体験の哲学: 地上最強の人生に役立つ哲学活用法

著者 :
  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591170236

作品紹介・あらすじ

ベストセラー『史上最強の哲学入門』の著者がおくる初の実践書。
「地上最強の哲学活用法」がここに降臨。

哲学をどう人生に役立てるのか?
知識が価値を失い、実践の時代が訪れる―。

世界には未体験が溢れている。
体験を意識して味わって生きよ。

なっちゃいない。
漫然と日常を生きるな。
何を前にし、何をしているかを意識しろ。

「使える哲学本」の決定本。
体感寿命が延びる、真のコミュニケーションが生まれる、思い込みが消え去る、言葉や思考が増える……など。
巻末に体験を意識して味わうための5000を超える「体験のチェックリスト」付き。

*内容
第一章 体験の哲学
人生を幸福にする哲学はあるのか
実践的な「体験の哲学」とは何か?
「人生とは体験の束である」
生きているとは、体験していることである
あなたは「哲学的ゾンビ」になっていないか?
「刺激的でプレミアムな体験」を求めるわけではない
第二章 体験の効能
未体験に気づくことができる
思い込みに気づき、「未知の体験」が見つかる
「行く」体験が、いつもの景色を一変させる
「身に着ける」体験で新たな感性がわかる
「自己イメージ」にとらわれなくなる
知識が価値を失い、体験の時代が訪れる
互いの体験が広がり「真のコミュニケーション」が生まれる
「未体験の記録」により継続性が生まれる
第三章 「体験する」ための作法
厳かに味わうために歴史を知る ― 体験する前に調べる
体験しないことも個性 ― やらないと決めた体験には×をつける
体験の色分け ― あなたの個性の把握
体験とは言語であり思考の由来である ― 言語化にこだわらない
経験があって個人がある ― 体験している瞬間は、体験そのものを味わう
「純粋経験」を目的とする ― 比較や言語化は必要ない
第四章 体験のチェックリスト


*著者紹介
飲茶(やむちゃ)
東北大学大学院修了。哲学作家、経営者、漫画原作者。
哲学や科学をわかりやすく解説したブログを立ち上げ人気となる。
著書に『史上最強の哲学入門』『14歳からの哲学入門』『正義の教室』『哲学的な何か、あと科学とか』などがある。
現在は、初体験を味わうため配信プラットフォーム「シラス」で哲学を語る番組を配信中。

感想・レビュー・書評

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  • 「漫然といきるなッッ 思考を覚醒させろッ」帯より

    まるで幼い子のように、同時に明日死ぬのが分かっている人のように世界を、日常を体験したい……と、「漫然と」思っているだけの自分には耳が痛かった。
    巻末の39ページにも及ぶ「体験のチェックリスト」には、いかに自分が未体験なものが多いのかと呆然とさせられた。
    「本当に」体験したのか、と問われると首を傾げざるをえない体験もある。
    ぼんやり生きてるから、な。
    でも、「体験しないことも個性」とあって、最近、おなじようなことを思っていたので、著者と、一緒じゃーん、と肘タッチしたくなった。(←軽い…)

  • 創作すれば無限に事物の名称は増やす事ができ、体験もまたその定義の仕方で無限大。だとすれば、何かを意識して体験するとして、また、それをコレクションやドラゴンクエストみたいに達成したからとて、そこに何ゆえの哲学があろうか。確かに、漫然と生きるより、感動しながら生きる方が人生は色鮮やかだ。しかし、それは体験至上主義とは異なる次元の話であり、体験追求型は結局、人生の暇つぶしの一種に過ぎない。

    漫然と日常を生きるな。何を前にし、何をしているかを意識しろ。刃牙の親父の言葉に作者が感化されたのは分かった。世界には未体験が溢れている。ワクワクしながら生きたい。それにも、物凄く共感する。だけど、知識よりも体験談に価値があるなど、何やら混乱した発言が目立つ。他人の体験談こそが、言語であり知識ではないか。

    こういう本を読む。ならば、読解した文章は体験か知識か。読書ならば体験。読解なら知識。こうした問答そのものが、意識の成果だろうか。言葉遊びに近い。言語化を善とする思想は安易過ぎるとも思えなくもない。

  • 本文の内容より巻末の体験チェックリストが参考になる。
    例えば自分の好きなジャンルのらものでまだ体験したことのないことは何か?
    子どもに体験させてあげたい項目は何か?
    りんごってこんなに種類があるのかーなどなど
    いい刺激になりました。

  • 読み終えたあと。食卓に出された、いちごを食べてみた。

    いちごを手に取り、ぐるっと眺めてみると、いちごの果実から黒い芽が生えていることに気がついた。

    いちごのがくを頭に乗せて、子供とはなかっぱのマネをしてみた。

    いちごを噛んでみると、果実のザクッとした食感がある気がついた。いつもは、花托の柔らかい食感しかイメージにない。自分の体験から生のいちごの食感が薄れていたのだと実感した。

    そして、今、ネットでいちごについて調べながら、この感想を書いている。

  • 本は読み終えたけど、体験のリストはこれ、いつ終わるのだろうかと言うくらいある。
    一瞬一瞬、漫然と生きるな、足元の靴を揃えろ。ただ流されて習慣の如く揃えるのではダメ、どの向きにどう言う思いで揃えたのか、即時に思い出せるくらい意識を向けろ。たしかに、漫然とできることは覚えていない。それを眠っているようなものだと言われればそうだし、だからあっという間に時間が経つように思うのもそう言うことなのか。
    帯にあるように、哲学をどう人生に役立てるのか?と言う言葉に惹かれて買ったのだが、それは知識としての哲学ではなく、体験。それもとびきりの体験とかではなく、普通に、まあ少し頑張らなければできないリストもあるが、日常生活でできることを漫然と体験するのではなく、汝そのものという境地で体験できるようになることを、この本は目的としている、のかな。

    まあ、でも、一日一日、本当にビュンビュン過ぎているように感じているこの数年だから、この本の言う通りやってみたらどう変わるのか、ワクワクはしてきている。

  • 漫然と生きていることを気づかされる
    普段いかに体験をおろそかにしているか、メディアに影響されてより強い刺激こそ体験であると思い込まされていることがわかった
    過去からの勝手な推測で、物事を体験する前に判断してしまうこと、未来への憶測で体験をしないこと、いずれも自分の今を生きていない
    体験を意識して実行していこうと思える内容だった

  • 哲学的ゾンビというフレーズがとても印象的だった。

    漫然と日々を生きることに対して、
    はっとさせられる本でした。

    チェックリストがあることで
    未体験の物事が多くあると気付き
    日常を大切にしたいと思えるきっかけになりました。

  • 世界には未体験が溢れている
    体験を意識して味わって生きろ
    看脚下 (草履揃えて脱げどの方向に?左右どちらから?) 習慣になっている事を意識し直す。その瞬間を生きる 足の裏や呼吸を意識して生活する

    なっちゃいない。漫然と日常を生きるな。何を前にし、何をしているのかを意識しろ
     
    生きていない=意識がぼんやりしている

    自分の知っている体験だけで構成する傾向がある

    イドラ(偏見)自分が持っている知識はどこまでが体験した知識でどこまでが体験なしに言葉の上で市場(噂話、創作物、ネット)から得た知識か?

    純粋経験 個人があって経験があるのではなく、経験があって個人がある

    体験を意識して味わって生きよ

  • 「なっちゃいない。漫然と日常を生きるな。何を前にし、何をしているか意識しろ」範馬勇次郎の言葉。
    人生とは体験の束である、なのでその体験を薄ぼんやりとしか感じなければ、人生そのものも薄ぼんやりになる。
    体験を感じていない状態は死と同じ。哲学的ゾンビになっていないだろうか?完全に感じていないことはなくとも、鈍くなっていることはあり得る。たとえば、帰り道、子供の頃は何もかもが新鮮だ、しばらくすると小石や草などの細かいものは意識にのぼらずないものとされる、さらに行くと、空、道、地面くらいにまで意識の上で抽象化され、最終的には帰り道としか認識されない。これは哲学的ゾンビに近づいて行っていると言えるのではないのだろうか。「体験を味わって生きる。」この事により幸福を得れる。もし体験(思考体験も含む)を意識にのぼらさない薬があったら飲むだろうか?一億もらっても飲まないだろう。それは体験を感じられないのは死んでいると同じだからだ。
    人は知っているものに囲まれて生きていくと感覚が鈍化して、生きている実感がなくなっていく。
    人は色々なことを経験していくが、それがどんな経験であったかを全く思い出せないとしたら、それは本当に体験した「知っているもの」だと言えるのか?名前は知っているけど実際に体験していないことなどごまんとある。ベーコンは「知は力なり」と経験して確かめた知識が力になる、逆に言えば経験していない知識は役立たずと述べている。経験していない知識はイドラと述べた。言葉としてだけ知っている知識を知っているものとすること、市場のイドラと呼ぶ。どれが体験に基づく基づかない知識かなかなか見分けがつかない。
    哲学の理論の1つとして「そこにモノが存在するのは、あなたがそれに関心を向けているからだ」というものがある。なので関心の幅を広げることが大事。
    「自分が何を美しいとしている人間なのかを知ること」は大切、それが自分自身を知る自己理解になる。哲学では、感性と知性について研究してきた。前者は人間は何を美しいと感じるのか?後者は人間は何を正しいと思うのか?である。
    それぞれのファッションを身につける人に対する固定概念があり、それに応じた振る舞いをさせる。そして、そのふるまいが自己イメージを規定させ、自分にも他者にもそうさせる。しかし、その自己イメージは本当にあなた自身なのか?いいえ、もしかしたらその因果関係は逆であり、「そうしたものを身に着けているからそうした振る舞いをしている」のかもしれない。違ったファッションならまた違った自己イメージになるかもしれない。自己イメージなんそかえの効くものであり、そもそも存在しない。それを自覚することで、あなたを「意味(ラベルづけ)」の呪縛から解き放ち、人生を自由に幸福にしてくれるだろう。
    知識のあふれる社会になり、知識の価値が下がる、相対的に体験の価値があがる。友達と喋っている時求めるのは恋愛テクニックよりも、友達が告白してどうなったかだろう。求めるべくは「知識のストック」より「体験のストック」、「知識の交流」より「体験の交流」である。お互いの体験に価値が感じられる人間関係の構築が今後充実した人生を送れるようにするのではないか?
    体験の量が問題ではなく、体験の質について自覚的であることが最も大切。体験していないこともまた個性。
    何気なく使っている言葉も身体に由来する言葉が多かったりする。身体体験を増やすことで言葉(概念)を増やせる。
    何か体験をする時に、言葉に当てはめると、体験が規定される。夕焼けを見た時にたとえると、その時の体験ではなく昔の体験の想起になる。(例えは過去の表現)なので今その瞬間を味わうことが大切。
    「行為それ自体が目的となるような行為が幸福だ」今起こっている体験それじたいを目的にする。それ自体が目的だから比較する必要もなく、言語化する必要もない(後から必要に応じてすれば良い)。そのように体験そのものを味わう時「純粋経験」があなたに訪れ哲学が定義する幸福を味わえる。

  • 哲学を初心者にもわかりやすく、有名格闘漫画を絡めて哲学を紹介してくれる、
    史上最強の哲学入門が、哲学書を読む人たちの中で知られているかと思います。

    そんな飲茶さんの体験の哲学というこの本は、
    言ってしまえば、知識ではなく、体験をするべきということを
    謳っています。
    要するに、知識の上で知っていることであっても、
    実際に体験したらどうなるかといった感じのこと。

    細かいことは読んでもらうと解るので語りませんが、
    本を読んで知ったことをただ知ったというだけに留めて、
    結果忘れてしまうような、何も得られず成長しないようなことを、
    実際に読んだ後に、アウトプットをして成長するみたいな、
    それのもっと具体的に行動を起こすみたいなことかなと解釈します。

    漠然と体験するのではなく、気構えをして体験しろって感じでしょうか。

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著者プロフィール

東北大学大学院修了。会社経営者。哲学や科学などハードルの高いジャンルの知識を、楽しくわかりやすく解説したブログを立ち上げ人気となる。著書に『史上最強の哲学入門』『14歳からの哲学入門』などがある。

「2020年 『「最強!」のニーチェ入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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