[新訳]留魂録

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569800028

作品紹介・あらすじ

幕末に国のあり方を憂い、指導者として、また人として志を貫いた生き方とは。いまこそ日本人が学ぶべき大切なこと。

感想・レビュー・書評

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  • 新訳 留魂録
    吉田松陰の「死生観」
    編:松浦 光修

    留魂録:吉田松陰が死刑を目前として、獄中で記した書

    「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

    欧米諸国による侵略は、正義、に反しています
    言い換えれば、この場合、それに立ち向かうことは、つまりは正義を守ることになるのです
    つまり、攘夷の根底には、正義を守るという考え方があります。
    この考え方が、吉田松陰をはじめとする幕末の志士たちの根底にありました

    本書は、吉田松陰の死生観をあらわしていると思われる史料を選び、それを現代訳したものです。

    行動の人、吉田松陰の軌跡です。彼の詠んだ和歌も味わい深い

    気になったことは以下です。

    「世の人は よしあしごとも いわばいえ 賤(しず)が誠は 神ぞ知るらん」
    世の中には私たちの行動について、ほめる人もあれば、けなす人もいる。言いたい人は何とでも言えばいいのです。私たちの心の中は、ただ神さまだけがしっているから

    「かくすれば かくなるものと しりながら 已むに已まれぬ 大和魂」

    できることなら、七たび人間に生まれて、国賊を滅ぼしたい

    頼山陽の日本外史での、楠木正季のことばである
    松陰は松下村塾で、「日本外史」をテキストの1つとして教えているほど、高く評価していました。

    私は、ひたすら忠義のために行動しようとしているのに、彼らは、その行動を起こすことによって、どのような成果をあげられるのか、などと、そんなことばかり考えて、結局、何も行動しないところである

    松陰にとって、忠義とは行動そのものであって、結果ではない
    いつの世も、人は結果を気にしがちなものです。しかし、現代人には、とくにその傾向が強いように思われる
    ですから、今の日本人は、発言や行動が、慎重すぎるほど、慎重になってしまったのでしょう
    その結果、現代の日本からは、ほんとうの意味での自由がどんどん失われつつあります

    今のところ、日本には、、ほそぼそと、ではありますが、言論の自由が保障されています
    ですから、幕末の日本のように、何かを言ったから、書いたからなどと、そういうことですぐに投獄されたり処刑されたり暗殺されたりする、というところまでは、まだいたっていません。
    しかし、幕末という時代は、何らかの政治的は発言や行動がすぐに自分の死へ直結した時代です

    人はよく、天の時、という。しかし、人はあらかじめ、天の時を知ることはできない
    それは振り返った時に、はじめて見えてくる
    行動を起こしたものが、追憶のなかでのみ、それを知るのである

    古今東西、人にとって、嫉妬心 というのは、やっかいなものです。
    かねてから、私は、人というものが、罪 を犯す最大の原因の1つは、嫉妬心 ではないかとさえ思っています

    松陰が唱えた思想 草莽崛起(そうもうくつき) つまり、民間人が立ち上がって世の中を変えることである

    一心不乱になりさえすれば、何ごとに臨んでも、少しも心配することがなくなり、縄で縛られても、投獄されても、処刑場に臨んでも平気になる

    禍福は縄のごとし

    神へ願ふよりは、身で行ふのがよろしく候

    松陰を支えた孟子の言葉

    至誠にして動かさざる者は、未だ之れ有らざる也
     誠をきわめれば、その力によって動かせないものは、この世に1つもない


    「云わずても 君のみは知る 我が心 心の限り 筆も尽くさじ」

    「帰らじと 思ひ定めし 旅ならば ひとしほぬるる 涙松かな」

    死して不朽の見込あらば、いつでも死ぬべし、生きて大業の見込あらば、いつでも生くべし
     死んで自分が、不滅の存在 になる見込みがあるのなら、いつでも死ぬ道を選ぶべきである
     生きて自分が、国家の大業をやりとげることができるという見込みがあるのなら、生きる道を選ぶべきである

    死友に負(そむ)く者、安(いずく)んぞ、男子と称するに足らんや
     死んだ友を裏切るような生き方をする者を、どうして男らしい男とよべるであろうか

    待ち得たる 秋のけしきを 今ぞとて 勇ましく鳴く くつわ虫かな

    親思ふ 心にまさる 親ごころ けふの音ずれ なんときくらん

    棺の蓋がしまったあと、に、のちの世の人々で議論してもらえればいいのではないか、と思っています

    極限状態にありながら、どことなく不思議な明るさと透明感がただよう心境、それは、安心立命の境地です
    安心とは、仏教の言葉で信仰や実践により到達する心のやすらぎを意味し
    立命とは、儒教の言葉で、天が己に賦与したものを、まっとうするという意味になります

    松陰は自分の死を一粒のモミにたとえています。私は死んでも、私の志を継ぐ者があらわれれば、それは私が、立派な種モミであったということではないか

    むしろ玉となりて砕くるとも、瓦となりて全かるなかれ、
     正義や名誉のためならば、死を厭わず、むしろ、宝石が砕けるように散るべきである。決して生きながらえて、価値のない瓦が残りつづけることのないように命を全うすべきでない

    日本中の人々の心を、誰もが納得できる一点、に結集するしかありません。その、誰もが納得できる一点、こそが天皇だったのです

    吉田松陰の死は、安政6年、1859年10月27日、明治維新を待つこと9年、日本橋伝馬町の獄舎でのことであった

    目次
    はじめに 『留魂録』の奇跡
    第1章 死生を想う
    第2章 死生に対す
    第3章 死生を悟る
    第4章 死生を決す
    第5章 死生を定む(『留魂録』上・安政六年十月二十六日)
    第6章 死生を分かつ(『留魂録』下・安政六年十月二十六日)
    第7章 死生を超えて―わが兄・吉田松陰
    おわりに 魂をとどめて

    ISBN:9784569800028
    出版社:PHP研究所
    判型:新書
    ページ数:360ページ
    定価:950円(本体)
    発売日:2011年10月27日第1版第1刷
    発売日:2020年03月03日第1版第6刷

  • 名著

  • 吉田松陰の生き方について論じる内容

  • 歴史はさっぱりですが、吉田松陰について学ぶ機会があり、もっと彼の人となりや思いを知りたくて読みました。
    解説が丁寧で本当に分かりやすく、この本を足がかりに他の本にも手を出して着々と幕末にはまりつつあります。

  • 体は個人、心は公

  • ”門人たちへ書き残した十六条の『留魂録』を中心に、獄中で書かれた数多くの手紙を解説。「死」「生」への向き合い方、「天命」についての強い思いを感じた。不滅の存在、国家の大業、人生の四季、同志のつながり…。

    <読書メモ>
    ・「七生説」は、南北朝時代の忠臣・楠木正成(楠公 なんこう)を想起しつつ、松陰なりの人生観を語ったものです。(p.35)

    ★私は、私のあとにつづく人々が、私の生き方を見て、必ず奮い立つような、そんな生き方をしてみせるつもりです。そして私の魂が、七たび生まれ変わることができれば、その時、はじめて私は、「それでよし」と思うでしょう。
     はたして私に、そういう生き方が可能かどうか……、それは、ひとえに今後の私の生き方にかかっています。そのような思いを込めて、私は、この「七生説」を書きました。(p.47:安政三年四月十五日)

    ・自分のことや、自分の家族や職場のことなら、今の人でも、そこまで思いつめる人は少なくないでしょう。しかし、「自分の国」のことで、ここまで思いつめることのできる人など、さすがに幕末という時代でも、それほど多くいたとは思えません。(p.86)

    ・荘子は、こう言っています。「死生は、人生の大事件である(そうであるからこそ、死生につながる身体は、あくまで慎重でなくてはならない)」。この一言は、ほんとうに正しく、まことに戒めになる言葉です。「死」について、じっくりと考えた上で、さらに考えて、私たちは少しも心残りのない心境で、死んでいけるようにしなければなりません。(p.103:野村和作あての手紙 安政六年四月二日)

    ・来年の春というと、まだ時間もありますから、お互いに努力して学問をしましょう。(略)二つとない命です。惜しんだ上にも惜しんで、残った人生……、最高で、最上の生き方をしようではありませんか。(p.117:同上)

    ・今から私は、人がやさしげにものを言ってくれば、やさしげに応えます。人が、はげしい顔つきでものを言ってくれば、目を閉じているだけです。大声で怒鳴ってくる人がいれば、黙っていようと思います。そういう人々は、どちらにしても同じような人々なので、憎む必要さえありません。(p.140:入江杉蔵あての手紙 安政六年四月二十二日ごろ)

    ・“上の人々”に何かをしてくださいと言う前に、まずは自分たちの力で、その“上の人々”が「尊皇攘夷の行動ができるような状況をつくりだす」ことが大切である……と、松陰は考えはじめます。(p.143)

    ・そのような短い人生なのですから、何か一つでも、腹の虫がおさまるようなことをやって死なないと、成仏することはできませんよ。(p.155-156:品川弥二郎あての手紙 安政六年四月ごろ)

    ・「帰らじと 思ひ定めし 旅ならば ひとしほぬるる 涙松かな」(『涙末集』) (p.170)

    ★“死とは、好むものではない。また、憎むものでもない。正しく生ききれば、やがて心が安らかな気分になる時がくる……、それこそが、死ぬべき時である”(p.175:高杉晋作あての手紙。安政六年7月中旬。李卓吾の『焚書』の要約)

    ★ですから、死んで自分が“不滅の存在”になる見込みがあるのなら、いつでも死ぬ道を選ぶべきです。また、生きて、自分が“国家の大業”をやりとげることができるという見込みがあるのなら、いつでも生きる道をえらぶべきです。生きるとか死ぬとか……、それは“かたち”にすぎないのであって、そのようなことにこどわるべきではありません。今の私は、ただ自分が言うべきことを言う……ということだけを考えています。(p.176:同上)

    ・「死んだ友を、裏切るような生き方をする者を、どうして”男らしい男”と呼べるでしょうか」(p.181 『照願録』)

    ・くれぐれも、言っておきますが、大切なのは、人の死を悲しむことではなく、自分がなすべきことをなすことです。(p.196-197:父と叔父と兄あての手紙。安政六年十月二十日)

    ★人の心というのは、“自分を超えた”ものや人につながっている……と感じた時、はじめて“生きる手ごたえ”を感じるような“構造”になっているのでしょう。(略)
     ですから私は、今の日本には、ほかならぬ一人ひとりの「幸せ」のためにも、「世のため、人のため」という「公」の意識をとりもどすことが、もっとも求められている、と思っています。じつはそれこそが、一人ひとりの人を「幸せ」にするだけではなく、それぞれの人を、人として“強く”“優しく”するための“最短距離”の道であるということを、昔の日本人は知っていたのではないでしょうか。(p.200-201)

    ・このようにして“死の準備”も整い、いよいよ松陰は、最後の著書の執筆にとりかかります。その著書こそ、『留魂録』です。
     その最後の著書の「読者」として、松陰が想定していたのは、自分の門人たちでした。(p.211)

    ・人というのは、しばしば意図的に、あるいは無意識のうちに“自分の記憶の書き直し”をするものです。つまり、人というのは、どうしても、その時点の自分にとって、つごうがいいように“過去をゆがめて語る”ものなのです。
     (略)
     しかし、正直であるからこそ、松陰は、きわめて膨大な文章を書き残していながら、それらの相互の内容に、矛盾がほとんど見られないのでしょう。そして、また正直であるからこそ、死を目前にしても、これだけ平静な文章を長く、そして速く書くことができたのではないでしょうか。(p.232-234)
     #★むぅ、わが誠実はどうだろう? 矛盾だらけではないか?? → 人を気にせず、天を気にせよ。

    ★人というのは、十歳で死んでいく人には、その十歳のなかに、春・夏・秋・冬の四季があります。二十歳で死んでいく人には、その二十歳のなかに、春・夏・秋・冬の四季があります。
     (略)
     十歳で死んでいく人を見て、「あまりにも短い」と考えるのは、もともと命の短い夏のセミを、もともと長寿の椿の霊木と比べるような、愚かなことではないでしょうか。それと同じことで、百歳まで生きる人を見て、「あまりにも長い」と考えるのは、(略) どちらの考えも、“天寿”ということがわかっていない考え……といえるでしょう。(p.240:『留魂録』第八条)
     #それぞれの四季。

    ・松陰は死の直前まで、獄中で知り合いになった志ある人々と、松下村塾の“諸友”たちとのネットワークづくりに全力を注いでいたのです。(p.261)

    ・一言で言えば、「尊皇攘夷」というのは、日本が欧米諸国の植民地にされてしまいそうだ、という危機的な時代にあって、そのころの人々に、内政上と外交上の、いわば“唯一の活路”を示した言葉でした。(p.268)

    ★同志の皆さんが、日本を動かすような大事業をしようと思っているなら、日本中の志ある人々と、志を一つにしておく必要があります。そうしておかないと、そのような大事業を成しとげることなど、とてもできないでしょう。(p.272:『留魂録』第十三条)

    ・歴史を大局的に見れば、松陰は、明治維新という大変革の幕を開けるために、まずは自分の人生の幕を、あえて意図して閉じさせたのではないか……とも考えられます。そのような“天命”を、たぶん他の誰よりも、松陰自身が意識していたはずです。(p.292)

    ・“勇気”を奮って、正面から“リスクを冒す必要のあること”に向かって行く時、たぶん人は、心の底から人生を、いわば“おもしろい”と感じるのでしょう。(p.295)

    ★切ニ嘱ス。切ニ嘱ス。(p.353:『留魂録』原文 第十三条)

    ★心なる ことの種々(くさぐさ) かき置きぬ 思残せる ことなかりけり (p.354:『留魂録』 かきつけ終わりて後)

    <きっかけ>
     人間塾 第8回の課題図書。”

  • 留魂録にいたるまでの話が、松陰の言葉の超訳とともに記されている。留魂録の原文もあり名著である。

  • 【櫻井】吉田松陰先生の人生観・死生観に触れ、現代を生きている僕たちにはなかなか感じ得ない感覚を疑似体験できることで、自身の人生観・死生観に気付きをいただけた。とても強い信念の中に見せる弱さや人間臭さが見え、これだけの人でも弱さや孤独感があるのだなととても勇気をいただきました。

  • 【2015/6/10】
    紹介者:北村さん
    レビュー:米山

    今話題の「花燃ゆ」のテーマ 吉田松陰の生死感。
    なんのために死ぬのか、自分は何のために命をかけているのか、それを明確に把握している人は強い。

  • 吉田松陰について臨場感をもって知る事が出来る一冊。現代日本における危機の本質が何か分かると思います。御神縁によってこの本に出会えた事に感謝します。

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著者プロフィール

昭和34年、熊本市生まれ。皇學館大学文学部を卒業後、同大学大学院博士課程に学ぶ。現在、皇學館大学文学部教授。博士(神道学)。専門の日本思想史の研究のかたわら、歴史、文学、宗教、教育、社会に関する評論、また随想を幅広く執筆。全国各地で講演活動を続けている。著書に『大国隆正の研究』(神道文化会)、『日本とは和歌――国史のなかの百首』(慧文社)など多数。

「2023年 『天皇を仰ぐ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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