作品紹介・あらすじ
宗教とは何か、そして、私たちに何をもたらしたのか。従来の宗教観とはまったく異なる方向、いわば「人々の救済」という美名のもとに隠されてきた宗教の本質を見極める。
感想・レビュー・書評
絞り込み
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マザーテレサも気づいてしまった宗教の矛盾を、素人にも分かりやすく教えてくれる。
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まとめ
★物理世界は、情報場=言葉が作り出している
→だから「はじめに言葉ありき」なのである。
→言葉が宇宙を生み出していると言うのは、その意味で最もなのである。
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キリスト教(ユダヤ教)について広く浅く学べ、
さらに苫米地独自のお金にまつわる資本主義社会の宗教論、宗教の作り方まで幅広く(とはいえ浅く)インプットできた
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2012年出版にしては、踏み込みが浅い。
と言うても、この一ヶ月ほど苫米地氏の本を追いかけていての発言であって、著者を貶める気はない。
でも、原理が分かっていない人が読むと、トンデモ本に見られてしまう恐れ無しとしない。
宗教という分野に警鐘を鳴らすという意味合いでは、それなりの価値はあると言えるかな。
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いまいち、途中で読むのをやめてしまった。何が言いたいのかわかりにくいしキリスト教についての解説もかなり浅い
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オウム真理教の信者の洗脳を解いたという著者の宗教に関する本。
1.宗教に洗脳されるからくり
「はじめに言葉ありき」=>言語束縛、恐怖による束縛
2.なぜキリスト教は世界宗教として君臨できたか
3.現代の世界宗教
お金教
4.世界宗教を1週間で作る法
という構成になっている
お金教のところで、銀行が通貨発行権を持ち、通貨の量を調整して景気、不景気の波をを起こしている、と書いているが逆なんではないか。確かに、引き締めの時などはそういう面もあるかもしれないが、景気が悪くなるから通貨供給量を増やしてお金が回りをよくして、景気を良くするのが順序のはずだ。
エピローグのところで、宗教というのは教祖の言ったこととは違うことを教義として人々に広めていっていると筆者が語っているが、納得するところがある。
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古代宗教史を知れば、あからさまなモチーフの継承問題からキリスト教のどこが史実ではなかったかわかるでしょう。
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【まとめ】
宗教の定義:ユダヤ教が由来。故に唯一神との契約が条件。キリスト教イスラム教などメジャーどころは古代ユダヤ教より派生。唯一神契約宗教は少なく、そうでない宗教はバチカンの政治的配慮による。仏教は今や殆ど宗教の形態を取る。
学問発生の順番は神学(神の存在証明)→哲学(証明のための知的技術古代ギリシャ)→錬金術→科学物理学(神の行い解明)。音楽美術も神の世界を描くツール。
ユダヤキリスト教は言葉(情報)に始まり、言を神とする=言霊信仰。(情報空間に指示したことが物理空間に現れるシステム、言語化されないものは存在しない)
映画など物理宇宙以外の空間に臨場感がある状態を変成意識状態と呼び、この時に人は最も言語束縛を受けやすい。教会神社聖歌お経マントラは変成意識作成装置。この状態で恐怖や快楽(禁欲、天国の疑似体験)を利用すると支配が可能となる。→恐怖のコントロールについては別レビュー「イヤな気持ちを消す方法」に記載
記憶や関係で人間が成り立つこの世界のシステム(想念)を仏教では縁起と呼ぶ。この言語束縛から自由になるためには言語や思考を取り払う。
文明の発達により死が身近でなくなり、神話や言霊信仰も衰滅し、宗教はあの世のご利益からこの世のご利益に移行。資本主義神話をバックに持ち恐怖や快楽を使ってこの世の理論で支配を目指すお金教が台頭。
■キリスト教が世界宗教となる過程
キリストはユダヤ教の選民思想(差別、罰としての病)、律法遵守(貧乏人は安息日を守れない)などの言語束縛から「神の絶対愛」を説いて解放。イスラエル王国、ユダ王国滅亡後500年の間にバビロニア王国、ペルシア、ローマ帝国などに支配抑圧され、民族的アイデンティティの危機に瀕していたユダヤ民族、社会的弱者に支持を受ける。(ユダヤ教の核はメシア思想だが当然キリストをメシアと認めていない)。キリスト死後弟子達により原始キリスト教が誕生(この時点ではユダヤ教の分派)。(なお、キリスト教は復活以外は宗教に不可欠な神話を持たず近代宗教の要素を持つと言える)
■パウロの登場
学のない下層階級の支持を受けていたキリスト教を迫害していたユダヤ教のエリートパウロが落馬した衝撃で盲目になったのをキリスト教徒に治してもらったことで回心。リーダーとなりキリスト教を再構築組織化し牽引。ただし無条件の愛を説くキリストは神との契約を否定したはずであるため、新約(=新契約、ちなみに旧約聖書は新旧を持つキリスト教の呼び方であってユダヤ教にとっては旧ではない)を唱えたパウロの教えとは異なると考えられる。新約:旧約聖書での契約を破って正しい行いをしない人間を神が滅ぼそうとしたのをイエスが身代わりになって止め、新契約を結んだとの意。
■ミラノ勅令
ユダヤ教と対立しローマ皇帝を神と認めることを拒否したキリスト教はネロ帝など歴代皇帝から益々迫害を受けながらも上流階級にまで広がる。コンスタンティヌス(副)帝は内乱の激しいローマ帝国を統一する目論見で信教の自由(=キリスト教)を公認。
■ニカイア公会議
コンスタンティヌス帝が自分にとって都合の悪い章(ユダの福音書等)を新約聖書から排除し外典としたパウロを開祖と認定。自分が(三位一体によって)神と同位となる説を支持編纂し正典を確定。キリスト教が世界宗教になるきっかけとなる。
■活版印刷と宗教改革
グーテンベルクが聖書を印刷(=神格化される)したことと、腐敗したカトリック教会や聖職者へのアンチテーゼとして起こった聖書原理主義運動が影響し合いプロテスタントが発生、ルターの宗教改革となる。文書化されたことで、神を信じない者は救われない=言語束縛の強化が起こる(本来のキリストの意向とは逆)。
■仏教
インドではバラモン教(古代宗教)のブラフマン(宇宙の根本原理)を釈迦が縁起の概念を使って否定。(キリストと同じくアプリオリの否定)
しかし後世で釈迦=神とされ、神話が創られ、後に神話の代わりに超能力がウリに。(現代でも超能力は利用されている)
■世界宗教となる条件
組織化後に必ず教団の論理と矛盾し滅ぼしかねないほどの強烈で普遍的な救済メッセージを持つ開祖の宗教が世界宗教となる。
■お金教の成り立ち
お金の福音=どんな人でも働きさえすれば欲しいものが手に入り豊かになれる。
お金はモノの交換道具であるため経済規模に連動させる必要(当時は経済規模を測定できないので便宜的に金本位制)があった。そのため1971年ニクソンショックまでは刷ったドル分を米陸軍基地内にゴールドで積み立てていた。しかし産業革命、国家ごとの巨大消費、情報空間での生産の発生により、GDPが採掘量を上回って追いつかなくなったため連邦準備銀行(合衆国内12地区の民間銀行の集合体)の裁量に。なぜか銀や石油、GDP本位制などで代替されなかった。
■お金の歴史
11世紀英国で金本位制の元お金の発行権を持っていた両替商に対抗して国王ヘンリー1世は法定通貨(=納税に使う通貨)での納税を義務づけ通貨発行権を取り戻す。それに対する両替商(=後のロスチャイルド家などを核とする銀行集団)の対抗処置がマグナカルタ(バンカーの議会の買収(?)による王権弱体化)であり、対する国王側の処置が百年戦争、薔薇戦争(絶対王政の確立)である。これらの争いは清教徒革命によってバンカー側の勝利で終わる。その後、バンクオブイングランド(資本の80%が民間)が通貨発行権を握る。
■通貨発行権争奪戦舞台のアメリカへの移行
アメリカ独立戦争、南北戦争、第一次第二次大戦などバンカーは法定通貨を無価値化するために戦争を起こしはじめる。その理由の1つは戦時下の国の通貨の価値の下落を利用し(法貨を物資の購入に使えなくするという意味の)金本位制に戻る状況を作るため、もう1つは敵味方国に戦費の調達用として莫大な借り入れをさせるため。バンカーは暗殺やテロも駆使。バンカーを廃止しようとした第7代大統領が暗殺未遂、銀行を通さず政府が独自に刷った通貨を発行した16代リンカーンが暗殺、ほか通貨発行権に介入した何人もの為政者が不審死や暗殺未遂にあう。
FRBの設立は殆どの議員がクリスマス休暇でワシントンを出払った時を狙い、事前にバンカーと口裏を合わせていた議員が採択、設立が可決されたもの。
■フェアからアンフェアに
通貨発行権の濫用により貧富の差が拡大。言語束縛によりお金の福音メッセージはますます強力に。お金そのものが価値になり、準備預金制度(FRB設立で合法化)の元で信用創造の詐欺(元手なしで貸出金を創出し金利を得る)がまかり通るように。
■信用創造の歴史
中世末期のヨーロッパでゴールドの細工商ゴールドスミスが客に発行した預かり証が発端。丈夫な金庫を持っていたためゴールドを預けに来てそのままにする人が増え、持ち運びが重いため預かり証を決済に使い始めた。そこでゴールドスミスは自分が保有する以上の預かり証を発行、利子を取った。現代の銀行の信用創造もこれと同じ。ちなみにユダヤ教やキリスト教はもともと金利を取ることそのものを禁じている。
■世界に刷ったドルを売りつける米国
刷りすぎたドルがインフレを起こさないよう米は基軸通貨であることを利用して世界中にドルをリザーブさせる作戦を取っている。中国は固定相場制を維持するために貿易収支の黒字に見合うドル買わざるを得ず、中国が黒字国で固定相場でいる限り米はドルを刷りまくれる。
■共産主義の救済
お金教の平等理想をさらに純化した強力な救済メッセージを持つ宗教が共産主義であり、お金教でも救われない能力差や資本、環境差に対して万民の完全な平等を説く。だが実現には権力を一点に集中させ計画経済を実施する必要があるため、リーダーが人間離れした私利私欲のない人物であることが条件となり、現実的ではない。マルクスは宗教を否定したが共産主義は宗教的世界観と形式を持ち、お金教に対して一時世界に影響を及ぼしたことは興味深い。
■お金とは
交換は本来自分が消費した余り物を活かすためにある。この根本が見落とされ、手段ではなく目的となっている。
経済学ではお金の機能を価値の保存や価値の尺度などとするがそもそも余り物を交換するためにあることについて触れられることがない。マルクスはお金の定義を「余剰価値の自己増殖的な運動体」としている。
■銀行のやり口
マネーサプライを増やして個人や企業に資産を増やさせ、充分に富が生み出されたところで絞り、不況を起こして破産、倒産させ、資産を担保に取り上げる。これを繰り返す。不況は銀行が意図的に起こしており銀行がなければ不況はない。
■お金の支配から脱するには
一つは、GDPの成長分に合わせて新規供給量を連動すること。そうすればインフレもデフレも好況も不況もなくなり、またお金教当初の考え方=モノがあってそれに値段を付ける、余りの交換をする、との原点回帰が可能となる。
もう一つは、信用創造という詐欺(デリバリティブ=想定元本も同様)をやめること。
日本はBIS(国際決済銀行)規制(=信用創造の限度額を定めたもの)によって強く縛られており、通貨発行量を自由にできない(それどころかGDPの伸び率に供給が足りておらず不況を起こしている)。よって円は健全であり国際的に信用が高い。これにGDP本位制をくっつけて世界に宣言すれば健全性から基軸通貨としての価値が高まる。
お金教の洗脳のまやかしに気付いていたのはマルクスだけで、ケインズもアダムスミスもお金教の僕であり、また経済という言葉自体、銀行の絶対性を担保するまやかしの言葉である。
宗教が唱える救済は殆どが恐怖とのマッチポンプとなっており、お金教も例に漏れずであることが分かる。
私たちは一つ上の価値をもち、現実世界からの覚醒をしましょう。・・・という内容。
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「宗教」という言葉を誤って解釈していたとこの本を読んで知った。
本書の内容は当初、有名な宗教の成り立ちや争いなどの説明なのかなと思っていたがそんなミクロの視点ではなかった。
いかに宗教というものが人を洗脳してきたか。
いかに権力者が宗教を利用して人を洗脳してきたか。
時代が変わるにつれ権力者が人を洗脳するためいかに手を変え品を変えているのか。
また、著者が語る宗教の洗脳としてのワード「言語束縛」は宗教でなくとも巷にありふれていると気付いた。就職活動時のセミナーや就活・転職サイトのコラム。恋愛コラム、育児コラム。大半が、自社サービスもしくは製品を使わせるための言語誘導だったのだ。安易ににっかかっては馬鹿にされ搾取されるだけだ。もしかすると、受け取り手だけでなく、書き手、提供する側も洗脳されているがゆえ、善意の行動と盲信しているかもしれない。いまの日本の報道も広告も大手のものは信用できるものは本当に数少ないと気付いたが、それに気付いている人はいったいどれだけいるのだろうか。
私は、まず多くの人にこの本を一読してもらいたい。そこから、また自分で考えてほしい。
苫米地英人の作品
宗教が、人の心を弄んでいるしたら、最も許せない行為ですね。
この本は読んでみます!
宗教が、人の心を弄んでいるしたら、最も許せない行為ですね。
この本は読んでみます!
人の心を弄んでいるとしたら、、
弄ぶのも、弄ばれるのも、同じヒトですから、また何とも言えない虚無感に苛まれます...
人の心を弄んでいるとしたら、、
弄ぶのも、弄ばれるのも、同じヒトですから、また何とも言えない虚無感に苛まれますね。