたの。私は狂ったように見えたか、実際に狂ってたのでしょうね。心臓が割れるほどの激烈な、奇妙な喜びの中で思った。これでやっと、あなたとやることにしたあの仕事を始められるって”
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「少年が来る」で知った光州事件。
そして今作「別れを告げない」で知る済州島4.3事件。
訳者あとがきにハンガンの言葉が引用されている。
「光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為だと思う」
残酷さ、悲劇さと美しさが同居する様は
パトリシア・グスマンのドキュメンタリーのよう。
さあ蠟燭を灯そう。 -
感性の高み。無音の世界観。尊き人々の御霊の行方に追い焦がれ、闇にもがき触れあうなか、史実が雪の淡いの如く顕れては別の処へと漂う哀切。どの次元に連れていかれるかと惑う心理に迫られる。拙い私には訳者あとがきなくしては辿れなかった。
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出版社(白水社)ページ
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b641804.html
文学賞受賞ニュース
● メディシス賞外国小説部門受賞(「東亜日報」2023.11.11)
https://www.donga.com/jp/article/all/20231111/4546759/1
● エミール・ギメ アジア文学賞(「聯合ニュース」2024.03.01)
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20240301000300882 -
「雪のように軽いと人々はいう。けれども雪にも重さがある。・・・鳥のように軽いととも言う。だが彼らにも重さがある。」触れてはたちまち溶け消えてしまうような小さな雪の結晶の、「これまで触れてきたどんな生命よりも軽い」小鳥の、あるいは、洞窟の奥に埋もれた何千もの遺骨のひとつに成り果てた命の存在の軽さの、それらひとつひとつが固有にもつどこまでもずっしりとした重さを、どれだけ感覚することができるだろうか。キョンハの掌の上で、鳥の羽毛のように軽い雪の結晶が世界で一番柔らかい氷になったとき、彼女は「忘れないだろうと私は思った。この柔らかさを忘れずにいよう」と言う。過ぎ去ったもの、決して戻らないもの、存在しないものに、別れを告げることなく、それらと共に生きること。失われたときに別れがやってくるのではなく、失われたものを忘れてしまったとき、本当の別れがやってくる。だから、「本当の別れじゃないもの、まだ。」
繊細で、儚くて、脆くて、簡単に見過ごされ踏み潰され壊されてしまうような、存在の微小な表象たちをまっすぐ感受して受け止める感性の純度は、ふつうひとにはとても耐えきれるものではない。壊れやすいもの、たちまち消え去ってしまうようなものを受け止め守っていくには、心は暖かく、強くなければならないだろう。存在しないものを存在させてしまう、究極の愛を心のうちにたたえた人間は、強くて美しい。いま小説を読み終わって感じるこのどこまでも透き通った感情を、忘れずにいたい。 -
すぐお隣の国でこんな悲惨な事件が起こっていたなんて…。「知らない」って罪だ。
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