堺-海の都市文明 (PHP新書 104)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569609607

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  • 2000年刊行。英国近代経済史を専門とする著者が、自ら住まう堺の栄枯盛衰の模様を描く。イギリス近代経済との比較がなされている点と、「黄金の日々」とされる織豊時代よりも、江戸時代の堺の模様に多くの頁が割かれている点が印象的。ただ、本書からはなぜ堺が南蛮貿易の主要港となったのかがわかりにくい。博多の凋落が大内氏の滅亡と倭寇→南蛮船へのヘゲモニー転換にある点は了解できるのだが…。また、鉄砲生産方式がマニュファクチャーを通り越して米国の大量生産方式に類似するとの指摘は西洋経済史専門の著者らしい視点。
    本書と直接の関係はないが、松本幸四郎(当時は市川染五郎)主演の大河ドラマ「黄金の日々」を見たくなってしまった。

  • 今や一地方都市に過ぎない堺は、中世には日本を代表する貿易拠点だった。中国との貿易による利益を求めて、国内では博多と争い、世界的にはヨーロッパ各国が進出していた。堺は日本史の大きな舞台だったし、世界史の流れも追うことができる内容になっている。

    堺は、応仁の乱によって全壊した兵庫に帰港することができなかった遣明船が入港したことをきっかけにして繁栄した。日明貿易は、1451年に勘合府を幕府から盗んで以降、大内氏が支配していた。堺が台頭すると、博多を拠点とした大内氏との間で争いが繰り広げられたが、1523年に寧波で事件を起こして堺の対明貿易は終わり、大内氏も1551年に陶晴賢に殺されて日明貿易は終了した。

    1543年にポルトガル人が鉄砲をもたらすと、堺の職人はそれを模して大量生産に成功した。当初輸入していた火薬の原料である硝石も加賀の五箇山で製造されるようになり、堺で火薬に調合された。

    秀吉が全国の中心都市として大阪城を築城すると、堺の商人は大阪に奪われ、1586年には渠濠が埋められた。秀吉への反感は徳川方への接近に発展し、家康は大坂城攻略のために大砲を注文したが、夏の陣の直前に大坂方から火を放たれて堺は灰燼に帰した。

    日本の銀を求めて来航したザビエルは、遣明船貿易が止まっていたことを知り、マカオを占拠して生糸・絹織物の日中間仲介貿易に乗り出した。この日中貿易に参加するために、スペインはマニラに基地を構え、オランダ、イギリスも加わった。

    オランダは1581年にスペインの支配から独立を宣言したが、1648年のウエストファリア条約で独立が認められるまでは経済活動も困難だった。オランダは活路をアジアに求め、マゼラン海峡を通って1隻がモルッカ諸島にたどりついたがポルトガル人に虐殺され、残りの1隻が九州に漂着した。面会した家康は、積まれていた大量の火薬や武器を得て、関ヶ原の戦いの戦備強化となった。ジャワ島のバンテン港にバタビア城を建設し、平戸に商館を獲得したオランダは、マカオを攻略したが失敗したため、1624年に台湾島南部のタイオワンにゼーランディア城を築き、中国との貿易拠点とした。

    1704年には、河内から西北に流れて淀川に合流していた大和川が西へ一直線に流れるよう付け替えられたため、川から運びこまれる土砂が堺の沿岸に堆積して港が使えなくなっり、衰退していった。

  • 堺が国際都市として活躍した150年を扱った一冊。
    ヨーロッパ優越史観に挑む良書。
    戦国時代の日本が、経済的にスペインと拮抗できるほどの力を備えていたという解説や、秀吉の大陸進出は、ヨーロッパの覇権主義に啓蒙されたのが原因など、興味深い記述がたくさん!

    著者はこの80近い年齢でこの本を書いたらしいが、老境に入ったとは思えぬほど文章が冴え渡っており、若い!

    偉大なる老人の偉大な作品です!

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