- Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
- / ISBN・EAN: 9784575240573
感想・レビュー・書評
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藤野千夜さんの編集者時代を描いた自伝的小説。藤野さんのいつものサクサク淡々とした口調で語られる、80~90年代の出版界のエピソードが一つ一つ興味深い。とにかくたくさんの登場人物が出てくるので、頭の中での情報整理が大変。長編小説は一気読みしたいタチだが、本書に関しては時々立ち止まりながら、ゆっくり噛みしめるようにページを繰った。
個性的な出版社の同僚たち。次々に登場する、錚々たる大御所漫画家。主人公:小笹(笹子)の担当する漫画誌は劇画系のため、あまり馴染みはなかったものの、改めて知ることもあって新鮮だった。
自分の性に違和感を感じる小笹=笹子が、少しずつ少しずつ女性っぽい服装にシフトしていく過程で、スカート的なパンツを「ささぱん」と表現していたのがかわいかった。内気で人見知りっぽい印象の笹子だが、つくづく、仲間に恵まれているなぁと思う。女性化していく笹子を自然に受け入れる職場の女子達。仕事を通じて知り合う漫画家の岡崎京子や、サブカルシーンに大きい影響を与えたライター川勝正幸とも親交を深めていたとは。
女装を咎められて会社をクビになる過程は胸が痛いが、退職後の笹子の歩み(ページ的には少ないが)を個人的には興味津々で読んだ。約20年前か…藤野さんのデビュー作「少年と少女のポルカ」の岡崎京子さんのカバー絵にすごく惹かれ、「新人作家で岡崎さんのイラスト!どういう経緯で?」と思いながらジャケ読みしたことを今でも鮮明に覚えている。その後ずっと藤野作品を愛読してきた私にとって、作家デビュー前後の過程を知ることが出来て本当に嬉しかった。胸熱でした。
そして、同じく自伝的小説の「D菩薩峠漫研夏合宿」の後日談的エピソードもまた心に沁みる。母校の校長先生(藤野さんと一つ違いの卒業生)との対話、LGBTの生徒への誠実な対応に、グッときた。
読了後、じっくり表紙を眺めながら「これが笹子でこれがアダっち、西田さん、えっちゃん…」と登場人物探しをするのが楽しい。アトムや手塚治虫、編集部に紛れ込んだハト、スイカを食べながらの花火大会など(岡崎さんと川勝さんもいる!)、本書に登場したシーンも凝縮して描かれていて、お見事。
藤野ファンとしては本書を読めて本当に本当によかった。改めて藤野作品、大好きだ。神保町に行きたくなっちゃったな。過去と交互に語られる現在パートでは、親友の編集者アダっちとの神保町巡りでのフード描写が印象的だったもので。トキワ荘、手塚プロなどの聖地巡礼もまた楽しく、色々な小ネタが全体的に散りばめられているのもまた藤野さんらしい。
もう様々な意味で、私にとっても大切な一冊となった。熱くて笑えて濃いのにどこかユルく、そして優しい作品だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんとこれは「D菩薩峠漫研夏合宿」の続篇的内容。自身の中高時代を綴った「D菩薩~」はかなり覚悟を決めて書かれたそうだが、本書にはそれ以上の覚悟や勇気が必要だったことだろうと、読み終えてしみじみ思った。漫画雑誌の編集者として過ごした日々のことと、そこをクビになった顛末が、二十年以上たってその会社のあった神保町(文中では「J保町」)を訪れる現在のパートと交互に描かれている。
会社名や雑誌名は架空のもので(ちょっと調べたらすぐわかるけど)、周囲の編集者の方たちなどもおそらく仮名だと思うが、他社の雑誌や漫画家などは実名で登場する。著者によると、エピソードはすべて事実だそうだ。小笹(文中での著者の名)が「青雲社」に入社するのが1985年。時はバブル。出版業界、特に雑誌はイケイケの頃だ。活気のある業界の様子や、個性的な漫画家たちのエピソードがあれこれ書かれていて、ここは非常に楽しかった。
藤野さんって本当に漫画が好きなんだなあ。で、ミーハーなんだよね。そこにすごく共感する。手塚漫画のグッズを買って喜んでるとこなんか、ほんとカワイイ。大御所から新人まで、劇画から少女漫画まで、多くの漫画家が出てくるけど、その仕事への敬意が感じられる描き方だ。売れる前からこの人は面白い!と注目していたという中崎タツヤ(「じみへん」をずっと描いてて、還暦で引退・断筆したとは知らなかった)や、「憧れの」とつく桜沢エリカ・岡崎京子などのくだりが印象的だった。(岡崎さんの現在のことにちらっとふれてあった。お元気らしい。どうかそうであってほしいと思う)
一方で、会社があった神保町にはずっと足を向けないようにしていたと、冒頭から語られていて、この楽しげな編集者生活が不本意な形で終わったことが最初に示されている。現在のパートと行きつ戻りつしながら、次第にその経緯が明らかになってくるのだが、それは藤野さんの生き方の根本と関わることだ。何年もかかって「小笹」が「笹子」となり、とうとうスカートで出社するようになったことを、当時の会社は許容しなかった。今なら問題にならなかったであろうに…。
妥協せず退社の道を選んだ後の無職生活、小説を書き始め、やがてそれが賞を取り、今の藤野千夜となるまでがさらっとした感じで書かれている。この筆致がいかにも著者らしい。
会社員としての日常や、退社に至る流れのなかで、一番心に残るのは、同僚の女性たちのあたたかさや頼もしさだ。「笹子」を自然に女子仲間として受け入れ、休憩室でのグループの一員とし、会社を辞めた(辞めさせられた)後も、女子会に呼ぶ。まっとうな女子ってこうだよなあ。「女同士」っていう言い方や考え方をわたしはあまり好きでないが、ここにはその一番いい形があると思う。
本作は月刊誌に連載されていたのだが、その連載を読んだかつての同僚(男性で今は作家になっている)が、「あれはもっと自分の中の、どろどろしたものをさらけ出したほうがいいんじゃないかな。血とか腸とか」と言ったそうだ。これは、芥川賞受賞作「夏の約束」について、「これではゲイのカップルが男女のカップルと変わらない」と評した感覚と同根ではないかと思う。これはこれで藤野さんが言うとおり「一つの考え方」だろうが、そういう書き方こそが藤野千夜なのであって、わたしは断然好きだなあ。その場にいた元同僚のえっちゃんが言った「いーの。笹子はあれで」に拍手。
強く心に残ったことをいくつか。
・会社とトラブルになっていた頃、話を聞いた他の出版社の人が、懇意にしている大島弓子先生に事情を説明して、「笹子、がんばって」とメッセージの入ったイラスト入りサイン本をもらってきてくれたそうだ。その本のタイトルは「つるばらつるばら」。うう、泣けてくる。「話すことが全部真実だというのはすごいことだ」「解放するというのはすごいことだ」継雄のこのセリフはわたしも忘れられない。
・同じ頃、会社に労働組合を作る動きがあり、笹子も誘われて勉強会に行く。そのあと、その中心人物から呼び出され告げられたのは「組合ができても…かばいませんから」という、頼る前からの拒絶の言葉。二十数年前のこととはいえ、これはないよ。同時に「さもありなん」とも思う。旧来の組合運動が急速に衰えていったのにはいろいろ要因があるだろうが、こういう体質もその一つじゃないか、なーんてことまで思ってしまった。
・本篇の白眉は、著者が「D菩薩~」の刊行に当たり新聞取材を受けて、写真撮影のために母校・麻布学園を訪れたときのことだと思う(この記事はよく覚えている。藤野さん、きれいに写ってた)。漫研部室以外に心の安まるところがなかった母校にやってきた著者は、ただでさえ緊張しているのに、撮影後校長室に招かれて、さらに気が重い。向かい合った校長先生は学園の卒業生で、著者の一つ上、母校で数学教師を長年勤めてきたのだそうだ。この校長先生が語った、何年か前の卒業生のこと…。いやもう、読んでいる私も笹子と共に胸が熱くなった。どんどん息苦しくなっていくように思えてならない近頃だけど、確実に以前より良くなっていることも、間違いなくある。そう思えた。フェリス女学院出身と言い続けてきた藤野さん、「これからはきちんと卒業生と言います、と校長先生に約束した」そうだ。こういう日が来ると、小笹少年に教えてあげたい。 -
自伝的小説なの?
主人公が働いていた出版社だけ仮名。
でも、類推はできるように書いてあるね。
他の出版社も作家さんたちも
バンバン実名で登場します。
‘80年代かしら…
当時の神保町と業界の雰囲気がよくわかる。
フィクションとノンフィクションの間のような。
私には小説仕立てじゃないほうが
さくさく読めたかもしれない。 -
うーん。
想像と違った。だらだら長いだけな気がした。
過去と今が交互に語られるんだけど、「今」の部分は不要に感じた -
多分はじめての作者さんで、状況がすぐには飲み込めず序盤は読むのに戸惑った。
自伝的小説との事で、なるほどトランスジェンダーに関する話なのだな、と思って読んでいたんだけど、その部分は割とサラッとしていて、状況は大変だし、主人公は理不尽に傷ついているんだけど、様々な個性的な人と仲良く漫画を読んで楽しそうにご飯を食べてる様子が続くので、読んでいて重くならなかった。
数十年前の、のんびりとした小さな出版社から見たのんびりとした時代の出版業界の様子、歴代の名作漫画やその作者の方々の事を、本当に実際に見たこと聞いたことを思い出すままに書いている感じで、それがとても面白い。
最後の方では、笹子の友人、同僚たちを大好きになってしまって、とんでもなくとぼけたことを言う彼らが可笑しくて、何度も吹き出してしまった。
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あの『D菩薩峠』の続編と聞き、楽しみに読んだ。でも、あれほどの普遍性はなく、マンガに詳しくないとちょっと退屈したかな。私自身、中学の頃は下校途中にこの本の舞台でもある神保町に通いつめ、書泉(グランデかブックマートか忘れてしまった)の地下のマンガ売り場で長時間過ごし、高岡書店でLaLaや花とゆめを(今でいう)フラゲしてた口だから、最初こそ「きゃあ懐かしい!」と思ったものの、この本に登場するマンガはほとんど知らなくて。マンガファンにはたまらない、でも、逆に言うと、それ以外の人にもジャンルを超えて訴えて来る力にはちょっと欠けるという印象。藤野さんの文体が個人的に苦手、ということもあるけど。ただ、藤野さんがどうしても書きたかったことを、迷いつつ苦しみつつ、書き上げた、そのことはじゅうぶんに伝わってきて、静かな筆致だからこそ余計に怒りや悔しさはひしひしと感じた。彼女はYA作品にも名作を書いていると聞いた。この文体はYAには合っているのではないかと思う。機会があればぜひ読んでみたい。そして、こうちょうせんせーい!!かっこいい役回りでした。
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業界ネタ、昭和のマンガファンにはお勧め!