レヴィ=ストロース講義: 現代世界と人類学 (平凡社ライブラリー れ 2-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582765434

作品紹介・あらすじ

20世紀最良の知的遺産たる構造主義は、21世紀世界の難問にいかに答えるのか。構造主義を提唱した文化人類学の泰斗が、性・開発・神話的思考など、アクチュアルなキーワードを通じて、第三のユマニスムとしての人類学の新しい役割を説く。日本文化への鋭い洞察を示す、一九八六年、東京での三回の講演と質疑応答を収録。

感想・レビュー・書評

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  •  25年ぶりの同級会は、まるでタイムカプセルの中身のように、忘れていた昔の自分との再会であった。
     「一度会ったよねえ、山手線で、お前の銀行がまだ○○銀行っていう分かりやすい名前だった頃、2、3分だけど話したじゃない」
     相手はそのことを全く覚えていない。
     「お前、いつもカメラぶら下げてどうみても不審者だったよなあ」
     確かに写真家を目指していた時期はあった。だが撮らなくなってもう十年以上経っている。
     万事がこういった具合である。

     「レヴィ=ストロースって言うとお前のこと思い出すんだよねえ」
     そう声をかけてきたのはヤマモトだった。
     「ああ、この前亡くなった。百歳で」
     「そう、まだ生きてたのかって感じもしたけど。やっぱりレヴィ=ストロースって言うと、思い出すのはお前の事なんだよねえ」
     と、学生時代にレヴィ=ストロースのなんたるかを彼に刷り込んだのは私だったのだと、ヤマモトは繰り返し話した。
     そうこうしているうちに、順番にひとことタイムになった。
     「UCLAの修士課程でサミュエルソンの記念講演を聞いた。生のサミュエルソンの声を聞いた」とか誰かが自慢する。
     彼は当時の経済学徒にとっては教祖で、主著の「経済学」はバイブルだった。しかもその本の厚さは数十センチもあった。くしくもその日はサミュエルソンが亡くなった翌々日でもあった。
     「私は、ニューヨーク大学でサミュエルソンの講座を1年間専攻した」とか、自慢合戦になりかける。私はすかさず、
     「その人ってさあ、あの“枕になる本”書いたあの人?」と、突っ込んだ。
     どっと受けた。知的なジョークが通じた。すっかり忘れていた感覚である。

     80年代に学生だった私たちは、皆知的背伸びをしていた。競って難解な本、分厚い本に挑戦した。当時もてはやされた構造主義のバイブルはレヴィ=ストロースの『構造人類学』であった。吉本隆明や大江健三郎に挑んで撃沈する奴も多かった。
     ヤマモトとはもっと話がしたくて、帰り道の有楽町から大井町までの間二人で話した。
     商社で一貫して原発関連の資材の輸出入に携ったヤマモトは、いまではその分野の子会社を設立して社長になっていた。
     「俺なんかさあ、原発の仕事してるだろ。お前に会うのは楽しみだったんだけど、きっとお前に怒られんだろうなって思ってたよ」
     「なに言ってる。立派な仕事じゃねえかよ」
     「だって、お前『赤から緑へ』ってさかんにいってただろ」
     「『赤から緑へ』ってそれ俺が言ったのか?」
     驚いた私は、思いきり力を込めて人差し指で自分の方を指さしながらいった。あの頃の、イデオロギーから環境問題へというスローガンなのだろう。だが、私の方には全く記憶がない。小さな世界でオピニオンリーダーを気取っていた恥ずかしい自分の姿が浮かんできた。
     パリに四年間駐在した彼は、カルチェラタンの古本屋でレヴィ=ストロースの原書を見つけたとき、やっぱり私のことを思い出したのだという。原語で読んだ方が翻訳本より分かりやすかったという彼は、いつの間にフランス語をマスターしたんだろう。パリの街を一人で歩くヤマモトの姿を思いうかべてみた。25年もの会社生活の中で、彼なりの迷いや苦労がなかったワケはあるまい。そんなふとした時、私のことを思い出してくれたのだろうか。
     「お前は変わっちゃったの」
     「ああ、変わったさ。今じゃお年寄りのおむつ変えたり飯食わせたりの仕事さ」
     「変わってねえよ、赤から緑へ、それで今は福祉へって、お前はお前で一貫してるじゃねえかよ」
     田町を通過するあたりで、私は言うべきひとことを切り出した。
     「悪いが正直にいうと、俺はあの頃レヴィ=ストロースなんか読めていないんだ。読んで解ったと思えるようになったのはようやく最近『レヴィ=ストロース講義』を読んで初めてさ。年取ったし、書いてる方も老成して分かりやすく書いてくれるようになったからねえ。あの頃は若気の至りで、受売りや知ったかぶりで偉そうなことを吹聴して悪かったなあ」

     「大井町駅だけど」とヤマモト。
     「あらあら降りなきゃ」と私。車内からヤマモトが頭を下げてる。

     「本当に偉いのはお前だよ」
     そう言おうとしてまだ手も上げず頭も下げないでいるうちに、京浜東北線のドアが閉まった。ガラス越しのヤマモトの頭が遠ざかっていった。

  • 本書は偉大な文化人類学者レヴィ=ストロースの日本講演の記録です。質疑応答も紹介されており、そこで質問されている方々もそうそうたるメンバーです。たまたま書店で見つけて手にしました。さて、私自身は一度もこのレヴィ=ストロースの著書を読んだことがなく、中沢新一氏の本で紹介されているのを見るくらいでした。たくさんの著書のどこから手をつけていいのか分からないでいるのですが、たまたま見つけたこの本で、著者の人となりをなんとなくうかがい知ることができました。日本のことが割りと好きなようで、日本で講演するということもあってでしょうが、かなりいろいろと調べてこられているようでした。私が一番気になったのは、現代の科学技術によってもたらされる問題を論じたところです。それは、冷凍保存された精子などを使って人工授精をした場合です。くわしいことは書けませんが、たとえば自分のおじいさんの精子を使って受精し、子どもを生んだ孫娘がいたとします。生まれた子どもの存在はいったいどうなるのでしょう。生物学的に法的に。このようなことに対する解決策が、どうもいわゆる未開の部族の習慣として存在するようなのです。不思議過ぎます。これから先も、もう少し時間をかけてじっくりと大切に読んで行きたいと思います。

  • 生きるための古典(←このコラム大好き。)
    http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090525/195657/
    で紹介されていたのが面白くてレヴィ=ストロースという人の文化人類学の講義録を読んでみた。
    世界には、ただひとつの歴史の発展法則があり、かつ、社会は合理的で説明可能な構造をもっている
    という思想が本当なのか?という疑問をもった人ですね。

    構造主義的アプローチ、というのは、私なりに解釈すると
    (一見、相互に無関係な)幅広い事象をあつめて、分類し、それらの事象の共通点を求めつつ階層構造を見つけようとする、という手法をとるように思いますが、
    このアプローチ方法自体が、その人の中に経験と時間の積み重なりを必要とするように思います。
    (これを「生きるための古典」の岡敦さんは、プリコラージュ、と呼んでいます)

    たとえば、働き始めたはじめは、どうやってその仕事をこなすか、HowToから始まりますが、
    そのうちいろんなことをやるようになって、パターン分類をするでしょうし、
    その次の段階では共通点を抜き出して階層構造的に問題を再分類し、違った切り口からの解決法を編み出したりするでしょう。

    こうしてみると、構造主義的アプローチというのは、仕事を覚えて数年たったビジネスマンが、自分たちが現在直面している問題を整理する際に有効ではないか、と感じます。

    ビジネス本って、古典やら思想やら哲学やら研究手法やらを、現代の自分たちの状況に当てはめて具体化したり、展開してみた、というのが多いようにも思えます。
    一見今の自分に関係なさそうな文化人類学の本であっても、自分の問題にひきつけてよめば5倍も10倍もおもしろかったりします。
    社会経験値があがると、本の読み方もかわってくるのかもしれません。
    昔読んでわからなかった本を今読むと、別な感想を持つこともあるんだろうね。

    2010/04/30

  • レヴィ=ストロース 1986年の日本講義録。

    人類学の目の付け所、構造の抽出方法、歴史学との違いなど 人類学の面白さが伝わる。中沢新一 「カイエソバージュ 」は レヴィ=ストロースの理論を忠実に再現していることに気づく。

    質疑応答に際して、専門外のことや 誘導的な質問に対して、レヴィ=ストロースは 言葉を選びながら 自分の範囲の回答にとどめる点は 立派だと思う

    「私たちは未開社会から学ぶ〜社会からもたらされた富を道義的価値に変換する力」

    「人類学者にとっての宗教は 神話や儀礼という形に表象された集成」

  • ・人類学者は、現代社会に生きる人々に、これこれのエキゾティックな社会の観念あるいは慣習を取り入れるよう、提案しているわけではありません。私たちにできることははるかに控えめなものであり、二つの方向性をもっています。

    第一に人類学は、私たちが物事の秩序に内在する「自然の理」とみなしているものが、私たちの文化に固有な精神的拘束や慣習にほかならないことを明らかにします。人類学は、私たちの眼から鱗を落とし、考えられないような不道徳行為とも思える習慣が、別の社会においていかに、またなにゆえに単純かつ自明のものでありうるのかを、理解させてくれるのです。

    第二に、人類学者が収集する事実は、数世紀、ときには数千年にわたって行われてきたものであり、地球上のあらゆる場所に存在する社会から集めた、きわめて広範な人数の経験を代表しているということです。これらの事実から人類学者は、人間の本性における「普遍的なもの」を明るみに出し、現在もなお方向の定まらない事態が、どのような枠組みの中で展開していくのか、そしてそれを頭から偏向だときめつけるのは間違いであることを、示唆するのです。

    ・たとえばメラネシアでは、男はこれ見よがしに自分の姉妹の所帯の面倒を見ることを社会的な務めとし、また農耕の霊とよい関係を保っていることを、収穫したヤム芋の大きさによって誇示しようとします。そしてこのような技術的、文化的、社会的、宗教的なさまざまな配慮のために、彼はいきいきとしているのです。
    人間はただ単に、より多く生産することに意を用いるのではありません。このことを経済学者が忘れるとき、人類学はそれを思い出させようとするのです。人間は、仕事をとおしてその本性に深く根差した欲求―個人としての感性、自らの印を物質に刻みこみ、作品を通じて自らの主観に客観的表現を与えるという欲求を実現しようとするのです。

    ・神話的思考は、観念のあいだに関係を設定するかわりに、天と地、地と水、光と闇、男と女、生のものと火にかけたもの、新鮮なものと腐ったものなどを対置します。こうして、色彩、手ざわり、味わい、臭い、音と響きといった感覚でとらえられる質を用いた論理体系が作り上げられるのです。神話的思考はこれらの質を選び、組み合わせ、対置することによって、何らかの形で暗号化されたメッセージを伝えるのです。

    ・私たちの社会には、もはや神話は存在しません。人間の条件、自然現象の提起する問題を解くために、私たちは科学を頼りにします。より正確に言えば、問題のタイプによってそれぞれの専門分野の助けを借りるのです。
    しかし、果たして常にそれですむのでしょうか。文字をもたない人々が神話に求めるもの、人類が数十万年、いや数百万年にわたる人類史を通じて神話に求めてきたものは何なのでしょうか。それは私たちをとりまく世界の秩序と、私たちが生まれた社会の構造を解き明かし、その存在理由を示すことであり、世界全体あるいは個々の社会が、始原の時に創り出された姿のまま存続してゆくであろうという、心を安らかにする確信を与えることでした。

    ・2、3世紀前から西欧文明はとりわけ科学的知識を求め、それを実用化することに意を用いてきました。こうした基準に従えば、一人当たりの使用可能エネルギーこそ、人間社会の発展の程度をもっともよく表しているということになります。
    私たちがこのような基準ではなく、厳しい地理的環境を克服する能力を基準にしていたら、エスキモー(イヌイット)とベドウィンが首位の座を占めていたでしょう。インドは他のどの文明にもまして、人口不均衡からくる心理的問題を小さくする哲学的宗教的体系を作り上げました。またイスラムは人間活動のあらゆる形態、すなわち技術、経済、社会、精神などを緊密に結びつける理論をうちたて、その人間・世界観によってアラブ人が中世の知的世界でどれほど際立った位置を占めたかは、周知のとおりです。
    中近東およびアジアは、西欧に身体と精神との関係、そして、人間の身体というこの至高の機械の利用に関して、数千年先んじています。オーストラリアの先住民は技術、経済の分野ではたち遅れたものの、きわめて手の込んだ社会的家族的体系を作りあげ、その解読のために、現代数学を適用しなければならなかったほどです。

  • この分野の学術的な深い洞察から自分の社会との関わりかたに生かせる何かを発見したいという動機で読み進めた。著者は、世界文明の取り込みと固有の諸価値の保持を両立したことについて日本から学ぶ点があるとしている。明治時代の日本人が偉かったのか、結果としてそうなったのかは別として、現代に生きるわれわれも選択を誤れば日本固有の諸価値を失ってしまうということを忘れてはならない。

  • レヴィ=ストロースの日本での講演を書きおこしたもの。彼の著書は難解なものも多いが、本書は彼の思想の全体像を理解する助けになる。

  • 86年に来日講演した時の講義録で、スピーチのテキストだけでなく、聴衆との質疑も掲載されている。かなり時を経ているが、新鮮で含蓄ある内容だった。

    第1講 )西洋文明至上主義の終焉ー人類学の役割
    第2講)現代の三つの問題ー性・開発・神話的思考
    第3講)文化の多様性の認識へー日本から学ぶもの

    博士の業績を知っている訳ではないが、氏の思想や態度が凝縮されていると察せられる。謙虚で慎重な姿勢ながら、流麗で格調ある筆法話法を通じて、文化や文明の多様性を尊重する力強いメッセージが伝わってくる。
    本講義の頃、「数の論理」「スケールメリット」というバブルな価値観が絶頂期だった時代でもある。四半世紀後「ロングテール」や「絆」といったキーワードが台頭し、「ダイバーシティ」「マイノリティ」が一般名詞になった。

  • 文化相対主義的方法論が現代の問題を解決する一助になる可能性を提示している。

  • 氏自身による構造主義および主張についての講義録。平易な語での説明は教育者としての能力の高さが伺える。

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