一気に読める「戦争」の昭和史

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584136676

作品紹介・あらすじ

日本人は"何"を守り、"何"を失ったのだろう…。「言葉」+「通史」だから、日本近現代史がスッキリわかる!384ページを一気読み!!

感想・レビュー・書評

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  • アメリカの呼び名が太平洋戦争。日本の呼び名が大東亜戦争。

    太平洋戦争の年代を追って順序よく説明してくれている本です。意外と順を追って説明してくれている本は珍しく非常にわかりやすかった。著者も述べているが視点が日本の視点だけではなく、諸外国からの視点でも説明してくれているのでそこもわかりやすい点かもしれません。

  • 満州事変から大東亜戦争までの近代史。
    近代史ものはいくつか読みましたが、これが一番しっくりきました。

    「全部日本だけが悪かった」という自虐史観からも「日本は一つも悪くなかった、アジアを救ったんだ」という美戦史観からも一定の距離を置き、陰謀論も流す程度にしか触れていません。

    ただ一つ。筆者も言っています。
    「当事者になろうとした」と。
    平和な時代から断罪するのは容易い事ですが、当時どんな国際状況で、どんな事が法で許されていて、どんな選択肢の中からこの道を選んだのか。
    当事者の気持ちで読めば、どれだけ追い詰められた状況だったか想像する事ができる。

    歴史は学ぶためのもので、犯人捜しや糾弾のためのものではないと思うのです。

  • 産経で時折記事を拝見しておりました。
    先だっての「正論」を拝読いたしまして心が揺さぶられる
    感覚を持った次第であります。
    届き次第早速紐解きたいと思うております。

  • 支那事変にはじまり天皇の詔勅に終わる大東亜戦争までをわかりやすくニュートラルに解説してくれている。蒋介石及び共産党に日本がまきこまれていく様子。サムライ日本が狡猾なグローバル社会にのみこまれていったという事がよくわかる。ただ大東亜戦争にはいると無責任で無計画な参謀たちによって泥沼化していく様子がこわいくらいに理解できた。歴史にもしという事はないが、日本人の気質として、うまく世界のリーダーになることは難しいのではないだろうか。ただ昭和18年に日本で開催された大東亜会議は、現在まったく歴史の闇に葬られている。

  • H28年度イベント「ブックリンク~本でつながる心と心~」で、中学生が紹介してくれた本です。

  • 本のタイトルにある通り、本当に一気に読めました。他の関連書籍も数冊読んでいたので史実や大まかな流れは把握してましたが、一方的な解釈や考え方にならず、ほぼフラットな位置から簡潔にまとめられた良書だと思います。
    この本を筆頭に、当時の時代をしっかり個々で検証、理解しなければこの国の将来はないと感じました。
    著者の小川氏に感謝です。

  • これまで、歴史というものに興味がなかったが、戦後70年の今年初めてこの本を手に取った。

    戦争を始めたかつての日本人は野蛮だった…
    戦争の話は、毎年夏にやっていて悲惨さもよく知ってるよ。もう聞きあきたよ。

    と、何にも知らないくせにそんなことを思って、向き合うことから逃げてきた私でしたが、ほんの少しでも当事者になろうとすることが出来ました。
    それは、この本ができる限り客観的に、しかし当事者になって綴られたお蔭だと思います。

    これを機に、少しずつでもいろいろな文献に触れ、自分なりの昭和史を考える習慣をつけていきたいなと思いました。
    ありがとうございます。

  • 歴史ものは好きで、様々な合戦や時代を掘り下げたものの解説や小説をよく読みます。特に、物語の体裁でありながら、それまでの定説を覆して自説を展開しているものは読んでいて楽しいです。

    そんな昭和生まれの私ですが、私が生まれる30年前に実際で起きていた昭和の歴史を学ぶチャンスがありませんでした。最近では、昔から君臨してきた重鎮が天国に行かれたかどうかわかりませんが、新説が一般本になってきたようです。

    この本は、昭和史を学びたい私のような人間にとって、大東亜戦争に至るまでの歴史を一気に眺めることができます。

    今年は終戦から70周年の記念の年です、今年は例年よりも昭和関連の本を、終戦記念日にかけて読みました。毎年の年中行事にして、少しずつ「昭和史」に関する知識も深めていきたいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・満州事変は、日本が漢民族の中国を侵略したのではなく、無政府状態となっていた満州族の根拠地を占拠して国をつくったという出来事であった(p22)

    ・満州事変では、英米の資本を背景とした近代的な軍隊だったはずの、張学良数十万が、たった一万の関東軍に瞬時に敗れた(p23)

    ・日本は、領土拡大、資源確保、ナショナリズムを、ごちゃまぜにしたままた漂流を始めた、最大の失敗は、国際社会の主流派と鋭く対立したこと(p27)

    ・イギリス(当時、世界一の覇権国)と蒋介石の両方を見方につけ、ソ連と中国共産党を封じ込めるチャンスがあった(p29)

    ・事変と呼び「戦争」と呼んでいないのは、日中両政府とも「宣戦布告」をしなかったから。国際法上の戦争となると、中立国からの援助・輸出がストップする可能性があるので(p52)

    ・帝国議会は終戦まで機能していた、大政翼賛会ができた後も、非翼賛系の議員が常時2割程度当選していた。東條内閣下でも総選挙は行われていて投票率80%(p79)

    ・1940年4月、ドイツは、デンマーク、ノルウェーに侵入し、それぞれの首都を瞬時に制圧、5月には、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクにも同時進行、首都を制圧、6月にはフランス、パリに無血入城、22日に降伏(p101)

    ・GHQ民政局がソ連工作員の巣窟だったため、戦後の日本は著しく「赤化」した(p119)

    ・昭和天皇は肝心な時は、いつも事態を収拾していた、226事件、南部仏印進駐、松岡外相更迭、日米戦争回避工作、終戦決断(p161)

    ・日本とアメリカが戦わざるを得なかった背景に、長年の「国民的憤慨」(第一次世界大戦後の日本が主張した人種平等案の否定、青島還付など)があったことを、戦争回避論者の昭和天皇が指摘していた(p177)

    ・昭和天皇の「開戦の詔勅」をもって、米英二か国に対して宣戦布告した(p181)

    ・南方作戦は、東西8900キロ、南北3700キロの、東南アジアと太平洋西半分に該当する、英領(香港、マレー半島、シンガポール、ボルネオ島、ビルマ)、米領(フィリピン、グアム、ウェーク島)、蘭領(ジャワ、スマトラ、セレベス、ティモール島)、豪領(ニューギニア、ニューブリテン島)(p193)

    ・シンガポールは旅順以上の難攻不落の牙城とされていた、第五師団の581名が、6000人の英軍を突破した(p197)

    ・レパルスは1時間8分、当時、浮沈戦艦と言われていた、プリンスオブウェールズは、2時間5分で沈んだ(p199)

    ・2月15日の時点で日本軍の砲弾が底をつき、攻撃中止もやむなしと考えられていた時に、イギリス軍の降伏の使者が到着した。上下水ともに給水停止したことが、イギリスが抗戦を断念した最大の理由であった。英軍は、5000名戦死、同数が戦傷、捕虜10万人で、史上最大級の敗北(p204)

    ・プリンスオブウェールズの沈没、シンガポールの陥落は、4世紀にわたり世界に君臨してきた大英帝国の終焉であった(p204)

    ・日本からは宣戦布告しなかったが、オランダ政府が日本政府に通告したため、日本はオランダとも戦争状態に入った(p208)

    ・マッカーサーは、籠城の途中で、海上から小舟で部下を見捨てて逃げた。乗り込めたのは、妻、息子、ペットのサル、軍主脳参謀長ら十数名のみ(p214)

    ・真珠湾攻撃のダメージのために、アメリカ側が日本を十分に叩けるだけの戦艦、戦闘機を準備できたのは、昭和18年の末。開戦から約2年間のダメージは与えられた(p255)

    ・ミッドウェーもガダルカナルも、日米の国力差が産んだ必然的な全面敗北ではない。この段階での海軍力は日本の方が上であった(p234)

    ・物資輸送の安定化には、航空力の増強と、潜水艦攻撃への十分な対策しかなかった。(p240)

    ・ガダルカナルでは、日本は二万人近い将兵が犠牲となったが、半分以上が病死、アメリカはペニシリン(抗生物質)を使用していたので病死はほとんどなし(p241)

    ・ラバウルから1000キロ離れたガダルカナルまでの作戦に熟練搭乗員、2300人が戦死したことは深刻な影響を与えた(p241)

    ・昭和18年11月5日の大東亜会議に集まったのは、世界史的な民族独立の英雄等、一流の政治指導者ばかり、これは東条英機の業績の一つ(p263)

    ・昭和20年3月11日にはベトナム帝国、1862年以来のフランス支配が終了、3月12日にはカンボジア、4月8日にはラオス、8月17日にはインドネシア、フィリピンが独立。最終的にはインドも独立(p269)

    ・サイパンは日本本土を守る最重要の要塞島であった、日本本土への空爆が可能となるので。作戦開始から1か月弱の7月9日占領声明を出した時まで、米軍死傷者は1.4万人(p290)

    ・レイテ沖海戦では、海軍力そのものがほぼ壊滅した、最強の空母「瑞鶴」、戦艦武蔵等、主力艦を中心に25隻沈没、戦闘参加者8.1万人のうち、7.7万人が死亡(p301)

    ・10か月間の特攻で、陸海軍あわせて、4400人が特攻隊員として飛び立ち、援助機を含めると特攻作戦の戦死者は、1.4万人となる(p316)

    ・特攻は、終戦工作に入る上で、アメリカに最も厭戦感を与え得る作戦であった、ミッドウェー海戦以後では命中率は最高、フィリピンで26%、沖縄で14%(p317)

    ・沖縄特攻では、戦艦24隻撃沈、174隻撃破(作戦参加艦艇:1500、輸送船:450)、米軍戦死者4097、負傷者4824名であった(p318)

    ・硫黄島の戦い、米軍の攻略予定期間は5日間だが、日本軍は40日間持ちこたえた。日本側は、兵力2.9万人のうち、2万人が戦死したが、米軍側は、戦死6821名、戦傷者2.1万人で合計3万人で、日本以上の被害を出した(p326)

    ・東京への5回の大空襲によって、皇居も5月25日は炎上。6320坪のうち、5527坪が焼失した。中心的施設であった明治宮殿が焼失したので、御文庫と呼ばれる皇居内の防空施設で過ごした(p331)

    ・両陛下が、新造された吹上御所に移られたのは、昭和36年、皇太子(今上平成天皇)のご結婚の後(p330)

    ・沖縄戦では、戦死者19万人、非戦闘員は9.5万人、アメリカ側はの戦死者は1.2万人、戦傷者7万人(総員54.8万人)、軍民一体でアメリカに抗戦したのは、沖縄が唯一となった(p336)

    ・沖縄戦後も、中国大陸には100万人の無傷の陸軍、政府も議会も正常に機能、昭和天皇の求心力は衰えていなかった。ドイツのように戦闘能力と政府が全面崩壊したわけではなかった(p345)

    2015年10月11日作成

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著者プロフィール

文藝評論家。一般社団法人日本平和学研究所理事長。昭和42年生まれ。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修了。専攻は音楽美学。論壇を代表するオピニオンリーダーの一人としてフジサンケイグループ主催第十八回正論新風賞受賞。アパグループ第一回日本再興大賞特別賞受賞。専門の音楽をテーマとした著作は本作が初となる。
著書に『約束の日 安倍晋三試論』『小林秀雄の後の二十一章』『戦争の昭和史』『平成記』ほか多数。

「2019年 『フルトヴェングラーとカラヤン クラシック音楽に未来はあるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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