作品紹介・あらすじ
豊かな感覚の文化を育てるため、新型コロナ禍のいまこそ、われわれは世界にさわらなければいけない──。全盲の触文化研究者が問う「さわること」の意義と無限の可能性。
感想・レビュー・書評
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表紙に点字が打ってある。「せかいわさわらないとわからない」
国立民族学博物館の准教授であり、全盲でもある著者が書いた本。
国立民族学博物館で確かにさわる展示があった。あれは良かったが、21年に行われたらしいユニバーサルミュージアムの名残だったのか。
とてもおもしろかったのだが、新聞の連載や雑誌の記事などを集めた本なので、かなり内容がかぶっている。何度も繰り返すことで理解度が増すというのは否定しないが、それにしても点字を発明したルイ・ブライユについてなど、同じ話が結構あった…
「ユニバーサル」という言葉が使われているとき、大概の場合は「障害者も楽しめる」みたいなことになってるが、本で説明されているようにそれは健常者にとっては特に変わりがないため、全員が楽しめるようにするのが本来のユニバーサル。なるほど納得。
昔は瞽女、イタコ、あん摩、琵琶法師など、盲目の人は別に障害者というわけではなく、単に目が見えない人というだけだったのが、近代になって「障害者」という定義がされてから、そんな人達が明らかに「健常者」より劣った存在だという認識になってしまった。
実際、著者の人は健康度で言えば他の「健常者」よりよっぽど丈夫なのに、目が見えないというだけで健常ではないとされてしまっている。そう考えると自分もアレルギーはひどいわ頭痛持ちだわでよっぽど健康度は低く、広い意味での障害は持っているし、どんな人も持っているなぁとは思った。
だが、それは理解できるけどそれでもやはり目が見えない、耳が聞こえないなどは頭痛持ちとかよりは規模が違うとも思う。難しいな…
失明の反語を得暗というアイデアは考えたこともなかった。しかし、実際暗闇でも点字なら本を読んだり活動ができるというのは確かに得なところもあるのかもしれない。
あとは必然的に視覚以外のセンサーが強くなるというのは真実だろうし。そういうのをマイナスとだけ捉えるのは良くないという考え方は理解できるが、かと言って失明ラッキーみたいなのは無茶だろ。
写真を触図として触れるようなものを説明する際には、説明の仕方も大事。p92にある、同じ写真の説明なのに頭に思い浮かぶ内容がぜんぜん違うのに驚く。
「ロダン美術館にて。彫刻の顔の凸凹に指を沿わせながら、静かに好奇心と集中力を高めるルイ。彼の背中には誰かの手がそっと添えられている。」
「右下にルイの背中に置かれた誰かの手がある。中央にはたっぷりとしたセーターを着たルイが彫刻の方を向いている。彼の左腕は彫刻の頭部へと伸びている。」
民博のテーマにそもそもの触文化を収集・展示するというのがあるらしいので、次回行ったらそう考えて見回ってみたい。
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<閲覧スタッフより>
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所在記号:069.04||ヒロ
資料番号:10267827
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広瀬浩二郎さんは、全盲なので触ることが得意だそうです。一般の私は、見たり、話すことが得意とのことです。
コロナ禍で非接触を理由に、見たり、話すことを避けていませんか。
得意なこと、ちゃんとやれてますか。
こんな時代だからこそ積極的にコミュニケーション取りましょうと、わたしはこの本を読んで思いました!
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著者プロフィール
自称「座頭市流フィールドワーカー」。
1967年、東京都生まれ。13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学。2000年、同大学院にて文学博士号取得。専門は日本宗教史、触文化論。01年より国立民族学博物館に勤務。
現在はグローバル現象研究部・准教授。「ユニバーサル・ミュージアム」(誰もが楽しめる博物館)の実践的研究に取り組み、“さわる”をテーマとする各種イベントを全国で企画・実施している。
『目に見えない世界を歩く』『さわって楽しむ博物館』『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!』(編著)『知のスイッチ』(共編著)など、著書多数。
「2021年 『ユニバーサル・ミュージアム』 で使われていた紹介文から引用しています。」
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