許されざる者 上

著者 :
  • 毎日新聞社
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本棚登録 : 89
感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620107356

作品紹介・あらすじ

日露戦争前夜、紀州・熊野に帰ってきたひとりの男-ドクトル槇。新しい思想、動き出すまち、秘められた愛…。激動の明治末、自由を求める人びとの闘いがいま始まる。

感想・レビュー・書評

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  • 日露戦争を背景とした和歌山の森宮市の人々の話。日露戦争前後の日本を知る意味では面白かったが、誰が「許されざる」なのかはよく分からなかった。

  • 『許されざる者』
    辻原登

    クマは隈、世界の涯、あるいは陰の意か。吉野は美し野。この吉野からみて、ここはそういう位置にあたる。(p9)

    ★舞台説明。世界の果ての物語ということか。

    「キリスト教って、木が一本もないさばくから生まれたんやないの? やすらぐもんが何もあらへん。そやから、もう上しかみるとことがない。上にあるのは空や。美しいのは砂漠の星空や。そしたらそこにたったひとりの神さまがおらはった。わたしは違うし。わたしのまわりには水や木、草や花や虫がいっぱいおってなし。………」(p85)

    ★多神教と一神教。この違いはこういうことだろう。

    永野夫人が、はじめて夫への隠しごとを意識した瞬間だった。奇妙なのは、それが、彼女に、予期したような罪悪感を生じさせなかったことだ。むしろ、小さなよろこびのようなものがこみ上げるのを覚えたとき、これこそが彼女を驚かせた。(p235)

    ★非常に面白い。『ボヴァリー夫人』を思い出した。

    文章というのはすばらしい。だが、兵隊にとられるということは文章の外の現実である。(p327)

    ★正に。そして我々は現実に住んでいる。
    「最後にたずねる。思い姫はおられるか? おられるなら、その名を挙げられよ。その方の名に賭けて戦うのが騎兵の本懐!」
    (p81)

    ★この場面は『ドン・キホーテ』のモチーフをつかっている………だろうか。

    ……どんな善良な人でも、心の中で起きていることには悪がまざっている。(p121)

    ★「まざっている」というのがポイントだろう。それは本人さえも気づいていない。

    「何もかも……」
    と口ごもる。夫人はさらに顔を近づけた。
    「……何もかも許す」
     夫人は耳を疑って、夫の顔をみつめた。
    さ迷っている視線が妻の目を探し当てる。二、三度、力なくうなずくと、
    「子供がいたら、よかったな……」
    (p194)

    ★文章の中で時間が動いている。そう読ませる。

    「……コドモが……」(p218)

    ★昏倒しながらもまだ思い続けている。それは夫人への思いの強さだろう。もしくは変えられない過去への呪詛か。

    ——人形の動作は、はじめはぎこちなくみえていても、太夫の語りと三味線の音色が作りだすリズムによって、生命が吹き込まれ、型にのっとって動いているにもかかわらず、ある種の存在感を獲得しはじめる。
     私たちは、それに気づくとともに、いっそう人形の所作やふるまいが予見しやすくなり、まるで我々自身の手で、人形をあやつっているかのような気持ちになる。(p352)

    ★非常に面白い文章。

    「千春ちゃん、さようなら。いつかまた……、どこかで、会えれば……」(p408)

    ★きっと、また会える。とはこの本の一つのテーマだろう。

  • -2013/05/23
    駅前

  • 93ページ
     殉死した永野忠博の兄
      ◆殉死した→×
        ※[殉死」は「主君の死後、臣下があとを追って自殺すること」(明鏡国語辞典)。八甲田山での雪中行軍で凍死したのだが、これを殉死とは言わないだろう

  • 日露戦争のころの話。特に滅茶苦茶面白くはないけど、一気読みしてしまった。下巻もすぐ読みます。

  • 日露戦争前夜の明治三十六年(1903)三月、紀伊半島の南に位置する森宮の港にひとりの男が帰ってくる。男の名前は槇隆光。元森宮藩藩医の四男でアメリカで学位を取得後カナダで診療経験を積み、帰朝後森宮で開業していた。貧しい者からは金を取らず、金持ちからは高額の治療費を取る、毒取ル先生と呼ばれていた。そのドクトルが再び海を渡ってインドはボンベイ大学で脚気を研究し、その成果を引っさげての三年ぶりの帰郷である。町は沸き立っていた。

    同じ頃、元森宮藩主の長男永野忠庸少佐は八甲田山雪中行軍で遭難死した弟の救出に向かい、その計画の杜撰さを指摘したことで軍から譴責を受け、妻を伴って帰郷していた。物語は、槇と永野夫人の許されざる恋愛を核に、槇の姪、西千春をめぐる甥の若林勉ほか若者たちの競争をからませながら、日露戦争を背景に、開戦論者と幸徳秋水たち非戦論者の闘いを描く一大ロマンスである。

    インドから持ち帰ったトンガと呼ばれる二輪馬車を駆って森宮の町を疾駆するドクトル槇の颯爽とした姿は、いかにも大衆好みの設定だが、実は槇にはモデルがいる。佐藤春夫や与謝野鉄幹が、その早すぎる死を悼んだ新宮の医師大石誠之助その人である。差別された人々にも進んで施療し「毒取ル」と呼ばれ、太平洋食堂を開業し、洋食の普及に努めるなど、開明的な活動家であったが、幸徳秋水との関係が災いし逮捕され死刑となる。

    作家はこの郷土が生んだ傑物の復権を試みたのだろう。脚気の特効薬ベリベリ丸を大陸に持ち込み、脚気に悩む将兵を治療したり、元藩主筋に当たる永野の妻と愛し合わせたり、と大石にはできなかっただろう縦横無尽の活躍ぶりである。モデルといえば、勉や千春には文化学院を開設した西村伊作の風貌が垣間見えるし、千春の結婚相手である上林青年は阪急鉄道や宝塚歌劇団の創始者小林一三翁の若き日の姿が重なる。シルクロードの探検隊を組織し帰りの船で槇と出会う谷晃之は真宗大谷派の宗主大谷光瑞。石光真清や森鴎外、田村花袋、頭山満、ジャック・ロンドンという錚々たる顔ぶれは本人の名前で登場する。

    ロマンスといえば、本来中世騎士物語のことだが、槇と永野が夫人の愛を争う三角関係は円卓の騎士ランスロットがアーサー王の妻、グィネビアと愛を通じ合う有名な物語を思い出させる。ホイッスルという愛馬を駆る槇の姿は囚われの王妃を救い出そうとする騎士を髣髴させるし、思い姫を故国に置いて北の戦場に赴く槇の姿は遍歴の騎士そのものであろう。

    階級差というものがはっきりしない現代日本においてロマンスを描こうというのはかなり難しいことにちがいない。その点、まだ旧藩主というものが存在し、同時に西洋の後を一生懸命追いかけていた明治時代なら華麗なロマンスが描けるだろう。時計のネジ巻き屋やガス燈の点燈夫といった職業もこの時代ならでは。アンナという名の入ったロールネットのような小物を使って、トルストイやチェーホフの名作を持ち出したりできるのも共通する時代背景があってこそ。

    さらには、日本陸軍が脚気黴菌説を墨守し、白米食にこだわり脚気による大量の戦病死者を出したという軍事上の事実を重要なエピソードとして持ち込むことで、コッホの説を疑わず、麦飯・パンを食べれば脚気が治るなどというのは非科学的な妄説とした軍医総監森鴎外に脚気の特効薬を開発したドクトル槇を対峙させるなど、辻原登ならではの小説的詐術が愉快である。

    同時代の日本を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』を意識したにちがいない設定には、同じ小説家として国民的人気作家に対する挑戦が感じられる。テロルなきアナーキズムやレーニン以前のマルクシズムを奉じる槇のイデオロギーは、その言葉から伝わりはするが、大仏教教団の宗主で爵位を持つ谷と友人付き合いしたり、侠客といえば聞こえがいいが、自分に気がある女親分の力を借りたりと、実際の行動には権力や暴力という力の行使に無思慮に過ぎる気もする。まあ、そこはロマンス、あまり堅苦しく考えるのも野暮だろう。新聞連載小説らしく、誰にでも読みやすく書かれている。暑気払いにはうってつけの痛快巨編である。

  • 惚れました。

  • 和歌山、新宮などを舞台とした作品です。

  • 感想は下巻にて。

  • これはおもしろい!!

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著者プロフィール

辻原登
一九四五年(昭和二〇)和歌山県生まれ。九〇年『村の名前』で第一〇三回芥川賞受賞。九九年『翔べ麒麟』で第五〇回読売文学賞、二〇〇〇年『遊動亭円木』で第三六回谷崎潤一郎賞、〇五年『枯葉の中の青い炎』で第三一回川端康成文学賞、〇六年『花はさくら木』で第三三回大佛次郎賞を受賞。その他の作品に『円朝芝居噺 夫婦幽霊』『闇の奥』『冬の旅』『籠の鸚鵡』『不意撃ち』などがある。

「2023年 『卍どもえ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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