- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594080914
作品紹介・あらすじ
戦国武将とその時代を動かしていたのは、
浄土真宗の僧侶たちだった!?
─東本願寺と西本願寺の分裂騒動と、信長・秀吉・家康との深い関係とは……─
「京都駅近くの烏丸通と堀川通に面して二つの巨大な伽藍が聳え立っている。東本願寺(お東)と西本願寺(お西)である。東・西それぞれの本願寺には阿弥陀堂と親鸞聖人を祀る御影堂があり、親鸞が著わした『教行信証』を聖典としている。つまり両者とも親鸞を開祖とする浄土真宗教団の本山である。
伽藍が巨大なだけではない。両宗派とも門徒(信者)数は七百九十万人で、両方を合わせると千五百八十万人と日本の人口の一割以上を占めている。つまり、日本人の少なくとも十人に一人は門徒ということになる。寺院数は、東本願寺(真宗大谷派)が八千七百寺で、西本願寺(浄土真宗本願寺派)は一万寺である。門徒数・寺院数を合計すると日本最大の宗教教団である。
親鸞を開祖とし、その血脈によって受け継がれてきた本願寺が、なぜ二つあるのだろうか」(「はじめに」より)
その真因を探るには戦国時代にさかのぼることになります。
本書は、信長・秀吉・家康と本願寺の関係を、特に秀吉政権を中心にして、知られざる本願寺文書・史料を駆使し、いわば「戦国秘史」から本願寺分裂の背景を解き明かすものです。
感想・レビュー・書評
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うーむ、わかったような、腑に落ちないような。そんな本でした。信長との戦いの後の本願寺の動向を分析した内容で、方広寺の大仏がもともとは漆膠像だったことや、顕如と如春、教如陣営に分かれて対立があったことは初めて知った。
西本願寺が豊臣方とされるものの、必ずしも秀吉に保護されていたわけではないように思われる。数年おきに移転を命じられるなど、費用負担も激しかったのではないか。それを実行できるだけの財力が本願寺にあったということの裏返しかもしれないが。
築地本願寺が東本願寺で、浅草に西本願寺の別院があるというのも新知見。
「信長・本願寺 十年戦争」なる本も読んでみたい。読み始めたきっかけが、父の本願寺はなぜあれほど力を持っていたのかという質問だったので、そこにこの本は答えきれていなかった。もちろん本が悪いのではなく、チョイスミス。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本願寺を東西に分裂させたのは、豊臣秀吉と勝手に思い込んでいましたが、徳川家康だった。