- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620108568
作品紹介・あらすじ
戦死した天才駒師がのこした〈幻の駒〉はどこへ? 将棋の駒に命をかけた若者・玄火が遺した傑作〈無月〉を追う青年の旅。心震える希望と再生の物語。
感想・レビュー・書評
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吹けば飛ぶような、将棋の駒に命を懸けた二人の若者の短すぎた青春を悼む鎮魂曲。一人は棋士を、もう一人は将棋の駒を作る駒師を目指していた。行く道も、時代も異なる二人をつなぐのが将棋の駒だ。鎮魂曲に喩えたが、哀切極まりない曲調ではない。主人公の人柄の良さもあり、人が人を呼び、人と人とのつながりが輪となって大きなうねりを描いてゆく。読後、しみじみよかったなあ、と思わせてくれる、近頃珍しいとても後味のいい小説である。
棋士がタイトル戦に用いるような駒ともなると、なかなか吹けば飛ぶようなものではない。駒の木地となる黄楊は、伊豆の御蔵島産の「島黄楊」と鹿児島産の「薩摩黄楊」が人気を二分する。木の採り方によって虎斑が入ったり、柾目になったりするが、根に近い部分の木地に出る柄は「虎杢」と呼ばれ、とりわけ珍重される。これに印刀で字を彫り、漆を塗る。その彫りと漆の塗り方にも「彫り駒」「彫り埋め駒」「盛り上げ駒」と三種あり「盛り上げ駒」をもって最上とする。
こう書くと、いかにも将棋の駒に詳しいみたいだが、全部この本で知ったことだ。この小説の主題は将棋で、その由来についてもちゃんと書かれている。中でも「駒」に彫られた「書体」が眼目だ。四大書体と呼ばれる「錦旗」「菱湖」「水無瀬」「源兵衛清安」をはじめ様々な書体がある。表題にある「無月(むげつ)」もまた、ある書体の銘である。ところが、それがどんなものかを知ることはできない。見たことのある者の目には、何か霊力でもあるかのように光を放っていたというのだが。
幻の駒の謎を追う探索行を描いた一種のミステリと言えるかもしれない。探偵役を務めるのは、小磯竜介という、もうすぐ五十歳になろうかという中堅会社員。今は将棋に何の関心も示さないが、かつては奨励会で三段まで行ったこともある。残念ながら「満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる」という年齢制限にひっかかり、プロ棋士への夢を断たれた過去を持つ。
奨励会の年齢制限で挫折し、実人生に戻り損ねた男の話はよく聞く。竜介はウェブ・デザイン関係の会社への就職がすぐに決まり、会社の人間関係がよかったのも幸いし、順調に社会生活に順応していった。しかし、内向的な性格の竜介が珍しく積極的に攻めに出たことがある。奨励会を退会するにあたって師匠に挨拶に行ったとき、「惜しかったな」という言葉と共に餞別としてもらった一組の将棋の駒がすべての発端だった。
就職前の気分転換に信州上田に帰郷した竜介は、応援してくれていた長塚と将棋を指した。そのときに持参した、師匠にもらった駒を誉められ、駒に関する蘊蓄を聞きながら、長塚所有の駒の数々を手にとって眺める機会を得た。それが、勝敗にしか興味がなく、将棋の駒について無関心だった竜介が、駒に魅かれるようになったきっかけだ。長塚は言った。「竜ちゃんは駒が好きなはずだよ。そういう血を引いているんだから」と。
実は、竜介には駒師をしていた大叔父がいた。祖父の弟で他家に養子に行った関岳史だ。終戦の年に外地で戦死しており、竜介が知らなくて当然だ。当時三歳だった父も詳しいことは覚えていない。俄然興味がわいた竜介は、大叔父について調べ始める。伝手を頼り、彼の昔を知る友人、知人を訪ね歩いては、大叔父がどんな人間だったか、彼が彫った駒について何か手がかりがないかを聞いて回る、つまりは探索行である。
人柄がものを言うのか、手がかりの糸が途切れそうになると、どこからともなく次の人が現れては、大叔父の過去を語る。老人の昔話を聞き取るうち、戦時中の人々が嘗めた苦労が尋常ではなかったことが分かってくる。過去は過去としてその後の人生を坦々と生きてきた人もいれば、過去の桎梏から逃れられず、世を拗ねた偏屈な老人になってしまった人物もいる。しかし、そんな偏屈な老人も竜介と将棋を指すうちに、過去の屈託から逃れ、元来の人の好さを取り戻してゆく。
真面目で成績がよく、書も堪能だった岳史は、一人で文学書を読むのが好きな質で友だちは少なかった。ふとした過ちがもとで退学となり、追われるように上田を出た岳史は工場に勤めたが肺を病んだ。その結果、徴兵検査は丙種合格となる。その後、東京に出て駒師の修業を積み、ようやくこれからというところで召集される。そのまま、応召先のシンガポールで戦死し、二度と国に帰ることはなかった。竜介は、そんな大叔父が可哀そうでならない。
しかし、唯一の友人だった同級生が語るのは、いつか今までにない書体で駒を彫る。その書体の銘は「無月」、自分の銘は「玄火」だと決めていたという関の自信に満ちた言葉だ。また、駒師時代の兄弟子だった老人は、「玄火」は既に「無月」の銘を持つ書体の駒を完成していたと語る。素晴らしい出来映えだったが、出征前夜、関がそれまで作った駒を燃やすのを彼は目にする。無事帰国すればまた精進することができる。それがかなわなければ、習作は余人に見られたくないという自信の現れだった。
その後「無月」の駒がシンガポールに残されているかもしれないという話を聞き、竜介は海を渡る。不思議な縁で「無月」の駒は人から人へとめぐりめぐって、様々な人々と竜介との出会いを仲介する。将棋から目を逸らしていた時期、竜介の心の内奥には挫折感から来る鬱屈が残っていた。それが「無月」の駒を探す旅で人と出会い、出征兵士の気持ちに触れたり、かつての敵国人同士、英語で話し合ったりするうちに、いつの間にか、心の中にあったしこりがほぐれていった。竜介は師匠の思い出の残る駒を盤上に並べながら、来し方を振り返り、行末を思う。
「無月」というのは「曇ったり、雨が降ったりしていて月が見えないこと」をいう。特に中秋の名月に使われる。そこにあって当然と考えられるものが無いことからくる、ちょっとひねった感じが俳味となり、秋の季語になっている。主人公は、見えない月を追いかけた。それは将棋の駒であり、竜介の奨励会時代であり、岳史の短い人生でもある。一度はその目でたしかに目にしたが、今はもう見ることはない。しかし、そこにあることは知っている。見えてはいないが、それはそこにある。自分はそれを知っている。それでいいではないか。「無月」、なかなか含蓄のある言葉だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
将棋に打ち込み、奨励会三段まで進んだものの、年齢制限までにプロになることが叶わなかった青年が、若くして戦死した大叔父が将棋の駒職人だったことを知り、その遺品となる幻の駒を追い求めて旅する長編小説。
著者の小説を初めて読んだ。もっと難しい純文学を書く作家だと思っていたら、意外にもわかりやすい。が、エンターテインメントとしては、展開が持たつき過ぎていて、正直長かった。
主人公が50歳近くなってから、20代半ばの思い出を回想するという入れ子の構成もあまり必要性が感じられなかったが、著者は本当に将棋が好きで、特に藤井聡太八冠への感銘が大きいんだろうな、ということは伝わってきた。 -
奨励会に在籍していたもののプロ棋士になれなかった小磯竜介男性が、ふとしたとから太平洋戦争で戦死した大叔父が将棋の駒を作る職人だったことを知り、彼のことを調べ始める。そのなかで、大叔父が独自に書体を編み出し創り上げた幻の駒があることを知り、探索は海を渡りシンガポール、マレーシア、アメリカへと舞台が広がる。
将棋に関しては全くの無知で、ニュースで藤井聡太さんや羽生善治さんの活躍をすごいなーと思う程度。親族には鼻つまみ者だった大叔父の隠された真実、人生を追うミステリー的な要素に興味を持って読み始めた。
正直、将棋に関しての部分はちんぷんかんぷんで、流し読みになってしまったところが多いのだが、知られざる世界を知る楽しみもあった。
小磯によって少しずつ明かされていく大叔父の真実にページを繰る手が止まらなかった。
シンガポールでは先の大戦で日本軍が現地の人々にした仕打ちにもさらりと触れられており、このような事実は決して忘れてはならないと思った。
小磯の大叔父もシンガポールで戦死しているが、遺骨は見つかっていない。
現地で暮らす勝又が語る思いに深く共感した。
『あの戦争が本当に「義」のある戦争だったのかどうか、ぼくにはよくわからないけれど、しかしともかくあの当時、戦争にとられた若者たちは、少なくともその大部分は政府の鼓吹する大義を信じ命を賭けて戦った。その結果がどうであれ、彼らの死を無駄死とは決して思いたくない。そんなふうに片付けられたら、あまりに可哀そうだ。彼ら一人一人の死のおかげで、ぼくらの今この生活が可能になっている、彼らの死という礎石のうえに、僕らの生活が築かれていると思う』
わたし自身近年父を亡くし、父の人生って何だったんだろうと考えることが多かった。父の努力、悲しみ、嬉しさ、様々な行為や想いは、決して消滅していないし、この世界の、少なくともわたしたち家族の生きる基盤となっている。わたしの知らないご先祖、血縁のある人々が懸命に「生きた」ことが、わたしたちが今、無事に暮らせている礎石になっているんだと、思いを強くした。 -
かつてプロ棋士を目指すも、26歳までにプロデビューできず奨励会を退会、棋士になる夢を諦めデザイン会社に就職した小磯竜介。ふとしたことで何十年も前に戦死した大叔父が駒師であったことを知り、彼が残した幻の駒(玄火作・無月書)を探し出すために、アジアからニューヨークまで旅をすることになり…。
将棋の世界については『3月のライオン』で知れる程度の知識しかないまま読み始めたけれど、むしろそれで充分だった。主人公が将棋の世界で上り詰める話ではなく、若くして戦死した会ったこともない大叔父の人生を追跡する物語となっており、一種のロードノベルとして読める。
親戚の間でもタブーとなっていた大叔父の話、彼が犯した若き日の過ち。しかしそこから立ち直り、やがて駒師としての修業を積み、生き生きとした青春を送るようになるまで、現代を生きる主人公は、大叔父と同世代の彼を知る老人たちとの対話・交流を通して追体験していく。この老人たちが皆魅力的でとても良い。
やがて主人公は、手がかりを掴み、大叔父が戦死したフィリピンへむかう。そこからは、手がかりを掴むたびに「実は駒はすでに〇〇に…」の繰り返しで、どんどん遠くに連れていかれる。そしてついにその駒をみつけだしたとき、竜介のくだした決断は…。
人生で、何を残せるかについての物語だったように感じた。無名のまま戦地で亡くなり遺骨すら戻らなかった若者に、確かに青春や恋があり、彼が残した駒は現代を生きる人々に受け継がれていた。確かに彼は生きていた。その事実が、挫折を抱えた主人公のことも救う。松浦寿輝らしからぬ(?)意外なまでにストレートな感動作でした。 -
年齢制限により奨励会を退会し、プロ棋士への夢を絶たれた竜介。将棋から見放され失意のどん底にあった彼は、祖父の将棋仲間から戦死した大叔父・岳史が駒師だったことを聞かされる。
大叔父のことをもっと知りたい。そんな思いから竜介は岳史に縁のあった人に話を聞いていく。少しずつ明らかになる岳史の人となり。そして、彼が出征間際に新たな字体”無月“の駒をたった一組完成させていたことを知る。岳史が御守りとして戦地へ持って行ったという傑作はどこへ行ったのか?
人の縁に導かれ日本、シンガポール、マレーシア、そしてニューヨークはブルックリンまで、竜介の旅が始まる。
面白かった。
何より文体が好みに合うのか、文章がすんなりと入ってきて胸に心地いい。岳史のことを知りたいと初めた聞き取りがいつしか幻の駒を探す旅となり、切れたと思えばまた繋がる細い糸のような人の縁を辿っていく過程にどんどん引き込まれていく。
後半の旅のくだりはさながら紀行文のようで、この作品の大きな魅力となっている。引っ込み思案で消極的だった竜介が出たとこ勝負な旅を通じて、自分には実は積極的で大らかな一面があったのだと気づく。駒探しの旅が自分探しの旅となる終盤は希望に満ちて清々しい。
そして彼がブルックリンで下した決断。
泣けました。
田能村さん、安井さん、植島さん、チャンさんなど竜介が会った人たちが皆素敵で、一人の人間の生を通じて広がっていく人との縁というものをしみじみと感じました。
清々しく、多幸感に溢れた読後。
私の今年の一番です。 -
将棋のことなど全く知識はないがとても面白く読んだ。勢い、流れに乗ってシンガポール、マレーシアからニューヨークへ渡航するところはわくわくした。大叔父のことを知りたいとかつて関わりのあった人を訪ねる箇所でどんどん明かされる大叔父の生き様が心を打たれる。本当にこういう人がいたからこそ今概ね安穏とした世の中になっているんだなと思う。
英語がそんなに得意でないといいながらもまぁまぁな英会話で切り抜けていくところがちょっとかっこよすぎるではないか(笑) -
青年の挫折からスタートした物語は、やがて将棋の駒の行方を追う探求の旅となって、シンガポールからマレーシア、そしてニューヨークへと経巡りながら、その道行に同行しているかのような錯覚を読者に起こさせる。
小説家のいうものは、いかに「上手に物語るか」ということにすばらしく長けた人たちなのである、ということをあらためて実感させられた。 -
2023.4 かなり硬派な文体だなと思っていたら、作家の略歴見てなるほどな、と理解。いい小説でした。
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OPACへのリンク:https://op.lib.kobe-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2002313208【推薦コメント:将棋棋士を目指しながら夢破れたという設定の主人公。今将棋がブームになっているので厳しい将棋の世界のことも、将棋の魅力も伝わるだろう。】
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戦死した大叔父が将棋の駒を作る駒師だったという設定で,大叔父の足跡を辿り,存在するかもしれれない駒を求めて旅をする.
この作家の方,昔は難しい小説を書いていなかったかしら.
この小説は新聞連載小説らしく無駄な文章もあるけれど読みやすいエンタメ系小説.