世界史は99%、経済でつくられる

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  • 扶桑社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594075866

作品紹介・あらすじ

国家はインフレで借金を踏み倒す? 金利低下は終わりのはじまり? 
経済から世界史を眺めると、混迷する日本や世界経済の“行く末”が見えてくる!

“バブル”“金融政策”“不採算部門のカット”“マーケットのコントロール”など、
元予備校の人気世界史講師が、ビジネスパーソンにとって身近な用語も使いながら、
歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。

知っておきたい「歴史」の流れがクリアに理解できる、ビジネスにも役立つ世界史の必読書。

[古代]
◎なぜ、ギリシアのような辺境の貧村が世界帝国となったのか?
◎ローマの台頭、繁栄、衰亡の三段階、その力学構造とは?
◎漢王朝の経済論争、国家は市場に関与すべきか?
[中世]
◎銀行業で華々しく成功する事業家一族、利子禁止をどのように回避したのか?
◎唐王朝、宋王朝はマーケットをどのようにコントロールしたのか?
◎一体化する世界、元王朝や明王朝はグローバリズムにどのように向き合ったのか?
◎アジア、アフリカ、ヨーロッパを支配したイスラム、その力の源泉とは?
[近世]
◎ヴェネツィアではなく、ジェノヴァが新しい時代をつくることになったのはなぜか?
◎ポルトガルの香辛料貿易の利益、スペインの新大陸産の金銀はどこへ消えたのか?
◎なぜ、小国オランダは世界の覇権を握ることができたのか?
◎オスマン帝国が形成したグローバル・リンケージ・システムとは何か?
◎なぜ、辺境の異民族が中国を260年間、支配し続けることができたのか?
[近代]
◎急激な経済上昇はなぜ発生し、また、なぜ、それは欧米や日本に拡がったのか?
◎イギリスは莫大な利益をどこから稼いでいたのか?
◎覇権国家イギリスは財政危機をどのように乗り切ったのか?
◎財政危機の救済に悪用されるリフレ政策、その功罪とは?
◎なぜ、中国やイスラムでは近代化が起こらなかったのか?
[現代]
◎新しい資本主義の局面を、イギリスではなく、ドイツがつくり上げていくのはなぜか?
◎不況の時に有効なのは財政政策か金融政策か?
◎戦争は回避不可能、戦争に突入しなければならない必然性とは何か?
◎日本軍のファイナンスはどのように失敗したのか?
◎なぜ、アメリカ国民は軍拡の負担を受け入れたのか?

感想・レビュー・書評

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  • 古代から現代までの世界史を1冊にまとめているため、所々で事実関係の省略がされており、眉唾して読む必要あり。
    下部構造(物質的・経済的要因)は上部構造(政治・文化)を規定する。
    1820の大分岐を境に、世界のGDPシェアは中国トップからヨーロッパトップへ入れ替わる。
    食料自給の出来ないギリシャと穀物生産地のオリエントの公益のためにエーゲ海交易が発展し、アナトリア半島で鋳造貨幣が発明される。
    大航海時代のスペイン、ポルトガルは資金をジェノヴァより調達し、香辛料貿易の利益をその利払いに充てていた。
    近世のヨーロッパからアジアへの玄関口は、コンスタンティノープル、アンティオキア、アレキサンドリアの3都市3ルートで、すべてオスマン帝国が支配した。オスマン帝国は多民族多宗教を内包し統一通貨統一市場にて繁栄。
    イギリスの奴隷貿易は、アフリカの人的資源枯渇による奴隷価格の高騰と、プランテーション生産量増加による作物価格の低下で、経済的理由により廃れていった。
    中国は巨大な人口と土地生産性の高さで労働コストが安く機械化への動機が薄く産業革命に至らなかった。

  • 勝者による編纂を経てきた歴史という物語が、経済という側面で切り取られていることが斬新で、新鮮である。それでいながら、経済的必然性と合理性により歴史は綴られてきたのだと強く感じられる。大きな市場原理によって歴史は作られたと言っても過言ではないくらいに納得感を得られる。

  • 古代から現代に至るまでの通史を、経済という切り口で書かれた世界史の解説本です。歴史は流れがわかると面白いので、「通史」には興味があります。さらに多くの事件がありますが、それには「経済的な理由=お金」が絡んでいることが殆どで、その点から解説されている点がさらに面白いです。

    私達が毎日使っているお金は、紙幣と硬貨がありますが、それらがどのような経緯を経て今に至っているのかについても、この本を通して益々興味を持つようになりました。

    ポルトガル・スペインが新興国だった時代、どこがスポンサーだったのか(東方貿易でベネチアに負けた、ジェノバ)、始めはアントワープ(ベルギー)が栄えてのに、アムステルダムになった理由(スペインフェリペ2世の宗教政策のため)、イギリスが設けた、他国でまマネのできなかった2大ビジネス(奴隷・アヘン貿易)、フランスとアメリカでの奴隷の使い方の違い(イギリスは供給側です、アメリカは奴隷に子供を産ませて家族として、奴隷購入を減らした)、奴隷制度が無くなった理由(人道的な理由だと教わっていたような気がしましたが。。。やはり経済的な理由なんですね)、これらが私にとっては衝撃でしたが、やはり歴史は経済でつくられる、というテーマに納得しました。

    以下は気になったポイントです。

    ・使える歴史を体得するためにすることは、まず、歴史の諸現象を経済現象として捉える思考習慣を身に着ける(p15)

    ・古代(476まで)は農業資本・古代帝国、中世(5-14世紀)は商業資本・封建制、近世(14-18世紀)は産業資本・絶対主義、近代(18-20世紀)は産業資本・市民主義、現代は、金融資本・民主主義である(p21)

    ・中国では10世紀以降、宋王朝が興隆し、首都を開封においた、南北に延びる運河と黄河が交差する結節点にあり、物流ネットワークの中心であった(p23)

    ・ブルジョワは、近代貨幣経済の発展やマーケットの拡大によって現れた商工業に携わるビジネスマンたちで、経済活動によって生計を立てる人。社長は商店の社員も経営に携わる限りブルジョワだが、労働者は含まれない(p25)

    ・世界のGDPは、有史以来、18世紀までは、中国とインドが1位と2位を占める、欧州が1位になるのは19世紀後半、アメリカが1位になるのは1950年(p29)

    ・20世紀になると列強は全世界を従属して支配できる領土空間がなくなった、そして新たな対象となったのが、通貨であった、金本位制の停止により各国の中央銀行が通貨の自由裁量権を握ったことにより、通貨の増幅により自ら内的成長する手段を得た(p31、32)

    ・ギリシアとオリエントのエーゲ海交易が発展すると、物質の交換を円滑にする媒介ツールが現れる、これが歴史上はじめて現れる鋳造貨幣、中間に位置するアナトリア半島のリディア王国で鋳造されたのは歴史の必然である(p37)

    ・アケメネス朝ペルシアでは、金銀交換比率(GSR)は、1:13、ペルシア西側のインドでは1:8、従ってインド商人は金をアケメネス朝で銀と交換し、銀をインドに持ち帰る。ペルシアの銀はインドに流出する一方で、金がインドからペルシアへ流入した、ニュートンは、金貨を安定させる政策として、1717年に、GSRを1:15.21(ニュートン比価)とした、金本位制の基準となった(p39)

    ・紀元前480年に、ギリシア海軍はペルシア海軍に勝利する、これは豊富な産銀によって得られた資金力、経済力の勝利といえる(p42)

    ・ギリシアのアレクサンドロスがペルシアでやったことは、男性の大虐殺・女性の集団強姦であり、こうした帝国の力による支配は長続きしなかった、そしてギリシア人はローマ人に覇権を奪われる(p46)

    ・ローマは戦争に従軍した兵士に対して、身分の区別なく参政権、財産権を付与し、功績のあった兵士には政治的発言権も付与した。こうした手法をローマはギリシアから学んだ(p48)

    ・ローマ人は国家意識が強く、ポエニ戦争に勝たなければ自分たちの将来がないと自覚して、私財を進んで投じて財政を軍事に集中させた。しかし、カルタゴの人はローマをしのぐ資金力・経済力がありながら、それを有効活用できなかった(p51)

    ・ローマは地中海交易を事実上独占したが、ローマに納税すれば人種を問わず、交易活動の自由参入ができ、商人たちは身分・財産を法律によって保証された。能力ある人はローマ世界に参入した(p53)

    ・カラカラ帝は、212年に、広大な帝国領内の有力者のすべてに寛大な市民権を付与し、政治的立場を保証した(p55)

    ・コンスタンティヌス帝は、330年、東方のビザンティウムへ遷都、首都ローマを捨てた、名称はコンスタンティノープルに改称された、続くテオドシウス帝は395年、東西ローマ分割を行い、西側の切り捨てを宣言した(p56,58)

    ・魏呉蜀を統一した晋は、モンゴル人王朝の北朝(北魏)と、漢人王朝の南朝に分かれた。581年に南北統一した隋や唐はモンゴル人王朝の流れ(p67)

    ・6-7世紀に欧州の農業生産力が増強されると、欧州はビザンツ帝国の食糧調達の物流に依存する必要がなくなる、ビザンツ帝国は高いコストをかけて広大な領土を維持するインセンティブがなくなった(p71)

    ・800年、ついに教皇から皇帝に任命されたカール大帝の死後、帝国は分割され、西フランク王国(フランス)、東フランク王国(ドイツ)、イタリアの3国が誕生した(p72)

    ・債権者のリスクを考慮すれば、1215年第4回ラテラン公会議で決められた利子率上限33%は、適切とされた。1517年第5回会議で利子徴収を解禁した(p79、p80)

    ・宋王朝は、経済政策を重視、経済成長を目標とする政権、軍事力よりも経済力を重視する政策「文治主義」を指示した(p88)

    ・イスラムに税が納められれば、それ以上の戦いは異教徒であってもしない、納税を拒否した場合は戦ってよい(p110)

    ・ベネチアとジェノバは経済力では互角であったが、ジェノバは小貴族の内紛が続いて政治的結束が図れずに、14世紀にベネチアとの戦争に敗れ、交易路を失った。東方貿易の利権は失ったが、余剰資本をポルトガルとスペインに投資した、15世紀の大航海時代はベネチアに苦汁を飲まされたジェノバの逆襲として幕を開けた(p117)

    ・投資家にとって、新興国ポルトガルに投資するのは躊躇されたが、金融の発達したジェノバの投資は安心感があった、欧州の投資資金がジェノバに集中したので、ジェノバ債の金利は3-4%と低かった、ジェノバがポルトガル・スペインを操り搾取していたといっても過言ではない(p119)

    ・ポルトガルは香辛料貿易の利益のほとんどをジェノバに取られ、ポルトガル王室は慢性的な財政難であった、身の丈に合わない開発をして、負債と利払いに追われた(p123)

    ・ポルトガルは1578年、年間の国家収入の半分に相当する戦費を投入したイスラム朝サアド朝に大敗し、デフォルトし、1580年にスペインにより併合された(p124)

    ・スペインも国家収入の7割が対外利払いに回されていたが、ジェノバ以外にも借りていた。またネーデルランドの中心都市、アントワープを特区として解放していて起債していて資金調達していた(p126)

    ・敬虔なカトリック教徒であった、フェリペ2世はカルバン派新教徒の多かったネーデルランドに対してカトリックを強要し、1568年に独立戦争を起こした。1576年にアントワープはスペイン軍により略奪・破壊され、それ以降に、新教徒の商工業者はオランダのアムステルダムに逃れた(p128)

    ・当時の欧州人にとって、インドとはアジア全体を指す漠然とした言葉、新大陸は西インド、インド・東南アジア地域は東インドと呼ばれた。したがって、東インド会社はアジア担当、西インド会社は新大陸担当(p134)

    ・イギリス東インド会社(1600年設立)は、配当は1航海ごと、無限責任、王室特許会社であったのに対して、オランダ東インド会社(1602)は、年率18%だが有限責任で、民間連合会者であった(p135)

    ・1623年モルッカ諸島にあるアンボイナ島事件により、オランダはイギリスを排除して香辛料貿易を独占したが、16世紀後半のポルトガル時代から香辛料価格は供給過多により値下がりしていて、オランダは香辛料貿易ではほとんど利益をあげられなかった(p138)

    ・1621年、オランダは西インド会社を設立し新大陸方面に進出、ハドソン川の毛皮貿易の集積地として、ニューアムステルダム(のちのニューヨーク)を建設、イギリス産の毛織物製品を売ることで儲けた(p138)

    ・イギリスが軍艦製造の予算を確保して着実に海軍力を増強していたとき、オランダは小型の商業船の建造に力を入れて、軍の装備の強化を怠った(p142)

    ・欧州からアジアへ至るルートの玄関口は3つあった、コンスタンティノープル、アンティオキア(シリア)、アレキサンドリア(エジプト)、13世紀に覇権を握ったモンゴルでもこの3都市は征服できなかったが、オスマン帝国は全て手に入れた(p144、147)

    ・1566年、オスマン帝国とポルトガルは協定を結び、インド貿易を分け合うことで合意した。ポルトガルのインド支配の陰には、オスマン帝国のインド進出がある(p148)

    ・オスマン帝国では、軍の統帥権を握る立場の者をイスラム教徒の子弟から選ばずに、あえてキリスト教徒の子弟から選んだ。イスラム豪族の台頭を抑え、キリスト教徒を懐柔する狙いもあった(p150)

    ・清王朝の康熙帝は18世紀初頭、思い切って人頭税を廃止した、これにより民衆は人口調査に応じて戸籍を取得し始める。その結果統計人口が一気にふえて、3億人となった(p159)

    ・18世紀以降、綿製品(インド産)が欧州で流通すると、乳幼児の死亡率が劇的に改善される、洗濯された清潔な綿製品により、病原菌を媒介するノミ・ダニから身を守れるようなった(p165)

    ・鉄の生産には、木炭の炭素が必要であったが、イギリスでは森林不足により木炭を得られなかった。木炭の代用品である石炭から不純物を取り除く方法を発明、石炭を使う製鉄法を可能にした(コークス製鉄法)、これによりイギリスは鉄の自給が可能となり、蒸気機関の発展となった(p169)

    ・経済成長に必要なのは、資本蓄積・技術革新・人口増大、である(p169)

    ・フランスの大陸封鎖令により、イギリスの輸出は半減、そのためイギリスはアメリカ市場に積極的に取り組むことになる(p172)

    ・イギリスは17-18世紀、スペインやフランスと戦争をして勝つことで、奴隷貿易を独占、莫大な利益を上げた。30%のリターン、この人身売買ビジネスがイギリスにとって高収益事業であった、フランスはイギリスから奴隷を購入して、ハイチなどのプランテーション経営をした、アメリカは奴隷に家族を持たせて黒人子孫を永続的に土地に住まわせたので、奴隷購入は減った(p181)

    ・奴隷貿易がなくなったのは、人道的な理由というよりはむしろ、経済的な理由による。ポルトガル領ブラジルで砂糖生産が急増、インドでの原綿も増加し、価格が下落して奴隷貿易はついに利益がでなくなり自然消滅した(p182)


    ・1793年のフランス革命により、左翼急進派が政権を握り、国王ルイ16世・マリーアントワネットが処刑、ブルボン王朝とともに莫大な負債も消した。債権者たちは激しく抵抗したが、彼らも左翼急進派によって断頭台に送られた(p204)

    ・中国人は農業社会に固執していたわけではなく、彼らにとって、農業経営で収益を確保することが合理的で自然な選択であった(p212)

    ・植民地獲得に成功したイギリスやフランスはその成功ゆえに、従来型の軽工業のビジネスモデルに依存、そこから脱却できなかったので、ドイツに経済覇権を奪われた(p228)

    ・ドイツの賠償金:1320億金マルクは、1金マルク0.3584グラムなので、現在価値(グラム4600円)とすると、約218兆円となる。いくら紙幣を刷っても支払は減らない(p246)

    2017年6月25日作成

  • 経済構造を通じて歴史の流れを把握しようとする試み。

  • 面白い。再読したい。

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著者プロフィール

1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、著作家となる。テレビ、ラジオ、 雑誌、ネットなど各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。
主な著書に『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社)、『「民族」で読み解く世界史』『「王室」で読み解く世界史』『「宗教」で読み解く世界史』『世界「民族」全史』(以上、日本実業出版社)、『経済で読み解く世界史』『朝鮮属国史』(以上、扶桑社)、『世界史で読み解く天皇ブランド』(悟空出版)などがある。

「2023年 『知らないとヤバい民主主義の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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