ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582824537

作品紹介・あらすじ

浦上天主堂の廃墟が戦後13年目に取り壊された裏に何があった?長崎原爆の隠された真実に迫る、渾身のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 広島には、原爆遺構としての“原爆ドーム”がある。しかし、長崎には、原爆遺構がない。あるのは平和祈念像である。

    原爆の傷を語る貴重な遺産となるはずだった長崎の浦上天主堂。なぜ浦上天主堂は取り壊されたのかに迫るノンフィクション。

    消えたもう一つの「原爆ドーム」、それは、浦上天主堂の廃墟を指している。

    無残に破壊された浦上天主堂は、当初は、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずの遺構として存続の方向で動いていた。しかし、一転、取り壊されることになる。

    日本(あるいは長崎市)の思惑、アメリカ政府の思惑。
    複雑に絡み合った事情と、“浦上”という“場所”が撤去につながった。

    当初の目的地でなかった「浦上」。いろいろな偶然が重なり、原爆は「浦上」上空に落とされた。日本のカトリックの聖地的な場所「浦上」である。

    原爆遺構として残されなかった「浦上天主堂」。
    原爆が落とされたのも、廃墟となり取り壊されることになったのも、数奇な運命としか言いようがない。

    出撃する前にアメリカ空軍内でミサが行われ、その後…、というのを考えても、人間の罪は深く、愚かであると痛感。

  • 浦上天主堂の廃墟が撤去された

  • 広島と長崎。世界広しといえども、原子爆弾という人間が作り出した
    悪魔の兵器の犠牲になった稀有な都市。

    同じ被爆地だけれど、広島と長崎では何かが違うと感じていた。
    それが本書のタイトルで腑に落ちた。

    そう、広島には原爆の悲惨さを今に伝える原爆ドームがあるが、
    長崎には平和祈念像はあるものの当時の姿のまま保存されて
    いる建物がない。

    否、長崎にもあったのだ。爆心地にほど近い場所にあった浦上
    天主堂の廃墟だ。原爆の記憶を留める天主堂の廃墟は、当初は
    保存の方向で検討され、長崎市長自らが保存方法について
    研究するよう指示を出している。

    だが、ある時から市長は廃墟解体へ舵を切る。アメリカから唐突
    に持ち込まれた長崎市とアメリカ・セントポールとの姉妹都市提携
    の話。そして、それに基づく市長の渡米。

    一体、何が市長の心を変えたのか。原爆投下を正当化して来た
    アメリカの圧力があったのではないか。著者はアメリカに渡り、
    公文書館で資料を掘り起こし、天主堂廃墟解体の謎を追う。

    廃墟保存から一転、解体派となった長崎市長の発言の変遷や、
    姉妹都市提携と市長の訪米の経緯を追った部分はまるで
    ミステリーを読んでいるようである。

    原爆の記憶を消したいアメリカの大きな力が働いたのではないか
    と、陰謀論紙一重に考えに取りつかれそうだが著者が断定して
    いないところがいい。

    衝撃的な話もいくつかあった。アメリカの聖職者が来日の折り、
    原爆投下について謝罪したところ、アメリカへ帰国後に司祭の
    地位を剥奪されたそうだ。そこまでするか、アメリカ。

    そして、アメリカでの長崎市長のインタビュー記事には目を疑った。
    何度も読み返した。「広島は原爆を政治的に利用している」との
    批判だ。同じ被爆地の市長が何故?一体、彼に何があったと
    いうのか。

    浦上の聖者と言われた永井隆の主張への疑問、キリシタンの
    村としての浦上の歴史、天主堂建立までの苦難等も盛り込まれ、
    日本の都市のなかでも特殊な歴史を歩んで来た長崎が背負って
    来たものが分かりやすく書かれている。

    「もう教会が結論を下したからしょうがない、むこうが建てるという
    のだからしょうがない、そういう消極的な態度ではなくしてこれを
    単に長崎の観光地というけちな考えで残そうというのではなく、
    全人類の二十世紀の十字架として、キリストのあの偶像が犠牲
    性のシンボルであるならば──二千年前の犠牲のシンボルで
    あるならば、私はこの廃墟の瓦礫は二十世紀の戦争の愚かさ
    を表象sる犠牲の瓦礫である、十字架であるとそういう意味に
    おいて、唯物的な考えから申せば、市長がさきほどももうされ
    ましたように、そう大して残すほどのことではありませんが。
    しかし、精神的に長崎を訪れる各国の人たちが、一瞬襟を
    正して原爆の過去を思うその峻厳な気持を尊ぶ原爆の資料
    だと信じております」

    廃墟解体を主張する市長に対し、保存を強硬に主張する市会
    議員の訴えだ。

    二十世紀の十字架。原爆で破壊された廃墟は解体され、
    浦上天主堂は再建された。広島の原爆ドームのように
    天主堂の廃墟が残されていたら、長崎の取り上げられ方は
    少々違っていたのかもしれない。

  •  原爆と聞いてすぐに思い浮かぶ映像は、広島ならば原爆ドーム、長崎ならば筋骨隆々とした平和祈念像でしょう。でも、原爆ドームが被爆した建物そのものであるのに対し、平和祈念像が作られたのは1955年、原爆が落とされて10年後のことです。
     実は長崎にも、浦上天主堂という、原爆ドームに匹敵する、実際に被爆した遺構が存在しました。無残に破壊された浦上天主堂は、広島の原爆ドーム同様、保存されて、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずであり、長崎市もその方向で動いていたのですが、一転、取り壊されることになってしまいました。この本はそのような決定がなされた背景、事情を、当時の文書、議事録、長崎の歴史等から明らかにしていきます。
     一見、平和の象徴であるような「永井隆」「姉妹都市」「フルブライト」などについてあらためて考察しながら、事実を拾い上げていく描写は、ミステリーを読んでいるようでした。自分の仮説の決定的証拠が発見できなかったことは著者自身が認めていて、その仮説を単なる憶測ととるか、貴重な調査ととるかは、読者次第でしょうが、戦争、平和、世界を多少なりとも考えるうえで、大変有益な本であることは間違いありません。
     本書を読んだあと、英語の異常な隆盛やディズニーランドの異様な人気、こうした現象の背後に何があるのか、あらためて考えてみることをおすすめします。

  • 長崎には、広島の原爆ドームと同じく、原子爆弾の被害を浴びて、廃墟となった建物があった。それは、「浦上天主堂」という教会である。この廃墟は、保存する、という案があったにもかかわらず、アメリカとの関係を優先したために、取り壊されてしまったという。しかし、浦上天主堂は本当に取り壊されるべきものだったのだろうか。もしも今、存在していたら、原子爆弾の凄まじい破壊力を伝える建築物となっていただろう。また、非戦争体験者たちの心に平和を訴え、考えさせることに貢献していただろう。保存について、一時的ではなく長期的な視野をもって、話し合われる必要があった。アメリカとの関係を重視した結果、浦上天主堂という遺産が犠牲になってしまったことが、惜しいなと思う。

  •  広島の原爆ドームのように原爆の傷を語る貴重な遺産となるはずだった長崎の浦上天主堂。なぜ浦上天主堂は取り壊されたのかに迫るノンフィクション。

     浦上のキリシタンの歴史や長崎に原爆が落ちる過程にもふれ、浦上の原爆を語る上での貴重な情報、写真に溢れている。
     後半では戦後の長崎がなぜ浦上天主堂の取り壊しを選んだのか、永井隆の言葉や田川市長の訪米とその後の心変わりを通してアメリカの関与を探っていく。ただ、50年の月日もあり、このアメリカの関与は状況証拠的なものしかなく、少し肩透かし感も感じた。
     しかし、それでもこの本が長崎の苦悩を考える上で貴重な資料であることは変わりない。長崎にはキリスト教徒と非キリスト教徒に二分される長崎ならでは事情と苦悩があったのだと思う。

     長崎には原爆ドームのような象徴的な建造物はない。しかしかすかに残る建造物の跡とそれらを巡る歴史を考えると、形はないが象徴としての浦上天主堂が長崎に見えてくる。 

  • 2011/8/13「J-Wave ブックバー」で紹介されました。

  • 私のルーツに関る本。
    ただ、ルポルタージュとしてはエッジが甘い気がする。
    不足しているのが文筆力なのか情報なのかは分からないけど。

    浦上天主堂の遺構は、私も長崎に行く度に爆心地に移設されたものを見ていた。
    でも、その場所にそのままあることの意味こそ大切だと、今更ながら知った。
    市の中心部と浦上は別物、と言う事は前から知っていたけど
    それがその、被害を受けた建物の保存に微妙に影響していたと言う一節に納得した。

    私が子どもの頃は、帰省の度に母に原爆資料館に連れて行かれた。子供心に痛かった。辛くて悲しかった。私自身子どもを持ってから三度ほど訪れたけど、資料館には行っていない。
    どうやって伝えればいいのだろう。

  • 図書館の新着棚で気になっていた本『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』。昨夏の原爆忌を前に出された本である。

    暗くてわかりにくいが、カバー写真に使われているのは、「原爆で破壊された浦上天主堂廃墟」(撮影=石田寿)。被爆から13年、浦上の丘にあったこの廃墟は、そのごく一部を原爆落下中心地公園(平和公園)に移築したほかは、取り壊され、撤去された。

    消えたもう一つの「原爆ドーム」とは、この浦上天主堂の廃墟を指している。

    著者は、1955年、被爆から10年たった長崎市に生まれた。長崎の原爆は、当初の目標投下地点ではなく、雲の切れ間のあった浦上の上空で投下された。もしも、当初の目標どおり、原爆が長崎市の繁華街に落とされていたら、著者の母はこの地上から跡形もなく消えただろうという。

    浦上天主堂の廃墟が撤去されたことを著者が初めて聞いたのは、30年ほど前、社会人となってからだという。ずいぶんと昔の話だという気持ちが先に立ち、深く考えることもなかった浦上天主堂について、著者が取材を重ねてこの本をまとめるきっかけになったのは、天主堂の廃墟の写真を見たことだ。

    表紙カバーのほかに、この本には数枚の廃墟写真が収録されている。

    広島には原爆ドームがあるのに、なぜ長崎には浦上天主堂の廃墟が残っていないのか。しかも、市議会でも議論があり、市長の諮問機関であった原爆資料保存院会も「保存」という結論を出していた。市長も同意していたという。それが、あるときを境に、市長の「保存」の考えが「撤去」へと180度転換する。なぜだったのか。

    市長が「撤去」の姿勢を鮮明にしたあと、市議会で、廃墟の保存を強く訴えた岩口議員の言葉が引かれている。

    ▼「…これを単に長崎の観光地というけちな考えで残そうとするのではなく、全人類の二十世紀の十字架として、キリストのあの偶像が犠牲のシンボルであるならば──二千年前の犠牲のシンボルであるならば、私はこの廃墟の瓦壁は二十世紀の戦争の愚かさを表彰する犠牲の瓦壁である、十字架であるとそういう意味において、唯物的な考えから申せば、市長がさきほども申されましたように、そう大して残すほどのことではありませんが。しかし、精神的に長崎を訪れる各国の人たちが、一瞬襟を正して原爆の過去を思うその峻厳な気持を尊ぶ原爆の資料だと信じております」(144ページ)

    この本は、大切なものを失ってしまったのではないかという著者の衝撃と、「保存」方針が「撤去」へと転換した経緯への疑問を原動力に、長崎の浦上という地のこと、そして長崎に投下されることになった原爆のことを書いている。

    12月に読んだ『ヒロシマの歩んだ道』に似て、この本は、私が知らなかった「ナガサキの歩んだ道」を教えてくれるものだった。

    長崎は、中学校のときの修学旅行先だった。あの筋骨隆々とした像のことも、原爆資料館を見学したことも、ぼんやりとおぼえてはいるが、中学の修学旅行、長崎、といって私が一番おぼえているのは皿うどんである。修学旅行前のベンキョウの一環として、たぶん歴史調べのようなこともやったはずだが、私がおぼえているのは、長崎の味として皿うどんの調理実習をしたことと、帰ってからも、何度も晩ご飯にこしらえたことである。修学旅行で浦上天主堂へ行ったかどうかは記憶が定かではない。

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著者プロフィール

1955年長崎県生まれ、ジャーナリスト・ノンフィクション作家。ニッポン放送勤務時の1982年に日本民間放送連盟賞最優秀賞他受賞。著書『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』他。

「2023年 『ニッポンの正体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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