病い、内なる破局 (叢書・ウニベルシタス 1136)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588011368

作品紹介・あらすじ

自分自身が失われてしまったという感覚をもつ人の苦しみを前にして、いかなる言葉が、いかなる身ぶりが可能だろうか。病いが人を深く揺さぶる時、この同一性の傷を治療することは可能だろうか。患者が自己の風合いを取り戻すことを支援する協働的な営みとしての「治療」の可能性と、「回復」への希望を現実のものにしようとする実践から、ケアの哲学に新たな地平を切り開く。

感想・レビュー・書評

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  • 第1章から第5章までは、タイトル通り、病いによって、自分がいかに内側から破局し、自らの現実を受容できない状態にあるのかが描かれる。冬のような凍てつきさえ感じる。第6章に至って、新たな芽吹きを見る。病いを得た人が、新しいセルフイメージを持って、もう一度生き始める様子が語られる。読者がもし、ちょうど今、病いの見えないトンネルの中にあるならば、救いとなる、この章から読むのが良いかもしれない。

  • 自己免疫性疾患で苦しんだことのある哲学者による、病いと治療における自己同一性のお話。

    医療はもはやエビデンスベースが主流で、病気にフォーカスをあてた行為が行われる。
    だが患者は人である。教科書通りにはいかないし、苦悩する。
    この世には患者が抱える病気のデータはあっても、その患者自身のデータはない。

    患者は病いによって自己同一性の破局を経験し、苦悩する。
    医療者はその苦悩にフォーカスする必要がある。
    治療においては、一方的に治療行為を行っていくパターナリズムになってはいけない。その患者が自分自身で破局を克服していけるように、きめ細やかに目と心を配り、それを手助けすることが重要なのである。

    本書を読んでそのように感じた。

    また本書は、病気に限らず
    大きな自己を揺るがすイベントがあったときに、私たちはどう対応するのか?
    自分を自分足らしめるのは何なのか?
    ということも考えることができる。

    ボリュームはコンパクトで、文章も比較的にわかりやすいが、充実した一冊である。
    哲学に慣れていない方、病気がない方にも、おすすめします。

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著者プロフィール

クレール・マラン(Claire Marin)
1974年、パリに生まれる。2003年にパリ第四大学(ソルボンヌ)で哲学の博士号を取得。「現代フランス哲学研究国際センター」のメンバーを務めるとともに、セルジー=ポントワーズのリセ、アルフレッド・カストレ校のグランゼコール準備クラスで教鞭をとる哲学者である。自らが多発性の関節炎をともなう自己免疫疾患に苦しめられ、厳しい治療生活を送ってきた患者(当事者)でもあり、その経験を起点として、「病い」と「医療」に関する哲学的な省察へと歩みを進め、精力的な著作活動を続けている。著書に、『熱のない人間――――治癒せざるものの治療のために』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2016年)、『病い、内なる破局』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2021年)、自らの経験を小説として綴った作品『私の外で――――自己免疫疾患を生きる』(鈴木智之訳、ゆみる出版、2015年)などがある。

「2023年 『断絶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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