引き算の美学 もの言わぬ国の文化力

著者 :
  • 毎日新聞社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620321103

作品紹介・あらすじ

引き算、省略、その果てに生まれる余白の力。東日本大震災復興からも証明された「日本人の美徳」について、渾身の書き下ろし。

感想・レビュー・書評

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  • 【本からの抜粋】
     気候が育んだ文化と美意識
      冷房が登場する前、逃れようのない蒸し暑さと折り合いをつける
      ために、五感のすべてを使って涼を見出し、趣向を凝らしてきた。
      単に涼しくするだけでなく、そこに「美」を持ちこんだところに、
      日本人の徹底した美意識がある。冷房や扇風機など文明の利器
      による涼しさはひたすら受け身だが、季語の「涼」とは、風雅を解
      する心が生むものなのかもしれない。
      
      歌舞伎座のロビーの隅の花氷   北河翠


     型と床運動
      外国人に「型」を理解してもらうのに、最も効果的だったのが、
      体操競技の床運動を例に挙げての説明だった。床運動には
      十二メートル四方の枠があり、その線からはみ出ると減点に
      なる。かといってそれを恐れて真ん中ばかり使っていても動きが
      小さくなり、ダイナミックで美しい演技はできない。枠ぎりぎりに
      演技をする。例えば対角線上にバック転をしてゆき、最後の後
      脚がぽとっとコーナーぎりぎりの内側に落ちた時の美しさは、
      枠があってこその緊張感とそれゆえの華やぎであり、枠がない
      状態でした時には、それほどの美しさは出ないだろう。選手たちは
      むしろ枠を利用してより美しい演技をしているのだ。

     型の自由
      茶道は型の集合である。道具はすべて置く場所が決まっていて、
      自分がやりやすいように勝手に動かしてはいけない。もちろん手順
      もすべて決まっている。初心者のうちはそれを不自由と感じるが、
      鍛錬を積んでいくと、やがて決められた型の中で茶を点てるのが
      最も動きやすく且つ美しいということに気づくという。

     余白を紡ぐ
      能、狂言、古武術、映画、舞踊、手仕事、生け花など、パリでは
      年間を通じてさまざまな日本文化が紹介されている。私などは
      日本にいる時よりも遥かに日本文化に接する機会が多かった
      ように思う。そんな中であらためて見えてきたのが、「余白美」
      である。「私は花を生ける時に、花はみていません」。パリで
      出会ったある華道家の言葉である。むしろ花を生けることによって
      生まれる空間の方を見ているのだろう。余白の方が主役で、花は
      そのための手段のようにさえ見える。料理人の神田裕行氏は、
      日本料理は味のアピールを五分で止めると言う。では後の五分は
      どうするのか。「それは食べる人が探ってください」と言うのだ。
      余白に控えているもっと奥深くに隠された味は、食する側が手探り
      寄せていくものなのだろう。能を観る時、静かな動きのその余白に、
      鑑賞者がそこには見えないものを観、味わうのと同じだ。

     負の美学
      アナログ的に移ろう日本の四季は、移ろいゆくものへの愛着の
      他に、不揃いなもの、完全でないもの、不規則なものへの感銘と
      美学を育んだ。ややに欠けた月、いびつな茶碗、古びた庵、
      散った花弁・・・・。完全でないものは常に余白を孕み、余白は
      声にならない声、形にならない形を抱えて無限の可能性を
      孕んでいるのである。(中略) 「片」がつく美しい言葉が多いのも、
      満たないもの、未完成なものへの憧れなのかもしれない。この
      独特の美意識は今も脈々と日本文化に息づいている。

     写生について
      俳句では、一枚の鱗を活写することで、魚の動き、精神のきらめき
      にまで到達することができる。俳句とは断片でありかつすべてである。

     老いの句
      俳句には、負を正に転ずる向日性がある。「言いおおさない」から
      こその転換である。「言いおさない」とは、何かに委ねることであり、
      何かとは、自然あるいは自然に宿る神々である。”委ねる”とは、
      共有することであり、信じることでもある。委ねた後には、自ずと
      安寧が訪れる。私たちが日々のくらしの中で季節の挨拶を交わし、
      着物や料理に季節を映し、深呼吸をするように、日常の折々で
      俳句を詠むのは、自然に対する挨拶である。自然という大なる
      存在に身を任せ、脱力してゆくことで、やがて一筋の光が差す。
      短い言葉で言い切ることと自然を詠むことは、”委ねる”ということで
      つながっている。そしてその”委ねる”という行為こそが、日本人の
      美徳の源にある。

    【読後感想】
      何と面白く、読みやすく、かつ、学びの多い本なのだろう。
      あっと言う間に読み終えてしまった。
      一番の感想は、自分と言う人間が日本という国土世間の中で、
      自分が思っていた以上にしっかりとf深く育まれてきたんだな、
      ということを実感したことだ。
     

      
       

  • とても興味深い話題。

    俳句の世界、日本の文化、日本の美徳、
    フランスでの俳句、国際化、様々な事柄から綴られた俳人である著者の言葉の重さ。

  • 俳人である著者が俳句を通じて日本の文化を論じる。五・七・五のわずか17音節の「型」の中で、読み手の経験や想像を呼び起こし、意味を何重にも膨らませていく俳句。省略、余白に価値を見出す日本の文化の特異性、大切さを改めて感じさせてくれる一冊。フランスでの経験を通して俳句の国際性とその課題を論じたページも興味深い。

  • たった17文字で色々な気持ちや自然の移ろいを表現する俳句の素晴らしさを紹介している.フランスとの関わりあいも難しい問題を持ちながら,進めている姿勢は評価できると思う.

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著者プロフィール

俳人。神奈川県生まれ。1994年、「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞。2002年、句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞。2010年4月より1年間文化庁「文化交流使」として欧州で活動。スペインサンティアゴ巡礼道、韓国プサン~ソウル、四国遍路など踏破。2021年より京都×俳句プロジェクト「世界オンライン句会」を主宰。著書に、句集『B面の夏』『忘れ貝』『てっぺんの星』、紀行集『奇跡の四国遍路』、随筆『暮らしの中の二十四節気』など多数。

「2022年 『句集 北落師門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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