日本サッカー史: 日本代表の90年 1917-2006 (サッカー批評叢書)

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  • 双葉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575299328

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  • 少なくとも現在読んだ本では一番良い日本サッカー史。
    資料編も合わせて。

  • 1917(大正6)年5月9日、第3回極東選手権大会のサッカー競技での中華民国戦が日本のサッカーの最初の国際試合、ということらしい。その試合を0-5で落とした日本は、翌日フィリピンと対戦、この試合も2-15の大敗を喫してしまう。こうして、サッカー日本代表の歴史は幕を開けた。以来、90年におよぶサッカー日本代表の歴史をまとめたのが、本書である。一読、著者の後藤健生氏には「グッジョブ、Good Job!!」と申し上げたくなる。報道の充実している最近の出来事であればともかく、資料・史料の乏しい大正・戦前の代表のサッカーの歴史までをきちんと調べ、整理するのは並大抵の労力ではなかったであろうことは、容易に想像がつく。ご苦労様でした、と素直に申し上げたい。私は昔からのサッカーファンだ。この本に書かれている昔の試合のいくつかは、よく覚えている。1977年9月14日、ニューヨークコスモス来日。この時のニューヨークコスモスにはペレが在籍していた。日本代表との国立競技場での試合は、ペレと釜本の引退試合であった。1983年、翌年に控えたロスアンゼルスオリンピック予選。日本はニュージーランドと台湾と同組での一次予選を戦った。8月にはホームの国立競技場にニュージーランドを迎えたが、あえなく0-1で敗戦。今と違って、がらがらのスタンドに駆けつけたサッカーファンは(少なくとも私は)妙にあきらめが良く、「まぁ、仕方ないよね。代表ってこの程度の実力だよね。」といった反応であった。これらの試合を国立競技場で実際に私は観戦した。当時、日本のサッカーがワールドカップに出場する等ということは、全く予想も期待もしていなかった。が、オフトを代表監督に迎えた日本代表は、突然(と言っても良いだろう)強くなる。翌年のJリーグ開幕によるサッカーブームの後押しもあり、なんとアジアカップを初制覇してしまうのだ(これは、例えて言えば、普通の公立高校である自分の母校が甲子園で優勝、とまではいかないまでも、それに近いことをしでかしてしまったような感覚。要は信じられないということであるが)。これが1992年。ドーハの悲劇は翌1993年のことである。それ以来、地元開催を含めて、日本はワールドカップに、またオリンピックにも3回連続出場した。誰が何と言おうと、これは明らかな大成功である。しかし、いまや日本代表に対する期待値そのものも変わってしまった。ワールドカップや、オリンピックに「出場」するだけでは誰も満足しないし、去年のドイツ大会でのような不甲斐ない戦いをすると、ファンは、はっきりと失望と不満を表すようになった。というようなことを、この本を読みながら考えた。1917年に、フィリピンに2-15(ラグビーではなく、サッカーの試合で)で敗れたチームは、90年かけて明らかにレベルの違うポジションにいる。それと同じだけの進歩を、今後の代表チームがしてくれるかもしれないな、と願っている。歴史を読む、ということは、私にとっては、そういうことであった。

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著者プロフィール

1952年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。サッカージャーナリスト。元関西大学客員教授。1964年の東京オリンピックを皮切りに、欧州チャンピオンズリーグからアマチュア大会まで、6000試合以上を現場観戦している。とくにワールドカップは、12大会連続現地取材中。著書に『日本サッカー史』(双葉社)、『国立競技場の100年』『世界スタジアム物語』(ともにミネルヴァ書房)など。

「2019年 『森保ジャパン 世界で勝つための条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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