「保守主義者」宣言

著者 :
  • 扶桑社
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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594087777

作品紹介・あらすじ

「全世界の保守主義者よ、団結せよ!」
コロナ禍に乗じて台頭する権威主義国家、節度なき個人主義、人権の名の下に封殺させる言論……
私たちはどこへ向かおうとしているのか?
日本と世界を守る「思想の力」を問い直す!

私の執筆動機は、危機に瀕する日本を現実にどう救うかに関する、実行可能なヴィジョンとプランを打ち出す事にある。保守主義の概念を思想史上から丹念に跡付ける包括的な研究書はいまだ書かれておらず、それは必須の仕事だが、本書はそれを目的とはしていない。その事を示す為に表題を『「保守主義者」宣言』とし、かつてカール・マルクスによつて書かれた『共産党宣言』と、あえて意図して、対に出た。(まえがきより)

【目次】
序  平成日本「失敗の本質」

第一部 「保守主義者」宣言
一 「保守主義者」宣言
二 「保守主義」とは何か
三 戦後日本の保守主義はいかに戦つたか
四 日本の保守主義はいかにして崩壊したか

第二部 国家の危機にどう立ち向かうか――イデオロギー戦から逃げるな
一 安倍政権――その漸進主義の勝利と限界
二 自由の為の国家百年戦争を準備せよ
三 「働き方改革」を廃し、地方創生・デジタル革命・人口政策に集中せよ
四 愛子天皇論といふ「無血革命」

第三部 文化の危機にどう立ち向かふか――保守主義の血脈を継ぐ
一 三島由紀夫 没後五十年の宿題
二 福田恆存の戯曲――政治的言語空間の創造
三 追悼 岡崎久彦――昭和史を「物」にするとは
四 追悼 岡田英弘――歴史は文化である
五 対談 小林秀雄、宣長、源氏、古今…… 石村利勝×小川榮太郎

[付録]日本の保守主義の為の読書案内

感想・レビュー・書評

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  • 本書は保守思想の解説でもなければ思想史的な研究でもない。保守思想のエッセンスについて著者の立場が簡潔に述べられてはいるが、あくまで「危機に瀕する日本の現実をどう救うかに関する、実行可能なヴィジョンとプラン」を打ち出した実践の書である。福田恆存が典型だが、これまで日本の保守は「主義」を忌避することで、ある種の節度を保ってきた。著者は敢えてその矩を越えて「保守主義者」を宣言する。ここには現代保守の危機的状況への深い憂慮と失地回復に向けたただならぬ覚悟が滲んでいる。もはや保守的な心構えを悠長に説いていても何ら現実を変えられない。それほど事態は深刻なのだ。このことは現代日本の保守の敗北の歴史を素描した第一部を読めば納得する。硬直的なイデオロギーにまみれた言論の閉塞状況を打破するには保守も政治的な行動を躊躇するわけにはいかない。著者のこの闘いに万感の思いを込めてエールを送る。だが、著者も自覚しているだろうが、これはそんな簡単なことではない。

    著者が守ろうとするのは一義的には「良き日本」であろう。「良き日本」とは何かにもよるが、おそらく著者が考える「良き日本」を守るには「強い国家」(国家権力の物理的な強弱ではなく国家意思の強弱を指す)が必須だというのが著者の見立てだ。だからこそ国家戦略を論じた第二部が書かれたのだろう。だが「良き日本」とそれを守る「強い国家」は時に相互に補完し合うが、時に相矛盾する。「強い国家」たるために、ことによっては「良き日本」と決別せねばならない。反近代を貫くには近代主義者でなければならぬという、かの『近代の超克』で下村寅太郎が投げかけた問いにここで直面する。これは本書のもう一つのテーマである第三部の「文化保守主義」にも関わってくる。政治的保守主義を実効あらしむるには「文化保守主義」という「ミッシングリンク」を回復しなければならぬというのはその通りだが、「文化保守主義」と「政治的保守主義」も、ある点では相互に補完し、別の点では矛盾する。このジレンマにどう立ち向かうのか。

    ここで改めて保守とは何かが問われるだろう。著者は言う。「変化を取るか、現状維持を取るか、また、仮に変化を取るにせよ、どの範囲までそれを認め、どこから先では変化を認めず、しかも何ゆゑ変化を認めないのか、いわば保守的な思考の原点はここにある。」これは近代保守の鼻祖バークの保守思想の核心だと言ってもいいが、日本の保守に決定的に欠けているのはこの自覚である。(ちなみに小林秀雄はこのことを本能的に理解していたはずだし、もっとも知的に理解していたのは意外にも丸山眞男だ。)しかも事態はさらに複雑である。バークは自らを「保守主義者」ではなく「漸進主義者」と見做したが、著者も言うように、保守の基盤そのものが解体してしまった現代日本では「漸進主義」はもはや有効でなく、ある種のラディカリズム、謂わば保守革命が求められる。保守は生き延びるために自らを否定しなければならぬ。であればそもそも保守が守ろうとしていたのは何であったか?保守革命という殆ど語義矛盾とでも言うべきこの隘路を突破しなければ、保守の再生はない。いばらの道であることはもとより覚悟の上だろう。著者の今後に期待したい。

  • なんで文芸評論家が、政治を語るのかと思ってたんだが、そうか、文学は思想そのもの。日本文学を評論すること自体が思想、政治理念につながるわけだ。

    常々考えている、そもそも日本とは何か、どこへ向かうべきかをきちんと考えられていない状況を語る。
    アカデミズムとマスコミを左巻きに席巻されている状況では、「日本」は喪われる他ない。

    そこから、取り戻して行くしかない。

    その一歩を踏み出されるようだが、果たして。

    それにしても、正仮名遣いは思ったより読みづらくはなかったのだが、対談に使われるのは正直きつい。

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著者プロフィール

文藝評論家。一般社団法人日本平和学研究所理事長。昭和42年生まれ。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修了。専攻は音楽美学。論壇を代表するオピニオンリーダーの一人としてフジサンケイグループ主催第十八回正論新風賞受賞。アパグループ第一回日本再興大賞特別賞受賞。専門の音楽をテーマとした著作は本作が初となる。
著書に『約束の日 安倍晋三試論』『小林秀雄の後の二十一章』『戦争の昭和史』『平成記』ほか多数。

「2019年 『フルトヴェングラーとカラヤン クラシック音楽に未来はあるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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