- Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
- / ISBN・EAN: 9784621050491
作品紹介・あらすじ
400年もの伝統を持つ日本の捕鯨船が再び海に帰れる日は、もう来ないのだろうか-。本書では、今や国際問題と化した「捕鯨」をめぐるドラスティックな展開を、現場での生の声を中心に、冷静で克明な取材によって明らかにしていく。ここでは、様々なデータや客観的見地から捕鯨の「正当性」を指摘していくと同時に、「捕鯨ニッポン」への集中的な非難のかげに見え隠れする「大国の横暴」や「日本たたき」といった点にも鋭く切り込んでいく。
感想・レビュー・書評
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日本で400年の歴史を誇る捕鯨に対する国際的な立場の違いを、主にIWC(国際捕鯨委員会)の動きに沿って1978年~1992年までの約15年ほどの歴史を追っている本書。
捕鯨への理解を深められる一方で、根拠なき多数決の有害性を思い知らされるかもしれない。とりわけ米国への不信感は少し高まってしまうかもしれない。
捕鯨国の代表格は、日本をはじめ、ノルウェー、アイスランド。
一方、反捕鯨の旗印を上げ続けているのは、アメリカ、イギリス。
捕鯨は、魚食国と肉食国の対立とも言える図式であるが、私にとっては、多数決という民主主義の代表格である制度に疑念をもつきっかけとなった。
アメリカは1776年誕生の歴史的には若い国。アメリカが生まれる前から続いている日本の文化に対してとやかくいわれることはけしからんと感じるのも否めないが、ぐっとこらえることにしたい。現実には、世界をリードする強国でもある。
アメリカが強硬に反捕鯨の立場を取る背景として、与党議員の立場を磐石にするねらいがあるとされる。アメリカでは会員数が多い団体は、そのまま政治利用されるケースが多い。つまり、選挙の際の「票」になる。
反捕鯨を盾に国内世論を煽り、票を獲得する。多数決を有利に進めるために必要なほうの立場を取り、「動物愛護」という都合の良いスローガンを掲げ保身に努める。
さらに驚いたのは、アメリカの場合、国内法が国際法に優先するという論理である。
自国第一主義を裏付ける根拠となっている。
たとえば卑近な例だが、子育てにたとえると「うちは、ベジタリアンなので、おたくでも肉は食べさせないでください。」こんな無茶苦茶な理論がまかり通ってしまうということである。アメリカという国のジャイアン性を感じる所以だ。
ただ、貿易摩擦が起こった際、中曽根政権が米国との関係悪化を懸念して捕鯨を断念したように国の行く末を左右する力を持った国であることには相違ない。
自己中心的な姿勢を優先し、多数決を是とすると、おのずと一見正しく見える論理をふりかざし、相手を打ち負かそうとするスタイルにつながりやすい。
無能な多数決に伍していくためには、どうすればいいのか。
敵側に理解者を作るべく、冷静に知的に行動していくしかないのかもしれない。
本書に一部紹介される日本人を蔑視する欧米の新聞記事などを見ると感情的になりたくもなるが、あくまで冷静に科学的根拠を伴って他国と向き合う方が長い目で見て得である。
ということも学ぶことができる。詳細をみるコメント0件をすべて表示