ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで

  • 毎日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620324418

感想・レビュー・書評

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  • 磯部さんの、コリアン・インヴェイジョンは続いているが日本は(KOHHの)後続が続くのか?という問いかけはSKY-HIさんがラジオで仰っていたKPOPアイドルにおいては本質について語る人達が継続的に現れているけれど日本ではなぜそうならないのかって疑問と共通する部分があるように思った!
    『BTSを読む』においてもBTSがアメリカで従来のKPOPの枠に収まらない成功を成し遂げたのは「ホンモノ」であること、オーセンティシティを求める価値観に応えられるグループであったことがその理由の一つとして上げられていたのも思い出した。
    ところで、ここでのコリアン・インヴェイジョンはアメリカでの現象を指しているように思われたけれどそのムーブメントへのバックラッシュは、両地域の歴史観や戦争認識からか日本の方が苛烈なように現時点では思える。

  •  昔、「ヒップホップのライターを募集しています!」という求人があった。そこに注意書きとしてあったのは「ただし、日本語ラップに関する記事は募集しておりません」だった。
     その理由として、いくつかあげられる。
     その1。日本語ラップが記事になるというのは、とてもレアなことで、ちょっと記事に書けば、それは日本中のラッパーたちが目にすることになる。まるで文芸同人誌評のようなものである。なので、何か書けばトラブルのもとになる。なので募集しない。
     その2。日本語ラップはフリースタイルダンジョンの登場まで、「キャリアアップの形」が明確ではなかった。環ROYの言うように、クレバ以外頼れる先輩なんかいないのである。UMBで優勝しても、それで食っていけるわけではない。UMBの重要な点は、FORKやカルデラから鎮座から全員、ことごとく優勝したのが、ヤンキーではないということだ。悪い・ヤバい・アメリカの輸入だけで勝てるもんではなく、日本語の技術と勝つ方法やスタイルの模索がないといけない、ということをラップの世界に定着させたものと思う。そして「日本語ラップで食っていく」はバカにするために使われるものだった。日本語ラップを記事にしても、「その先」がないので、一般人の読者を増やせないから募集しない。
     その3。それは、この対談を読むとわかる。

     話題の中心は、ラップの政治性についてである。要するに、「ラッパーにリベラルなことをラップしてほしいけれども、そううまくはいかないよね」ということを語り合っている座談会だ。ただ、座談会メンバーのなかには、極端なリベラルや優等生リベラルにうんざりしている人もいるので、バランスはとれていると思う。
     ここには、血眼になって追いかけたチプルソや呂布カルマやR指定らフリースタイルバトルの影響の大きさはほとんど語られていない。b-boy parkのバトル動画のダイジェスト版を暗記するほど聴いて、何とかしてバトルの情報を得ようとしていた。そういったあの頃とは明らかに違う次元の世界を語っている。 
     磯部氏は【アメリカの分断が深まる中、大文字の政治という意味では、ラップは「いま」を映さなくなってきたとも言えるのではないか】と述べている。そして、大和田氏は【オクスフォード辞典が今年を象徴する言葉として「ポスト・トゥルース」を選出した。事実よりも感情が優先される世界、つまり、結局のところ人は自分の見たいものしか見ない】ということを取り上げつつ、Lil Yachtyの影響が見られると思われるゆるふわギャングを褒めたりしている。

    (音楽はあんまり合わないけれど、キラーマイクはサンダース支持で、予備選後、ヒラリーは支持しなかったというのは、一貫していてよかった)

     磯部氏は【いずれにしても、「ラップはいまを映しているか」という問いを繰り返せば、わかりやすいアンチ・トランプではなくMigosのBad and Boujeeである】と述べている。そして、PVからメッセージ性を読み取ろうとしている。

     大和田氏が黒人音楽の歴史について述べているところが面白かった。【黒人音楽は、白人の求める黒人像を黒人自身が演じる虚構としての黒人文化がある。リベラルで親切な白人は、政治的な黒人音楽は評価するけれど、そうでなければ評価しない。音楽に「正しい・正しくない」を作り、リベラルな価値観をマイノリティのカルチャーに投影する。これは日本の多くの音楽評論家に共有されていた価値観である】とチクリとやっているのは良かった。
     それと、磯部氏の【日本の場合、メタの後にベタがきたわけです。ポリティカルラップのパロディをスチャダラパーがクラッカーMC'Sでやって、そのあとポリティカルラップが出始める】という、日本の逆転現象への指摘は面白かった。仏教を輸入したときに、聖徳太子の注釈と反論が最初の日本哲学となったように、輸入するとき、そのままコピーするのではなく、最初にメタをだして、そこからベタになっていく。そしてまたメタになることが日本語ラップでも起きていたということだ。
     それから磯部氏によるライムスターへの意見。【決めるのは君だというある意味どうとでもとれるような結論を聴き手に投げる】【ヘイト・デモだけでなく、それに対するカウンター行動まで否定する。アフター・トランプの世界で再生すると、なおさらぬるい曲に聴こえます】というのはなかなか厳しい。吉田氏は【ECDがポリティカルなラップをクラブのライブで歌うのはためらわれる】というのを言っている。むかし、WARAJIのライブでも、原発反対の人どんだけいるー!? みたいなのを言われて、観客は、大好きなWARAJIだから声を上げたいけれど、別に原発反対でも何でもないので「うおえいー」みたいな微妙な歓声になった。(そしてWARAJIは死ぬほどかっこいい)
     磯部氏はクレバのワンマンにも【政治について歌えとまではいわないけれど、恋愛とボースティングで、時事ネタとか危ういネタというラップミュージックの醍醐味がない】と指摘している。磯部氏にとっての結論は【そんな中、日本のラップ・ミュージックが延々とアメリカの影の下でこじらせているというのは面白いことですよね。日本のポピュラー・ミュージックの中で唯一語るに足ると言えるほどの複雑さを持っている、とさえ思います】と述べている。また、ドタマのフリースタイルについて【完全に落語ですよね】とも述べている。
     この本は、政治とヒップホップについて語り合った座談会なので、フリースタイルバトルは外されている。ただ、それが「いま」を映していないからだとしたら違うと思う。フリースタイルバトルは、「いま」を映しているし、もっと検討されていいと思う。この座談会にダースが参加していたらどうなっていただろうか。あと、磯部氏のクレバやライムスターへの意見は、正直信じられない。まるでサンデーモーニングの張本勲だ。「嘘と煩悩」は磯部氏のためにある。宇多丸と日本語ラップの起源についての言及部分は良かったけれど、要するに「俺が見たい日本語ラップの歴史しか見ない」というポスト・トゥルースとして、また次の日本語ラップ史が書かれていくだけだ。
     記事の募集について、日本語ラップを取り扱わないとしていた最後その3の理由はこれである。つまり、日本語ラップ批評が全然少なくて(書籍となってばんばんでてない)、しかも碌な批評家もいなかった。日本語ラップを一番知っていて批評できるのは、みなプレイヤーばかりで、例えば歩道橋、もしくは現場にいたので、批評の積み重ねのなさが「断った理由」かもしれない。プレイヤーたちは、みな、政治がないだの、リベラルだのではなく、いかに良い曲を作るかに集中しており、求道者でストイックだ。アメリカの曲も普通に楽しんでいるしこじらせてないと思う。

  • アメリカのヒップホップと、その影響下にある日本のラップを系統立てて理解できた。対談形式なので読みやすい。

  • 文化とラップの関連性
    結局どれだけ頑張ってもトランプの当選を止めれなかったという指摘は面白い

  • ラップの流行の変遷とその時代状況についての対談。

  • 2021/12/22

    本来リリックの分からないものとして楽しむラップ・ミュージックが、英語に疎い日本ではむしろテキストに偏重する形となって受容されたのは面白い。

    ただ、頻出する固有名詞に馴染みがなく、ほぼ斜め読み。当たり前だけど、音楽評論を読むのは、そもそも論じられる音楽がわからないと少し厳しい。

  •  ヒップホップ好きとして大変遅ればせながら読んだ。3章構成になっており前半2章はUSのヒップホップ、後半1章は「日本語ラップ」に関する論考がふんだんに盛り込まれていて刺激的でオモシロかった。延々とヒップホップの話を横滑りしながら展開しているので、読んだあと誰かとヒップホップ、ラップの話をしたくなった。
     政治や社会との関係性がこれだけトピックになる音楽はヒップホップだけだろう。主体制の強い音楽で1人称で主張しやすいから90年代にポリティカル、コンシャスなヒップホップが流行ったと思ってたけど、政治・社会について歌うのが売れ線だったからという話は驚いた。要するに商業主義がポリティカルやコンシャスを駆動していたという視点。近年、音楽的な強度と政治や社会に関する強いメッセージを両立させた成功したのはKendrick Lamarであり、それが2010年代の1つの指標となったのは間違いないと思う。僕自身もKendrick Lamarは大好きだけど、ヒップホップにおいて彼だけを特別視してるメディアなどをみるとげんなりすることには共感した。多くのUSのヒップホップは基本享楽的なものだとしても、そこからでさえ政治性が滲み出てくる。それがヒップホップのオモシロいところだなと思うし本著でも言及されていた。
     日本のヒップホップにおける歴史的な成り立ちのところ、特に1998年頃の話がめちゃくちゃオモシロかった。いとうせいこう・近田春夫を祖とするか、もっとオーセンティシティを確保してきたB-FRESH、DJ KRUSH、クレイジーAなどを祖とするか、その歴史観形成にかなり積極的にコミットしてきた佐々木士郎(宇多丸)の話などは知らなかったことが多く勉強になった。日本のハードコアラップの右傾化の話も言及されており今では牧歌的とも思える。なぜなら現在はさらに荒廃しているから。例えば鬼のレイシズム丸出しっぷりやKダブのQアノンっぷりなど、右とか左とか関係ない差別的言動が目立っていて辛い。(一方でLEXのような若い世代が自分を正せる感覚を持っているのは希望の光。)
     人のことをどうこう言うときに自分の態度を棚にあげるのは批評の観点ではしょうがないのだけど、こういう雑談形式だとファクトよりもどう思っているのかを知りたいなと感じた。(実質は雑談みたいに書いているので厳密には雑談ではないとはいえ)こんなふうに無い物ねだりしたくなるくらいオモシロかったので、ヒップホップ論考したい人にオススメ。

  • 2021年8月7日読了。

  • しかし具体的に何を歌ってるのか聞きとれないのでねえ。

  • 《大和田 商業主義に乗った時点で基本的にはそれが大原則ですよね。アーティストのルックスだろうとサウンドの流行だろうと「売れる」ものが歴史を作る。ヒップホップの場合は、だから「政治」が売れる要素の一つとして歴史的に機能してきたということだと思います。》(p.99)

    《大和田 ただ重要なのは、そうした黒人コミュニティの基本的な特性があるとしても、アフリカ系アメリカ人は人口の約一二パーセントにすぎないんですよ。黒人コミュニティのカルチャーが本当の意味で国民文化として広がるには、白人社会に受け入れられる必要がある。そうすると、求められる黒人のイメージを黒人自身が演じるという側面が必ず出てくる。黒人と白人の間でステレオタイプの応酬があり、いわばその両者の間に、虚構としての「黒人文化」が立ち上がるのではないか、というのが僕自身の「黒人音楽」のイメージなんですね。》(p.103)

    《磯部 そういう意味では、近田春夫さんはさすがというか、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブの「The message」を受けて、ポリティカルなラップを作ろうとなった時に、その曲をクラブでやる際にまさに直面する問題として「風営法」を取り上げている(「Hoo! Ei! Hoo!」)。しかも、ストレートな反体制ではなくて、「ドアだけしめときゃバレないさ」というふうに遊び人のリアリズムを歌おうと。それが一九八六年ですから、相当、ヒネりが利いてますよね。スチャダラもそのセンスを受け継いでいるわけですが、九〇年代半ばになるとヒネっている場合じゃないだろう、という切実さが出てくる。》(p.161)

    《磯部 僕が考えるラップの政治性というのは、政治的なオピニオンを発信するというよりは、無意識的に政治を体現してしまうということなんです。むしろ、政治に抑圧された若者として、その身ぶり、口ぶりが政治性を孕んでしまうというのが醍醐味というか。だから、MSCの漢は選挙へは行っていないだろうけれど、非常にポリティカルなラッパーだと思うんですね。もし行っていたら申し訳ないんですが(笑)》(p.170)

    《大和田 アメリカはずっとアメリカの音楽しか聴かないし、アメリカの映画しか見ないですね。》(p.200)

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著者プロフィール

1970年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻後期博士課程修了。博士(文学)。慶應義塾大学法学部教授。
2011年、『アメリカ音楽史──ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(講談社選書メチエ、第33回サントリー学芸賞受賞)を刊行。編著に『ポップ・ミュージックを語る10の視点』(アルテスパブリッシング、2020)、共著に『文化系のためのヒップホップ入門』1~3(アルテスパブリッシング、2011~2019)、『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史』(花伝社、2019)、『村上春樹の100曲』(立東舎、2018)、『ラップは何を映しているのか』(毎日新聞出版、2017)など。

「2021年 『アメリカ音楽の新しい地図』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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