道徳教室: いい人じゃなきゃダメですか

著者 :
  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591173268

作品紹介・あらすじ

小・中学校の正式な教科となった「道徳」。道徳は、時代や社会、文化によっても変わってくるものですが、なぜ今、国語や算数などと同じ「教科」になったのでしょうか? 学校教育だけでなく、コロナ禍での自粛警察など、「道徳的に正しいかどうか」とジャッジする傾向が日本社会で強くなっているようです。「道徳」って、いったい何なのでしょう? 
独特の視点とユーモラスな文章で日常に光を当てるノンフィクション作家・髙橋秀実さんが、道徳教育の現場を皮切りに、地球温暖化、映画、小説、シェアリング、VR、ハラスメントなど、あらゆる社会問題や現象から「ニッポンの道徳」を考察する傑作ルポルタージュ!

▼ヒデミネ流「道徳教室」時間割
1限目 50年ぶりの教科書  
2限目 みんなで「自分」
3限目 「だから」の気持ち  
4限目 ちょっと努力している 
5限目 カチカチなファンタジー
6限目 うらみハラスメント
7限目 モラハラのからくり 
8限目 ビジネスとハピネス
9限目 アイ・ラブ・ちゅーりーちゃん
10限目 道徳的な現実? 
11限目 はじめてのスマートフォン 
12限目 リアルと共感
13限目 セックスしないふたり 
14限目 エコバッグ黙示録 
15限目 あなたは「いい人」ですか?

▼著者プロフィール
たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『悩む人 人生相談のフィロソフィー』『パワースポットはここですね』など。近著に『一生勝負 マスターズ・オブ・ライフ』がある。

感想・レビュー・書評

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  • 【概略】
     「〇〇警察」の根っこになっているのは「道徳的に正しいかどうか?」といったジャッジ。その「道徳」とは一体どういったものなのだろうか?小・中学校で正式な教科となった「道徳」に対し、ノンフィクション作家が様々な角度からぶつかるルポタージュ。はたして人は、「いい人」でないといけないのか?

    2024年02月07日 読了
    【書評】
     「はい、泳げません」での軽妙なタッチにやられた自分、これはある意味「引き寄せの法則」なのだろうか。何度となく眺めている友達の本棚から「高橋秀実」という名前を見つける。意識しているものしか見つけられないのか、はたまたカラーバス効果なのか。タイトルは「道徳教室」。そうなの、この本なのだよね。
     道徳を「教科」として定めないといけないのか今の日本は、なんて思ったのが(道徳を教科とするというニュースを見た)第一印象、しかしながらもはや色々な国の文化が流入していて、しかも(法律に触れてなければ何をやってもいいでしょう?という)いびつな個人主義が横行している中で、いたしかたないのかなとも思ったり。※たとえば「撮影はご遠慮ください」の「ご遠慮ください」を「沢山撮影するのではなく、2~3枚ならいいよ」という解釈することであったりとか、水程度の水分補給が許されている場所でとんでもない臭いのする飲料を口にしたりとか・・・まぁ、素敵な拡大解釈が多いこと多いこと
     自分よりも年齢が上の著者は、この道徳に対し様々な観点から取材や体験を試みるのだけども、本の構成上、大体前半あたりまでが学校の教科「道徳」に関連したものに、そして後半は広がる「道徳」多角化する「道徳」といった「こんなこともある意味、道徳の中で語られるよね?」といったものになっている。後半も興味深いのだけど、ここでは前半部分を元に感想を述べていこうと思う。あっ、誤解のないように。本書もそうだけど、道徳について絶対的な正解を導き出している訳では、ないのよね。だから徹底した「自己啓発」感は、ない。本書内の先生との取材でもあるのだけど、「こういうものだ!」という確定をしないこと自体が、道徳の中に入ってるのかも。ダブル・トリプルといった複合的スタンダードを受け入れる度量も必要になってくるしね。
     自分が凄く興味深いなと思ったのが「間主観」という言葉。第一人称の自分の中に第三人称の自分がいる状態を指しているらしい。第一人称は当然、主観だよね。その主観を、完全なる第三者(他人)ではなく、自身の中に第三者を置き、自身を見るという。「嬉しい」「悲しい」と感じている自分は、主観を持つ第一人称で、「嬉しいと感じている自分」「悲しいと感じている自分」は、第三人称的に見ているというもの。この間主観に道徳性を感じるというもの。完全な他者から完全な客観性でもって見られることはもちろんある・ありえるとして、でもそこは行き過ぎると「〇〇警察」になる。そうではなく、まずは自身の中に他者を置いてみる、そこに道徳性を見出すという。
     今まで喜餅としてそれをやっていなかったか?というと、やってきていると思う。間主観という言葉は初見だけれども、「もう一人の自分」や、もっと究極だと「お天道さま」などはそんな存在だよね。「お天道さまに恥ずかしくない行動を」なんて、どれだけ(とりわけ祖母に)言われてきたことか。下手すると、神や仏という存在以上にこの「お天道さま」という存在を、自分の中に置いているかもしれない。あくまで、自分の場合ね。
     この間主観という感覚、本書ではアイススケートの羽生さんの発言を素材にあげているけれど、アスリートや経営者の方達などは効果的に活用(という言葉が適切かはわからないけれど)しているように思える。自分の周囲にいる社長さんも、自身を漫画や大河ドラマの主人公のように置いて客観的に「これから俺はどうなるのだろう?なんて考えて行動してる」なんて発言をしている方もいるし、キックボクシングからボクシングに転向した那須川天心選手なども自身を漫画の主人公になぞらえてる。この感覚を使っている人達の全員が倫理観の高い人達とは言えないかもしれない(ごめんなさい)が、すくなくとも道徳性を高めるコツは知っているのかもしれない。
     ここで本書でもさらに「なるほどだから知見を深めないといけないのか」につながるトピックが「カチカチなファンタジー」というところ。ダブル・トリプルスタンダードをオススメしてるところ。ダブル・トリプルスタンダードは、一般的な言葉の使われ方としてはネガティブだと思う。「あいつはダブスタだ」なんて感じ。言うことやることに矛盾があったりとかね。ここではそうではなくて、自身の中の「絶対」を柔軟に捉えておかないと精神がやられてしまうというところ。プライドが高すぎたり、被害者意識が強かったりすると、道徳性が高くても生きていくのに辛くなってしまう。「〇〇警察」になってしまう人も、いるかもしれない。こういったシングルスタンダードである人の強みは、プライドに基づく強い信念だったりするかもだけど、周囲との関係は難しいよね。ではシングルからダブル、トリプルスタンダードに増やしていくには、「取り入れる」ことにつながってくる。第一人称の主観の周囲に置く第三人称の自分を、より多く、多種にわたった形で置くというもの。もちろん「そんなに第三者の自分を置いたら、それこそ自分の中で自分に気をつかって疲れちゃう」なんてこともあるかもしれない。別に一事が万事、間主観でということでもないと思う。そして、心の中の他者とうまく付き合うことで、表に出てくるものはより洗練されたものになるのではと、期待をしてしまう。いわばココロの中での独り人類補完計画であり、ココロの中の独りシュビラシステムを構築するようなものかな。
     道徳を扱っている本書からは少し外れるけれど、そろそろ道徳を全能なものとして崇め奉ることはやめるタイミングなのかなとも思ったりする。学校のいじめなども、確かに理想はいじめてる子が何かの(それこそ道徳的な!)気づきを得て改心して、いじめられてた子と仲良くなる・・・なんてことも、あるかもしれない。いやー・・・いじめられた側に残る「おい、お前が俺にやったこと、絶対忘れないぞ!」は、そうは簡単には消えないよね。小・中学校で子ども達が学ぶことは、もう少しシンプルにして、社会に送り出してあげた方がよい気がするなぁ。みんな一緒に卒業という、そんな道徳観念は捨てて、ね。
     ちなみに・・・途中に挙げた「倫理観」という文字を自分でうって、「あ、倫理観と道徳観は似て非なるものかも」と思ってしまった。自分は「お天道さま」って思ってしまうぐらいだから道徳観は高めかもしれない・・・でも、倫理観は低いかもしれない。

  • 現代の日本の道徳について考察したノンフィクション。
    テレビの事件報道を見ていて「これは道徳的にどうなのか」と思ったのが、この本を読むきっかけ。(首相の息子のスキャンダルなど) 道徳は家庭内のしつけとして、親から教えられるものと思っていたが、現在は学校で学ぶものらしい。この本では、子供から大人まで 道徳観についてのインタビューを行い、教育以外にも様々な現場の道徳観を知ることができて大変面白かった。
    以前、大学教授が書いた道徳本を読んだが、論理的なあるべき論が多かった。正論だし言いたいことはわかるが、現実世界ではどうなのと思うことが多かった。道徳は人が共生していくための最低限のルールで、頭の中だけでなく実践して身につけるしかない。この本の事例は、いろいろ考えさせられることが多かった。

  • 道徳教育についての記述は前半のみ。以降は愚痴多めのおっさんのエッセイ。自分も同じおっさんなので共感する部分もあるが学びは少ない。

  • 道徳とは?必要なのか?
    道徳とは「みんな」であり「いい」ことを啓発するもの。それは「あってもいい」存在である。
    道徳で生きることは現実できないが、まわりを見るということ、ダブルスタンダードとして理解しておくもの。
    学校というファンタジー、エコ(バッグ)というナッジ、NHK。
    いろいろ考える議題になるな。
    154冊目読了。

  • 2018年度から小学校で「教科」として授業の
    一つに割り当てられています。

    通知表でも評価が下されるとか。

    道徳では何を学ぶのでしょうか。前半はその
    内容に迫ります。

    後半では、大人の社会でも◯◯ハラスメント
    など、道徳的観点で考えると、どういう結論
    が導かれるのか、など実践的な題材を取り上
    げます。

    考えれば考えるほど深みにハマりそうな首題
    に対して、リアルな取材を通して答えを見出
    す著者の姿勢は、実に道徳的な感慨を抱かず
    にはいられない一冊です。

  • 最初の章が1番面白くて、どんなに面白いかと期待をそそられましたが、尻すぼみでした。
    また、AIについてなど内容的にどんどん古くなってしまうであろうことも感じられました。

  • スマートフォンの章が可笑しかった。

  • 学生時代、道徳の授業がなんとなく気持ち悪く、
    意見を求められ、その意見に正解はないけど、まわりが納得するような意見を求められているような空気が苦手でした。
    筆者の言うところの「日本の道徳教科書は「みんな仲良く楽しい」が大前提」で、それを感じ取ってと言われているような。
    読んでみて腑に落ちたのは、日本の道徳の授業では「みんな」の中の自分を見つめる、みんなとうまくやっていくための「気持ち」を重視しているということ。
    学校(あるいは道徳の授業)はファンタジーの世界だと思えば、当時の自分はもう少し気楽に過ごせたのかな。

    なるほどと思ったのは、
    ドイツの道徳教科書は「一人でいる」ことの価値を尊重する。一人の良い面と悪い面を考えさせ、そこから家族、共同体、国家、宗教へと広がり、「公平な方法で、人々がうまく共生することができるように法律が存在する」現実に目を向けさせる。論理的。そもそも孤独者同士のコミュニケーションなので障害があるのは当然で、技術やルールの学習が重要という考え方。

    この本では、道徳からビジネス、AI、エコバックなどに話が広がり、ロボットにインタビューするところなど面白く読めた。ただ、最後にほぼ怒りで書いてるな〜と感じられる部分は少し残念でした。

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著者プロフィール

医師、医学博士、日本医科大学名誉教授。内科学、特に免疫学を専門とし、東西両医学に精通する。元京都大学ウイルス研究所客員教授(感染制御領域)。文部科学省、厚生労働省などのエイズ研究班、癌治療研究班などのメンバーを歴任。

「2022年 『どっちが強い!? からだレスキュー(3) バチバチ五感&神経編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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