馬と黄河と長城の中国史: 興亡の歴史を新たな視点から探る (PHP文庫 に 9-2)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (331ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569577180

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  •  万里の長城は馬を来させないためのものだった。北方の異民族は必ず馬に乗って攻めてくるので、馬を食い止めるのが目的であった。秦代には長城は2~3メートルでも用が足りた。後の明代になると攻める方も守る方も進歩したので7~8メートルぐらいになった。明代の特徴は屯田兵を配置したことだ。「屯八守二」が駐屯軍の方針とされた。

     遊牧民の騎兵は一騎一騎が極めて強い。中国の農耕民を相手にすると数こそ少ないが移動が速く、手薄なところを選んで襲撃しては巧みな弓術で攻めかかる。数で反撃されそうになるとさっさと退却する。「鳥の群れ」のようなのだそうだ。遊牧民族は騎馬だから強い。馬を下りた異民族なら怖くない。だから農耕民族は馬さえ防げばいい。異民族は数も少ない。ここに万里の長城をつくる発想が生まれた。

     実践ではどうするか。中国側としては異民族の捕虜、離反者を優遇して国境近くに住まわせ、その騎兵としての能力を利用して攻めてくる異民族を防ごうとする方法を考えついた。それが「夷を以って夷を制す」政策だ。宋の王安石の言葉だが、騎馬に苦しんだ中国側の苦肉の策だ。

     ところでモンゴル馬は比較的小さい。大型化をしなかった。ヨーロッパでは大型化を目指したのに、モンゴルでは遊牧でも軍事でも小さなモンゴル馬が優れていると見ていた。モンゴルが世界を制覇したとき、モンゴル馬はどこへいっても大草原での食事にありつくことができた。扱いやすく、戦でも小回りが利き、使い勝手が良かったのではないだろうか。

     結局長城は清軍に越えられた。これは堅牢な長城も役に立たなかったから越えられたのではない。どんな長城だって兵と一体になっていなければ機能しない。明の長城が本当にその機能を発揮したのは中国が清の領土になってからである。

     地図と写真が適切に配置されており読みやすかったが、この手の本にしては年表がないのが少し残念であった。

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