原理主義から世界の動きが見える (PHP新書 419)

  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569655772

作品紹介・あらすじ

9・11から丸五年。「原理主義」は独善的・排他的・好戦的なテロ集団との負のイメージで語られる。しかし、原理主義はほんとうに悪の根源なのか?ますます激化する宗教間紛争や宗教内対立。欧米とイスラーム、あるいはイスラエルの間には、乗り越えがたい「原理」の壁がある。宗教に疎い日本人には、多神教の寛容さを礼讃し、一神教の冷酷さを批判する風潮があるが、それほど安直な図式ではもはや世界の動きは読み解けない。国際情勢を左右する三つの一神教と比較分析、時代を見る目を養う原理主義理解の決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 著者3名と森氏に、面識がある者の感想です。
    本の構成としては座談会形式の部分もあり、対話を取る形となっているのが、宗教間対話を思い浮かばせ、先進的です。
    これだけ優れた学者を集め、本音で語るのは大変なはずです。
    この点は国内屈指の宗教研究機関、同志社ならではの業でしょうか。
    この手の書籍で、日本の内面、さらには現在の私自身の内面にまで語りかけ、考察することを促される良書はなかなかないと思います。
    やはり日本だからできることがある、果たすべき役割があると、振り返ることができました。
    文章は入門書レベルの平易なほうだと思います。

  • イスラム国と連絡を取っている中田考氏がイスラム原理主義に関する著作をいくつか出しているのを見つけた。内田樹氏との共著は、内田氏の本をやや食傷気味ということもあり、1つ前の新書である本書を読もうかなと思った。2014.10.16

    <目次>
    第一章 なぜいま「原理主義」を問うのか?−原理主義と一神教によって開かれる問題の地平
     1 「一神教」を理解するための基礎知識
     2 「原理主義」を理解するための基礎知識
    第二章 [座談会]日本人にとっての原理主義
    第三章 キリスト教と原理主義 −変遷する原理の過去と未来
     1 「原理主義」に対する現代的理解
     2 「原理主義」が生まれる歴史的な背景
     3 社会に認知される「原理主義」
     4 福音派と宗教右派
     5 原理主義の過去と未来 − 変遷する原理  
    第四章 イスラームと原理主義 歪められた実像
     1 「イスラーム原理主義」という概念
     2 「ウスーリーヤ(原理主義)」と「ウスール学派」
     3 イスラームにおける権威の構造
     4 イスラームにおける「聖典」 − クルアーンとハディース
     5 「イスラーム原理主義」再考
    第五章 ユダヤ教と原理主義 −シオニズムの源流を求めて
     1 ユダヤ教の文脈から「原理主義」を読み解く
     2 預言の終焉と聖典の成立 −ユダヤ教における原理の誕生
     3 シオニズムの源流 −ふたたび「祈り」から「行動」へ
     4 終わりのないシナリオ −「祈りの喪失」ふたたび



    2014.10.16 見つけた&予約
    2014.10.19 読書開始
    2014.11.11 読了

  • 原理主義fundamentalismが政治的な存在感を増しつつあった、9.11後の時代に出版された本。キリスト教・イスラーム・ユダヤ教それぞれを一神教と原理主義という切り口で論じている。同志社の一神教学際研究センターに(当時)属する3人が執筆している。

    私がもっとも関心をもって読んだのが小原氏によるキリスト教の章。私自身が根本主義(fundamentalismについて内部ではこう訳す)の教会で育ったため、「外部」の見方として興味深く読むことができた。あえて言うなら、創造科学とID(インテリジェント・デザイン)論の区別があいまいであることや、ペンテコスタリズムについて触れられていないこと(そういえば佐藤優氏も同じ)には少し首を傾げた。しかし大部分は、歴史と現状についてオーソドックスに捉えられていたように思う。

    ユダヤ教について論じた手島氏の章も興味深かった。キリスト教と聖書の一部(ヘブライ語聖書)を共有しているにも関わらず、ユダヤ教の通時的な展開について、あまりに無知だった。私にとって格好のユダヤ教入門となった。また、本章の中で論じられていた、『「原理主義」という言葉に私たちが感じる危険性とは、「宗教」の内容(信仰)自体なのではなく、その「教条主義」が問題であろう』という指摘は、我が意を得たり、だった。

    イスラム教について論じた中田論文は、読み始めてすぐ閉じてしまった。どうも筆致が私の感性とは合わなかった。イスラムに付与されている暴力性的なイメージについて、過剰に防衛的な態度になっているように感じたたため。しかしイスラム教についても、一度きちんと学ぶ必要があると感じている。

  • 話があっちこっちいっててよく分からない。

  • 読了—1月11日
    【本書紹介】
     同志社大学神学部•神学研究科の職員であり、一神教学際研究センター(CISMOR)の活動メンバーによって書かれたものだ—CISMORは、そのプロジェクトが文部省から助成金を受けており、一神教の研究を通して国際政治や安全保障など学際的な研究をしている世界的にも珍しい機関だという。
     本書は「文明の衝突」のようにしばしば複雑な世界を単純なレトリックに置き換えられることへの抵抗の書であり、そのレトリックの一つとして「原理主義」を取り上げている。日本で圧倒的に知られていないであるユダヤ教、キリスト教、イスラームそれぞれの「原理主義」を取り上げ「宗教にかかわる歴史的脈絡の一部を明らかにして」世界を把握し易くする。
     1章は原理主義を理解するための基礎知識、2章は座談会方式で書かれ、3章以降で各宗教における「原理主義」を説明する。

    【若干のまとめと感想】
     本書は原理主義を、それが用いられるネガティブな意味をとりあえず引き受けた上で、それを「通文化的な問題分析を可能にしてくれる有用な概念装置」と捉え、原理主義の再定義する必要性に言及する。
     本書の目的は、「文明の衝突」や「西欧対イスラーム」などの安易なレトリックへの抵抗の書といい、一神教内部—特に多義的な原理主義に目を向けることで乗り越えようとするものであり、また西欧が例えば政教分離一つとっても欧州と米国では意味するところが違うことから「一つの世界」でないことなどに言及し、安易な言説が間違いだと警鐘を促す程度の意味はあると思う。だが、それ以上の深まりがなくNayser本だと感じた。

    <宗教学はいかにして、対話のための共通前提を築くのか?>
     本書を読んで感じたのは、宗教学者のオリジナル性がなかったこと。宗教学者でありながら、極めて初歩の政治的言説ではぐらかされた感がある。
     座談会でイスラーム研究者の中田考氏がいう。イスラームに「原理主義」は当てはまらない。キリスト教世界では原理主義が何を指すかはっきりしている一方で、それ以外の世界では本来的には意味がまちまちであり、その意味を確定出来ない(はずであった)…もし戦闘的という意味を指したいなら原理主義ではなく、武闘派といえば良い…「闘争的」と「イスラームの理想に忠実」というのは別のことで分けるべきだとの主張を展開している(p44)。さらに政治と宗教に関して進化=分化の仕方が欧米とイスラームでは異なると述べる(p66)。これを一端受け入れるとしても、現実にこれだけネガティブなイメージがイスラームに付与されているのはなぜか?
     原理主義という言葉がキリスト教側から出てきたものであることに対して、座談会では小原克博氏は米国内部の福音派の政治的参加の歴史を持ち出す。「政」として政治と宗教は本質的に切り離せないにしても、氏の視点は間接的に「文明の衝突」のイデオロギーを是認している。氏の視点を受け入れると、イスラーム側にとっても(国内外問わず)政治的力を持つことだけがイスラームの意を叶えるという思考になり、欧米とも既存のアラブ•イスラム社会とも軋轢を生む。文明内か文明間の衝突かという差にすぎなくなるように思える。そして、それを「寛容」などという言葉では、弱い立場に対し既存の支配に甘んじることを要求するだけとなり「イスラーム教徒は「寛容」にはなれない立場にある」(田中p51)と返答されよう。
     確かに、西欧内部の差異を述べ欧米もイスラームも一枚岩でないこと(むしろ内部の問題が大きいこと)に触れるのは大事だが、現にある優劣のイメージを乗り越えるには弱すぎる。優位にあるものは支配を固め、不利なものは覆そうとする。そして日本人にはイメージがわかない。
     政治的な言説に宗教勢力を絡めるために宗教を絡めるにしても、米国福音派のような宗教勢力が政治力を利用し宗教•人種的な優位を政策に載せるにしても、その相互作用は結局、政治的な強さに宗教のイメージをくっ付ける点では変わらないのではないか?だとすれば「文明の衝突」は不可避になる。実際、世界中でそのような勢力が手を変え品を変え、政治的イデオロギーとして宗教を用いている。その点、ブッシュの背後の勢力もアル•カイーダも同じ思考回路である。

    <日本と原理主義>
     その点、日本と原理主義との関係は興味深いテーマである。近代化の過程で生じた日本主義やアジア主義のようにキリスト教的世俗国家に倣うことへの緊張が見られた時代が日本にも原理主義がりナショナリズムと分ちがたく結びついていた。日本は西欧近代へのある意味極めて正しい理解から一神教こそが近代化への道と考え、国家神道を軸にした近代天皇制国家となった。そしてその下で発展した一方で、日本は国家としての抑制装置を日本的な伝統の中から見いだせなかった。
     「西洋の世俗主義国家を模範とし、また、西洋に対抗しながら近代化を推しし進める過程である意味不可避的に生じてくる近代化•世俗化とその反動としての原理主義を、より広い地平においてとらえ、そのなかに日本の近現代史を位置づけることによってこそ、いっそう明確に日本の特殊性が見えてくる…」(p39)。日本人にとって、私はむしろこの戦前の思想—日本の原理主義とも言えるような思想—のあり方を学び現代の文脈で捉えなおすことによって初めて、宗教を通した世界理解があるように思える。

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著者プロフィール

1965年生まれ。同志社大学神学部教授、同大学良心学研究センター長。1996年同志社大学大学院神学研究科博士後期課程修了。博士(神学)。専門はキリスト教思想、宗教倫理、一神教研究。

「2023年 『徹底討論 ! 問われる宗教と“カルト”』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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