- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784584125434
感想・レビュー・書評
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エマニュエル・トッドは、フランスの歴史人口学者・家族人類学者。1976年に、10-30年以内にソ連の崩壊を人口統計学的な手法で予想し、注目された。ソ連は実際に1991年に崩壊した。
筆者の鹿島茂は、仏文学者で、明治大学教授。専門は19世紀のフランス文学。トッドの理論についての明治大学での講義や演習を書籍化したのが本書である。
トッドは著作も多く、学問的には数多くの成果をあげているが、本書で主に説明されているのは、「4つの家族類型」という説明モデルである。
縦軸に親子関係の強さをとる。縦軸の上が親子関係が強く、下が弱い。親子関係が強いとは、親子同居(必ずしも全員という訳ではない。例えば長男だけとか末子だけとか)が発生し、また親の権威が(少なくとも建前的に)強い。親子関係が弱い場合には、核家族が主要な形態となる。
横軸に兄弟関係の平等さをとる。横軸の右側が兄弟関係が不平等、例えば、長男だけに相続が発生する。左側が兄弟関係が平等。
上記のような縦軸・横軸を持つ表を書くと、4つの象限が出来る。
第1象限は、親子関係強+兄弟関係不平等で、この家族の形をトッドは「直系家族」と呼ぶ。直系家族社会は、自民族中心主義・ファシズム的になりやすいとし、これにあてはまる国として、ドイツ・スコットランド・日本・韓国等をあげる。
第2象限は、親子関係強+兄弟関係平等。「共同体家族」と呼ばれ、共産主義・一党独裁型資本主義をとることが多い。例としてはロシア・中国。
第3象限は、親子関係弱+兄弟関係平等。「平等主義家族」と呼ばれ、共和主義・無政府主義をとりやすい。フランスのパリ盆地地方、スペイン中部、イタリア南部など。
第4象限は、親子関係弱+兄弟関係不平等。「絶対核家族」と呼ばれ、自由主義・資本主義となる。イングランドや北アメリカ等があてはまる。
トッドは、これらの家族システムこそが、社会の価値観を生み出すのであると主張した。
本書は、この家族システムの解説と、その理論を用いて、世界史・日本史上の出来事に説明を試みると同時に、今後の世界についての予想を鹿島茂が述べる形で、構成されている。家族システムについての解説を読むのは初めてであり、興味深かった。
また、今後の世界についての予想で、特に中国・ロシアにかかる部分が面白かった。中国・ロシアともに、「共同体家族」型であり、独裁政権のもとで、社会は安定しやすい。ロシアで言えば、スターリンの時代にソ連は発展し、その後、強い独裁政権が生まれない中で、ソ連は崩壊してしまう。崩壊後、プーチン独裁の時代になって、社会は安定し、経済も成長を始める。中国で言えば、共産党一党独裁、習近平の強権的な政治のもとで、中国経済は発展している。そこで問題は、当然、プーチンの後、習近平の後である。プーチンは1952年生まれ。習近平は1953年生まれ。まだ70歳前であるが、あと20年も30年もやれるわけではなく、彼らが亡くなった後、あるいは、失脚した後にどうなるのかに注目する必要がある、と筆者は説いている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最近(昔から?)よくエマニュエル トッドの名前を目にするので、入門編っぽい本と思って手に取った。第二章迄は凄く刺激的だったが、第三章以降は、こじつけかと思う点多々。
『というわけで』という接続詞で繋がっている箇所はだいたい違和感を感じた。 -
人類学者エマニュエル・トッドの理論を著者がわかりやすく解説した本。4つの家族類型(直系家族、絶対核家族、共同体家族、平等主義核家族)をベースに各国の特徴を分析する。それに加えて、識字率と出生率もポイントとなる。それによると、男性の識字率が50%を超えると社会変革の気運が生まれ、女性の識字率が50%を超えると出生率が下がり、社会が安定すると考えられる。トッドは女性の識字率向上から「テイク・オフ」と呼び、その地域、社会は近代化し、暴力性は失われたと推定する。
以上がトッドの理論の基本的事項だが、本書はこれらをもとに、今世紀における日本および世界の動向を読み解く。なかでも興味深いのが、今後の対中、対露対策である。これらはいずれも(外婚制)共同体家族で、政治体制としては共産主義、一党独裁資本主義である。これをふまえると、中国は中央集権体制が崩壊した場合、地方軍閥が台頭して、内戦状態に陥る可能性がある。それを防ぐためにも、日本は中国共産党を支持したほうが国益になるのだという。ロシアも同様で、現状はプーチンによる独裁政治で社会が比較的安定しているが、仮にプーチンが倒れた場合、ソ連崩壊時のように社会が混乱すると考えられる。 -
エマニュエル・ドットの家族類型や識字率についての考え方をベースに世界や日本を考えてみる本。自分にとって、新しい補助線をもらったような感じがします。世の中の見方が変わる本でした。
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社会情勢や過去の事件などを、人口構成や家族構成、女性の識字率から類型化した主に4つのパターンから説明する。非常にシンプルで、納得感があり、魅力的な説。あまりに見事なので、反証を探さないと、と思う怖さがある。もう少し読み進めよう。
著者のエマニュエル・トッドは、先輩から飲み会で教えて頂いた。酔うと忘れるのでメモってたが、案の定、次の日には忘れてた。メモは大事だ。 -
エマニュエル・トッドさんの家族類型理論のとてもわかり易い解説と応用。応用編の題材が今の閉塞感あふれる世界や日本に関係する事案でちょっぴりだが心が休まった。
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家族人類学者エマニュエル・トッドの提唱した4つの家族類型とイデオロギーを世界史の有名な出来事や現代の社会問題に当てはめている。日本は「直系家族」。結婚した子どもの一人(多くは長男)と両親の同居が原則、親の権威は永続的、親子関係は権威主義的、兄弟間は不平等で財産はその中の一人(多くは長男)のみに相続、結婚年齢は高く年の差婚は少ない、識字率は高く教育熱心。そして家族類型はイデオロギーにも結びつく。土地や財産を相続できなかった次男・三男が大勢集まれば、社会を動かす力を持つ。女性の識字率と出産調整も大事。
p32
トッドは、女性の識字率が五〇%を超えると出産調整が始まり、出生率が下がることに注目しました。つまり、人口学で最大の問題となっている出生力転換、多産多死社会から少産少死社会への転換の原因は経済ではなく、女性の識字率にあると考えたのです。
p53
ドイツが、二度の世界大戦で敗者となり、また再統一という試練があったにもかかわらす、さして間を置かずにヨーロッパの覇者となりえたのは、直系家族が大切にしてきた教育熱心さ、知識への信頼、すなわち、「知力」の高さゆえなのです。
しかし、その反面、家の支配原理が隅々にまでおよぶ、鬱陶しい「見えざる視線による相互監視」、つまり「世間」というものが強くなり、同時にそれに対する反発も生まれます。日本の近代文学というのは、こうした直系家族の「見えざる視線による相互監視」に対する反発の系譜だったと捉えることができます。
p96
ところで、ヴァイキングというと殺戮と略奪だけの蛮人のように思えますが、実際には直系家族として数世紀に渡る知識を蓄積したインテリ民族でした。第一、そうでなければ、あの複雑な船舶工学に基づくヴァイキング船を建設できなかったことでしょう。文字もルーン文字を持ち、サーガのような文学作品が書かれていました。
p120
直系家族は、長男の嫁をキーパーソンにして、知識の蓄積、継承が行われやすい家族形態です。
p148
僧兵集団を擁した寺社はしだいに勢力を増していき、皇族貴族の用心棒集団として働く一方、彼らにたてつくようにもなります。近畿では、興福寺、延暦寺、園城寺(三井寺)、東大寺、高野山などが力を持ち、寺社どうしで争うこともよくありました。神仏の権威を後ろ盾にしていますから、朝廷も手を出しにくく、院政期に権力を振るった白河法皇(一〇五三〜一一二九)でさえ、「賀茂川の水、双六の賽、山法師」はままならないと嘆いたようです。山法師とは、延暦寺の僧兵のことです。信徒の寄付寄進で財力もあり、流通の管理まですることもありました。治外法権の独立国家のような存在だったのです。
p149
武士階級が勃興するようになると、武士たちとも僧兵は対峙するようになり、戦国時代を通してその影響は衰えませんでした。織田信長は、当時四〇〇〇の僧兵を擁していた延暦寺を焼き討ちにかけます(一五七一)。これによって、ようやく寺社勢力は衰えをみせ、八〇〇年に渡った僧兵の時代は終わりを告げます。
p177
直系家族では父親に権威があるということになっています。しかし、この権威ある父親はほとんど主体的な意思決定を行わないのです。では、家庭における権力者である母親が意思決定をするのかというと、そういうことでもありません。長男でも長男の嫁でもありません。ヒトラー独裁のところで分析したように、だれが意思決定をしたわけでもないのに、権威者である父親の意をくんで、はやりの言葉でいえば「忖度して」、それぞれの成員がその意を実現する方向に向かって一斉に行動するのです。そして、いったん決定がなされてしまうと、自分は内心では反対しながらもその決定に従い、結局、家族全体が愚直に服従し、決定は遂行されるのです。
p179
それは、戦争中から行われていた日本研究の成果を応用して、軍国日本の諸悪の根源は直系家族にありとみなして、直系家族を核家族に無理やり変更するような諸政策を実行に移したのです。
その最もたるものが『日本国憲法』の前文であり、ここに謳われているのは直系家族原理を全否定し、それに代えるに核家族の原理をもってすることです。つまり、きわめてアメリカ的な核家族原理に基づく憲法が日本国憲法なのです。マッカーサーはさらに一歩進んで、直系家族原理の中核である家督相続を廃止させ、民法からも直系家族要素を一掃させました。通説では、占領軍は憲法、刑事訴訟法に比べると民法改正には関与しなかったといわれますが、しかし、皮肉なことに民法改正においても、父親であるマッカーサーの意思を忖度しようという学者が多数出て、民法は完全にアメリカ的な絶対核家族的なものに変更されました。
p180
また、教育という直系家族的な理念が幅を聞かせていた分野でも、教育勅語を廃止し、教育基本法を始めとする教育三法により、絶対核家族的な自由主義教育にこれを変更させました。
p180
しかし、朝鮮戦争を巡ってトルーマンと対立したマッカーサーがGHQ総司令官を解任され、昭和二七年に占領が終わると、日本のあらゆる中間団体で直系家族理念が復活しはじめます。政治の分野では、それでも大っぴらに直系家族理念に回帰することはできませんでしたが、規制のまったくない企業と官僚組織と労働組合では直系家族理念が蘇り、日本の企業と官僚組織のほとんどは直系家族に逆戻りしました。 -
「エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層」。ベスト新書2017年。鹿島茂さん。
なんだか怪しげな?タイトルの新書ですが、鹿島茂さんだから読んでみました。
ソ連崩壊、リーマン・ショック、アラブの春、英国のEU離脱、トランプ当選……など
「予言」を次々と的中させ、世界中で話題を集めている フランスの人類学者エマニュエル・トッドさん。トッドさんの理論や仕事を、鹿島さんが判りやすく解説してくれる、という趣向です。
もう読了してかなり経ってしまったので漠としていますが、
結局全体の理論体系として、スバラシイ!ということでもないのですが、
部分部分の解釈や理論には、「へ~」というものも多く、愉しめました。
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21世紀のアメリカの経済の疲弊=グローバリゼーション・ファティーグ(グローバル化による疲れ)。
こういう言葉だと、すごくハッとしますね。日本も他人事ではありません。
「絶対核家族」=アメリカ。子も親もお互いに自由な分だけ、教育熱心ではなく、文化資本が受け継がれないことが多い。「自由」「競争」という原理から資本主義経済を支えていく。
スペイン・ポルトガルの「平等主義核家族」。それにインディオ系の原初的核家族。
どちらも「絶対核家族」と同じく、方向性としてはあまり教育熱心ではない、とトッドさんは言います。
その逆がドイツ、日本。核家族化が進んでいますが、意識レベル?では直系家族。この特色は、教育、文化資本の委譲に熱心である、ということだそうです。
なんだかんだ、世間や社会というものとの一体感が強い。
こういうとなんだか悪いようですが、例えば、東日本大震災の後に、草の根レベルで「助け合い」が顕著だったというのは、そういうことだそうで。
つまり、別の国だったらもっとスラム化、犯罪化が進んでいたのではないか、ということです。
一方で直系家族の国は、ヒットラーを産み易い、というちょっと背筋が寒くなる分析も。
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また、よくフランスの小説を読んでいると、「家具付きホテル」という言葉が出てきます。
なんじゃらほい?なんですが、恐らく他に訳しようがなかったのでしょう。
この言葉も、この本を読んでいると、「土地よりも家具に価値を置く=なぜなら土地は分割相続できない」という、平等家族主義が反映しているのでは?という説が出てきました。
これは、長年の疑問が氷解した感じでナルホドと思いました。
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「財産がない家族は、核家族化していく」というのも、ぞっとしますね。
財産があると、相続させなきゃならない。その財産を中心に強いつながりの直系家族が残っていく。
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また、社会変革が起こるには「識字率50%突破」「若年人口が全体人口の30%を突破」が必要だ、という分析も面白い。
一方で「女性の識字率が50%」を超えると、出生率が下がる、という分析も。
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「母親と娘の葛藤」というのが、文芸界で最近顕著なのだけれども、これは「直系家族」が「核家族」に解体していくときの、最後の喘ぎのようなものなのかもしれない。
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最終的に、トッドの思考から、鹿島さんが現代日本へのメッセージを連ねる、ということになっていきます。
結局は、結婚というのものがないと家族は増えないわけですが、この結婚を鹿島さんは、「語学と似ている」。
「語学の初期学習と言うのは、ツマラナイ。自由意志では、ゼッタイに誰も学問を成し遂げられない。強制しかない」。
つまり、自由意志に任していては、マスとしては減る一方だ、という。
ここから鹿島さん独特の「お見合い=ダンスパーティー理論」というものがあって、これはこれで微笑ましいのですが...。
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最後に、「家族」という形態、そして人口、という問題で言うと、
「シングルマザーに公的支援を増やすしかない」という話は、とても納得です。
「核家族化」は突き詰めればそこの行きついてしまう。そこで貧困や低教育を歯止めするしかない、ということですね。
マスの議論としては。 -
トッドの家族人類学を基に、歴史と現代社会の背景を説明しようとするもの。特に、日本の直系家族の成り立ちと、その歴史を扱った章がおもしろい。新書なので内容は深くないが、トッドの家族人類学の奥深さは十分に伝わってくる。
中国の華北地方では、春秋戦国時代に直系家族が成立していた。直系家族は横に連帯して大きくなることはないため、小邦分立となる。大勢の騎兵を動かす匈奴が襲ってくると、秦の始皇帝は、大勢が協同する遊牧民のスタイルに父親の権威性を加えた共同体家族を確立させ、直系家族原理を撲滅するために焚書坑儒を行った。
外婚制共同体家族では、強靭な権力を持っている父親が亡くなると統率がとれなくなる。アッティラ帝国、モンゴル帝国、キプチャク・ハン国などが君主の崩御から瞬く間に解体したのは、息子たちによる分割相続の伝統によるところがある。
絶対核家族のイングランドでは、親子の絆は強くなく、相続も金銭解決されるほどのため、農民と農地との関係が弱い。そのため、羊毛生産のために囲い込みが起きると農地を持たない農民は工場労働者になりやすかった。イングランドは、直系家族で教育熱心なスコットランドと同君連合を組んだことにより、絶対核家族の自由、独立、競争と直系家族の知性とが結合することにより、イギリスの偉大な18世紀を用意した。
フランスは、言語も文化も全く異なる地域の寄せ集まり。教育熱心で勤勉、忠実な直系家族地帯を抱え込み、官職売買の制度を利用することによって中央集権官僚組織を形成することができた。平等主義核家族のパリ盆地と直系家族の周辺部との対立は、今日まで引き継がれている。フランスは、脱宗教的で民主主義的な共和国であることを憲法にも明記しており、宗教や出身国籍による中間団体を認めていないため、イスラムの風習に対しても厳しい態度をとる。
直系家族が解体すると、スーパーファーザーのような存在を求めるため、ファシズム発生の背景となる。
内婚制共同体家族では親族結婚が行われるため、女性の識字率が上がり、学歴がつくと共同体から出ていくことになるので反発が強い。
男性の識字率が50%を超えると社会変革への気運が生まれる。15歳から29歳までの男性の人口に占める割合が30%を超えると、革命や騒乱の要因となる(ユース・バルジ)。女性の識字率が50%を超えると出生率が下がり、社会が近代化して安定する。直系家族や絶対核家族では、兄弟のうち一人が優遇されて財産を独り占めするため、その嫁は夫と同じくらいに地位が高くなる。平等主義核家族や外婚制共同体家族では女性の地位が低いため、出生率が高いまま人口が増加していく。
日本では、古くは双処居住型核家族だったが、11〜12世紀に農地の拡大が限界に達して分割できなくなったため、一子相続の直系家族になった。畿内で長男相続の直系家族形態が完成すると、武士も制度として取り入れ、将軍を権威の頂点とする直系家族社会が生まれた。家からはじき出されるようになった次男以下は、寺社に入って自衛のために武装する僧兵となったため、戦国時代まで寺社が勢力を増していくことになった。三重、和歌山、高知、鹿児島などの西南日本では直系家族は広がらず、双処居住型核家族の変形である末子相続が多く残った。人口は流出することなく、兄弟の序列化は強くないため横の連帯意識が強いことが、同じ志を育みあい、革命集団となって明治維新を導いた。1910年頃に出生率が最も高くなってユース・バルジが生じ、その世代が社会の中核となる1930年頃から混乱の時代を迎え(1932年に5.15事件、1936年に2.26事件)、戦争に突入していった。戦後の占領下でマッカーサーは、諸悪の根源とみなした直系家族の原理を否定して核家族の原理に変更させる政策を実行し、民法でも家督相続を廃止させた。しかし、占領が終わると、企業や官僚組織などでは直系家族的組織運営が復活した。戦後に大学に進学し、60年代の学生運動を担ったのは、直系家族の次男以下がほとんどだった。
著者は、近年の日本会議などの動きをあげて、日本は「放っておくと直系家族になる」と書いている(疑問文ではあるが)。確かに、多くの企業などの組織が直系家族的(トップダウン型)ではあるが、家族そのものは核家族化している。農業以外の労働者が大多数になり、少子化も進んでいるから、分割相続ができない家族は少なくなっているだろう。ならば、平等の概念は広がってゆき、権威主義的な考え方は萎んでいくのではないだろうか。核家族化が進行する以前に育ち、直系家族を理想と考える世代が少なくなってゆけば、核家族型の個人主義的な社会に変化していくのではないかとも思うのだが。