安達とう子の花一路

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  • 毎日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620314266

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  • 安達瞳子(1936年- 2006年69歳で死去)の自伝的な本『花一路』を取り寄せて読んだ。
    池坊から独立した安達式挿花流の安達潮花の娘で、溺愛された。ところが、1968年31歳の時、家をでる。まるでイプセンの『人形の家』のような物語である。安達潮花は、ツバキの花を大切にしていた。ところが、安達瞳子は桜を生けたいと言って、父親の家から飛び出るのだ。ツバキからサクラへ。なぜその道を選んだのか。安達潮花は1969年に死去。兄が、継承し2代目潮花となる。安達瞳子は、1973年に花芸安達流を創設した。1981年、2代目潮花の死を機会に、安達式挿花を統合した。大まかな概略である。
    本書で「31歳で父に抵抗して家出、独立した瞳子は20代を振り返って、父に素直だったのが26歳ぐらいまで。父に疑問を感じ始めたのが、27~28歳ぐらいから。独立を決意したのが、29~30歳ぐらいという。父への疑問は、技地獄:技巧した花の活け方と同時に花とはなんであるのかという疑問と重なっていた」安達瞳子は「父から習うことがなくなったわけではないが、このまま側にいたら自分は前に向かっていけないのではないか」父親よりも師匠としてみていたが、師匠が進歩しなくなった、そして高め合うものができなかったことから、父親の元を自分の意思で離れた。
    勅使河原蒼風と霞の関係の親子の断絶とはかなり違っている。安達瞳子は一生独身だった。花芸と結婚したのだ。
    安達瞳子は、父親潮花3つの功績①植物の生態、形態に立脚した5つの基本花型②日本の伝統的、静止的な花の世界から脱却、自然の中の動きを原型とした「動の世界」の創造③花道の教授法の改革、一斉教授法であるという。そして父親から学んだは、「これから花を切るときは、一生ごめんなさいと言いなさい」「花は足で生ける」「芸術論だけはブツな」ということだった。「思いやり、謙虚さなど、いずれも父は人の生きる姿の美しさのことを言っていた。愛するということは、責任を伴うことなんだ。木の骨格、本質を見つめる姿勢を失ってはいけない」と安達瞳子は回顧する。
    安達式挿花は「逆不等辺三角形」である。なぜその形であるか?と遠藤周作に質問されても答えることができなかったことが、原点となり、花とは何かを問い続ける。
    京都の秋篠寺「伎芸天」を安達瞳子は見て、「天女がゆらりと左肩が傾いていた。
    花もまっすぐ立てた花は、いささか威張って冷たく見えるが、傾いた花は正面から見ると優しさを感じる。優しい自然体。そんな風に生きていきたい」とおも宇野だった。
    そして、吉野の桜を見て、「下から谷風で舞がる花吹雪。そしてヤマザクラがあんなに折れ、傷ついても、おしまいじゃない。ちゃんとバランスを立て直していきている。失敗してもいいんだ」と納得して、サクラをいけるようになるのだった。
    安達瞳子は、自然と人間の新たな共存の道を探した。道とは、自然の中を貫いている誰もがおかせない筋道。西洋の人間中心に自然を支配して文明を築くと言う考え方とは、対極的に自然と融合しながら、生活や文化を築いてきた日本人の自然中心の伝統、生活や自然観に、人間が貼ってしながら共存するのかを問い続ける。つまり、花に人間の歌を歌わせるのではなく、花と一体となって花に花の歌を歌わせることだという。
    花をいけるということが、実に思想のレベルまで追い込んでいることに、安達瞳子のすごさがあるのだ。ふーむ。いいねぇ。

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