シークレット・ヒストリー 上 (扶桑社ミステリー タ 3-1)

  • 扶桑社
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  • Amazon.co.jp ・本 (442ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594015152

作品紹介・あらすじ

故郷カリフォルニアで医学部を挫折したリチャードは東部ヴァーモント州のハンプデン・カレッジに編入学する。古代ギリシア語を学ぼうとジュリアン・モロー教授の門を叩くが、あっけなく断られてしまう。あきらめかけた彼はふとしたきっかけでジュリアンのクラスの学生5人と知り合い、ギリシア語の実力を認められ、やっとジュリアンにも受け入れられる。ところが外部との接触をいっさい断った私塾のようなクラスでの毎日が続くうち、リチャードは古代ギリシアのバッコス祭にまつわるおぞましい事件に遭遇する…。

感想・レビュー・書評

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  • ”美は恐怖である。美をなんと呼ぼうが、それを前にすればわれわれは震えおののく。── p.76”

    ドストエフスキー的なストーリーを、ブレッド・イーストン・エリス的な風俗と登場人物で描く、アメリカン・クライム&パニッシュメント。エリスの作品に頻出し、登場人物を「律する」までに至る「ブランド(品)」は、ここではギリシア語と古典文学。バッコスの蛮行──宗教的エクスタシー──が、6人の学生を捉え、悲劇──ギリシア悲劇のように凄まじく暴力的でありながら美しく、気高く、エレガントな──を導く。

    カリフォルニアから東部の大学に転入してきたリチャードは、学内でも特異な教授法を貫くジュリアン教授率いるギリシア語のゼミナール──極めて閉鎖的なグループのメンバーになることを許される。メンバーはリチャードを入れてたった6人。ヘンリー、フランシス、バニー、チャールズ、カミラ。彼らは全員エリート中のエリートで、リチャード以外、裕福な家庭の子女ばかりであった。

    特異な講義。ジュリアン教授の授業では、現代の道徳と隔絶した古典時代の道徳、思想、精神が熱心に議論される。

    ”ギリシア人はわれわれと大してちがってやしない。彼らは非常に礼儀正しく高度な文明を持ち、抑制のきいた人々であった。にもかかわらず、嵐のような熱狂がしばしば社会全体に吹き荒れた──ダンス、精神錯乱、虐殺、幻影──いずれもわれわれの目からすれば紛れもない狂気そのものだ。それでもギリシア人は──ともかく、そのうち何人かは──その狂気状態に自由に出入りすることができた。

    (中略)

    「認めたくないが」とジュリアンはふたたび語り出す。「われわれのように抑制された人間にとって、自我を失うというものはなにものにも代えがたい魅力がある。真の文明人は──われわれと同様に古代人も──もとからある獣性を強固な意志で抑えつけることによって文明人となったのだ。いま、この部屋にいるわれわれはギリシア人やローマ人とひどくかけ離れているのだろうか? 義務、愛国心、忠誠心、犠牲にとりつかれているあの人々と? 現代の目から見たら、それらはみな冷たくて恐ろしいものなのだろうか?── p.72-73”

    ”「ローマ人の特性は、おそらくそれがローマ人の欠点であったのだろうが」と彼は続けた。「秩序という固定観念に縛りつけられていたことだ。建築、文学、法律、なにを見てもその証拠に事欠かない──曖昧、不合理、混沌は徹底的に否定する。

    外国の宗教にはかなり寛大であったはずのローマ人が、キリスト教だけになぜあれほどの迫害を加えたのは、その理由や簡単だ──一介の罪人が死からよみがえるとは馬鹿馬鹿しいにもほどがある。弟子たちが正餐と称して師の血を飲むとは言語道断というわけだ。その非論理性に彼らは恐怖を覚え、それを粉砕するために全力を傾斜した。いや、実際は恐怖に駆られただけではなく、強く惹きつけられもしたのではないか、だからこそ彼らはあれほど思い切った手段に出たのではないか、と私は考える。── p.74”

    ”ギリシア人はちがう。彼らもローマ人と同じように秩序と左右対称に情熱を燃やしていたが、目に見えない世界、神々の世界を否定する愚かさを知っていた。感情、曖昧さ、野蛮さに一目を置いていたのだ。

    血なまぐさく、恐ろしいものほど時としてもっとも美しいとさっき話していたのを覚えているだろうか? あれこそ、ギリシア人の考えだ。美は恐怖である。美をなんと呼ぼうが、それを前にすればわれわれは震えおののく。ギリシア人やわれわれにとって、完全に自制心を失うほど恐ろしく、かつ美しいものがほかにあるだろうか? 人間としての束縛を一瞬にして投げ捨て、自我に付随する性質を破壊するより恐ろしいことが?

    エウリピデスは酒神バッコスの巫女メナードをこう表現している。頭をのけぞらし、喉を星に向けて『人間というより鹿であった』と。これこそ完璧な自由ではないか!── p.75”


    しかし学生たちは「理論」だけに収まらず、バッコスの秘儀を現代に甦らせ、それを「実行」してしまった──完璧に実行してしまった。彼らはデュオニソス神を「目撃」してしまった。理性を失し、鹿になり、狂気を呼び寄せてしまう──彼らは人(農夫)を殺してしまったのだ。

    この「秘儀」に加わらなかったのは二人、語り手のリチャードとバニー。ギリシア語のゼミに入ったものの、いまいち「グループ」に溶け込めなかったリチャードは、この「秘密を共有」することにより、ようやく彼らと親密になる──仲間の一員となる。一方バニーは、リチャードと取って代わられるように、グループから脱落していき、グループにとって「好ましからざる人物」になっていく。

    「グループ」はバニーの排除、つまりバニー殺害/仲間殺しをせざるを得なくなる……。

    ここまでが前半で、後半は「非理性的な殺人=農夫殺し」から「理性的な殺人=バニー(仲間)殺し」を犯してしまった学生たちの、グループとしての集合離散=自滅を丹念に濃密に描いていく。これが実に圧巻だ。

    この作品を読み終わった途端、僕はすでにドナ・タートの信望者になっていた。『シークレット・ヒストリー』という小説に完全に心酔している。この作品は10年にあるかないかの傑作だと思う。

  • 上下巻の感想。

    変わらずに居て欲しい日常から、坂を転げ落ちるように転落していく世界を書ききった話。

    その日常が充実し、華やかであっただけにその後の転落にはなんともいえないものがありますが、引き返す事もできず、かといって未来で補う事もできないもどかしさがあります。

    未来のある話ではないのですが、この本の魅力は、そのもどかしさ以外に、登場人物達にもあります。きっともっとつきぬけた悪人だったら切って捨ててしまったかもしれない話なのですが、感情面の描写が言葉、行動、しぐさからもれ出ていて、それが気配を感じるくらい濃厚で肉迫したものになっています。そういう有無を言わさない迫力があるため、翻弄されながらも最後まで読んでしまった本でした。

    転落していく推移も醍醐味として楽しめる人にはお勧めだと思います。

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著者プロフィール

63年、ミシシッピ州生まれ。92年の処女作『シークレット・ヒストリー』でデビュー、世界的ベストセラーに。3作目の本書で2014年、ピューリツァー賞(フィクション部門)受賞、『タイム』誌「最も影響力のある100人」に選出。

「2016年 『ゴールドフィンチ 4』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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