- Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
- / ISBN・EAN: 9784588213014
作品紹介・あらすじ
平成17年度日本広告学会賞受賞 のれん,看板からインターネット広告までを通観し,人々の暮らしと密接にかかわって独自の広告文化が形成されてきた経緯を描く。
感想・レビュー・書評
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広告の歴史を古代から現代まで通覧する一冊。個々の事例は参考になる。
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現在我々の回りに溢れている広告について、その歴史を綴り、広告がその始めから人々の暮らしと密接に関わりながら現代に至っている様子を描いている。商業の歴史に関心がある人には特にお薦めの一冊。
著者は「広告は媒体を使用した有料で行うマス・コミュニケーション」であると定義している。日本の広告の歴史は大和時代の市に始まると考えられるが、広告の最も古い証拠物件は奈良時代の木簡の立札である。本書ではその始まりから現代に至るまでの広告の歴史を通観し、広告がその時代の世相を反映し、人々の暮らしに密接に関わりながら独自の文化を形成してきた経緯を、数々の興味深い事例を挙げて描いている。特に明治以降平成に至る近現代の広告が、如何にその時代と世相を反映したものであるかが詳しく書かれていて大変興味深い。
現代の広告に関して、広告媒体には新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等に加えインターネットが加わり、ウェブ広告、検索連動広告、Eメール広告などの広告費は増加の一方である事を指摘し、消費者の需要に応えて商品が多様化している現在、広告表現もタレントの効用やユーモラスな表現より商品そのものの効用をアピールすることが求められてきていると分析している。
戦時中の日本やかつてのソ連の新聞に見られる情報操作された記事は真実を伝えないが、同時に掲載された広告から世相を窺い知る事ができるという事実を例に挙げ、著者は「広告は真実を、記事は建て前を伝えている」とし、またテレビ、ラジオなどのメディアでは「CMは真実を、番組は建て前を伝えている」と述べている。本書は、いつの時代にも人々の暮らしと共にある「広告」の面白さに気づかせ、改めて興味を持たせる広告文化史である。 -
[ 内容 ]
のれん、看板、引札から現代・大量消費社会のコマーシャルに至る広告の歴史を通観し、いつの時代にも広告が人々の暮らしと密接にかかわって独自の文化を形成してきた経緯を探る。
先駆者たちの足跡を辿って描き出された日本広告文化史。
[ 目次 ]
第1章 大和時代の広告
第2章 奈良時代の広告
第3章 平安時代の広告
第4章 鎌倉時代の広告
第5章 室町時代の広告
第6章 江戸時代の広告
第7章 明治時代の広告
第8章 大正時代の広告
第9章 昭和の広告
第10章 平成の広告
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
一口に「広告」といっても、定義の仕方によって、その意味する範囲は広くなったり、狭くなったりする。著者は、「広告とは媒体を使用した有料で行うマス・コミュニケーション」と定義している。
著者はさらに、「はじめに」で、次のようにいっている。広告の大部分は商売の拡大を狙ったものだが、媒体のない時代には、人が声を張上げて、商品を売った。しかし、媒体の誕生で、流通コストは大幅に引き下げられた。媒体は看板、チラシからマス・コミの誕生によって、到達範囲は無限に近く広がり、かつ到達者当たりの費用がやすくなった。したがって、商業革命、産業革命、情報革命を経て、消費者の受け取る商品の流通コストは引下げられた。
著者は、多くの「広告」に関する著作をだしているが、日本の歴史が、世界の水準からいっても、かなりの昔から、広告の効果測定をしていたことや、ブランド資産論など実践されていたこと、江戸の遊郭で行われていたIMC(Integrated Marketing Communication)――ショウウインドウとしての張見世、印刷媒体として引き札の配布、歌舞伎の出し物に吉原を舞台にさせる広告劇作戦、山東京伝など洒落本によるパブリシティの流布、暦ごとのお祭りイベント作戦などなどを跡付けて興味深い。
最初の広告会社は明治6(1880)年に創立した内外用達会社といわれているのだそうだ。広告専業でなく、商社で、1874年1月9日に「東日」に出された目論見書の広告の中に同社の依頼部が部分的に広告を扱うと受け取れる業務内容を公表しているのだそうだ。広告専業の第1号は1880年の空気堂組といい「我国新聞広告取扱営業の開祖也」と何度も新聞広告しているのだそうだ。老舗の歴史、マーケティングを紐解いて語っている部分が、なるほど、だ。