- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784584130612
作品紹介・あらすじ
囚人の子として生まれ奴隷として生きた23年。北朝鮮・地獄の収容所から奇跡の脱出!ただ一人の証言者、衝撃の告白。
感想・レビュー・書評
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読了。北朝鮮の収容所ではよく働く男女がご褒美に結婚させてもらえるらしく(相手は選べない)、そこで生まれて働かされ、最終的に脱北した人物の手記。とても興味深い内容だった。
(人によっては刺激が強いと思う。)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジョージ・オーウェル著の『1984』を想起させる。全体国家、監視社会、非人権社会。小説で描かれた社会が現実に北朝鮮にある14号収容所に存在しているという驚き。しかももっと貧しい。食事はトウモロコシ飯に白菜の塩漬けだけ。カエルやヘビを捕まえてお腹を満たしていたいう。一番酷いことは全く希望がないことだ。罪を犯した親の子だから一生その罪を背負って生きなけばいけない。
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本当の話かどうか、真実はわからないけれど、内容としては興味深い内容であった。
愛とは何か、家族とは何か。考えさせられる。 -
父の兄弟が越南(北朝鮮を見限って韓国へ渡ること)したことが原因で、父と父方の祖父母が北朝鮮完全統制地区に収監された。
そこには人権というものは一切存在しない。
収容されている者は皆奴隷として扱われる。
食事はトウモロコシの粉で、しかも満足な量も与えられず常に飢えと闘う日々。
頑張った者にだけ許された結婚。
その結婚も、ある日突然保衛員に「おまえとおまえは結婚だ!」と全く知らない人と結婚をさせられる。表彰結婚だ。
拒否をするともう二度と結婚はできない。
これが収容所に生きる人の最高の幸せだったという。
そんな結婚から生まれたのが筆者の申東赫さんだ。
彼は北朝鮮の完全統制地区に生まれ、生まれながらにして奴隷の身。
奴隷が当たり前の子供が生まれる。
お互いがお互いを監視する世界。
悲しい・嬉しい・優しい・悔しいという感情がない。
人を愛することも知らない。
自分の親にさえも何の感情もない。
飢えのあまり、トウモロコシを一粒見つけては密告され殴られる。保衛員の機嫌次第では殴り殺されたりもする世界に生きていた。
母親と兄は公開処刑をされ、彼自身も火炙りにされたり指を切り落とされたりと、日本では・・・完全統制地区以外では考えられない世界がそこにある。
そしてそんな彼が必死の思いで脱出した体験記です。 -
929.16
あまりにも酷い北朝鮮の実態 -
この現代においても、まだこんな体制があるなんて思いもしなかった。
タイトルが気になって読もうと思っててたから、いつのことか知らんかった。てっきりナチスとかの昔の話やと思い込んでたから、ビックリ!!
早くこんな体制なくなればいいのに…。でも、一つ思ったのは、やっぱり人間って強い。この強さが良い方向に向けばいいのにね(´-ω-`) -
ネットで見つけたレビューのコピー・ペースト
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人間・申東赫さんに寄せる
『収容所に生まれた僕は愛を知らない』 この本を読んだ人は誰もが、「人間とは何か」、この問いに直面することだろう。
北朝鮮の強制収容所「完全統制区」という地獄で政治犯の子として生まれ、罪人として強制労働のためだけに育てられてきた、人間・申東赫さんの体験は、私たちに人間とは何かを真に訴えかける、人類史上、かつてない心の叫びです。
私たちは二つのことに驚く。
一つは、これほどまでに非人間的で、魂の尊厳に反した社会での体験記録に、である。人がどれほど残虐で、醜い悪魔のようになってしまうのか、そして、人が冷酷なことに智恵を絞り、様々な工夫をしてしまう生き物なのか、ということに、である。
もう一つは、これほどにまで過酷で、抑圧を抑圧とも感じずに普通に生きることを余儀なくされた空間においても、やはり、自由はかけがえのないものであり、ほんのわずかではあるが互いを助けようとする心があった、ということである。
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北朝鮮の強制収容所の中でも、一度入ったら二度と出れない完全統制区域と呼ばれる場所。そこでの非人権的な奴隷のような日々の生活が淡々と書かれている。本当に世界でこのような場所がまだ存在するのか?と疑わざるを得ない。
自分の今の恵まれすぎた環境に感謝をし、日々を精一杯生きなければいけない。 -
2011.8.3読了。
私と4歳しか変わらない彼に、彼の生まれた国で、今も現実としてあること。
読みながら、遠い昔のことについて描かれているという錯覚に陥るが、彼は私と同世代であり、そして今も行われている事実だと思い直す。
読んでいて、辛い。
でも知らなくてはならないこと。 -
北朝鮮の実情が淡々と書かれている本。内容は壮絶の一言。
皮肉ですが、この本を読んでいると、日本が平和であることがよくわかります。 -
私には想像することすら難しい、そんな世界で生まれ育った方の話。
まず悲惨な収容所の状況が淡々と綴られている内容に驚いた。
そして、著者はまだ二十代、これがごく最近の出来事であるという。
世界をもっと知りたい!と、この本を読んで強く思った。 -
北朝鮮内には,反体制分子の者だけが隔離されて住む収容所村があるらしい。これは北朝鮮内のそうした収容所村で生まれた少年がどう暮らし,成長してそこを脱出して韓国に逃れ着くまでの告白録である。
そこでは,管理者の恣意のままに酷使され,わずかばかりの食物をエサにいいように操られ,競い合い,密告し合う社会がある。褒美として管理者が選んだものとの結婚が一方的に与えられる。そしてそこでうまれた子供たちには生まれつきの収容所生活を送る。形ばかりの学校では,働くことしか教えない。罰と密告と空腹ばかりの生活である。親子の情もクラスメートとの仲もきわめて希薄で乾いている。
しかし,なんとも不思議だ。読んでいてまったく悲壮感がない。筆者はそうした仕打ちや生活苦をまったく本書の中で「嘆いて」いない。
家族が逃亡したことにより,密通を疑われて拷問されたときも,韓国に出てきて豊かな生活を見たときも,文書の中には感情がほとんどない。「腹がすいていた」とか「痛かった」という既述はあっても,「辛かった」とか,「すごかった」とか,「ひどい」とかそういう評価を表す言葉が殆どないのだ。
このことがこの作品の異種独特な雰囲気を漂わせている。本書のような本が売れるためには,もっと刺激的に収容所内の酷さや,出てきてからの開放感などを強調した方が,読者は感情移入がし易いと思うのだが,そういうものがないのだ。
このことがこの本をつまらない平坦な本にしている様に感じた。
しかし!である。
おそらくこのことこそが,この本が一番恐ろしいところではないかと思うのだ。
彼にはそういう周囲のさまざまな出来事をみて,うれしい,がっかり,すごい,へぇーっ,などと感じることが出来ないのではないだろうか。
生まれたときから不平や不満を待たないことを求められ続け,感情というものをはぐくむどころか,期待をいだいてもむなしいことやいろんなことは自分とは関係なく管理者が勝手に起こすことであり,自分は社会に能動的にかかわる存在ではないということを学び取るなかで,感情を抑圧し,自分はただ「存在することだけの存在」と捉えることで,精神のバランスをとらざるを得なかったのではないか。
彼は「される存在」であって,「する主体」ではないのだ。
そう考えたとき,文字になっていない本当の怖さというものがあるような気がした。その怖さは拷問の痛さや,空腹の辛さではなく,人間の人間性が破壊されている怖さである。
この本は,その部分に気がつかないと,刺激的な記載もなく,北朝鮮の体制に対する強い批判もなく,その意味では面白くないぐらいである。しかしその部分に思い至るとき,そこはかとない怖さを感じるのである。 -
あんまりにもすごいことだと現実感がなくてぼーーっとしてしまう写真や 図をみてもぼーーーっと してしまう信じられないというかわからないというか