活版印刷の発明による印刷技術の発達は現在でも情報革命のベンチマークになっている。安価な印刷物の普及がもたらした知性、宗教、そして政治・経済的な大変化について述べた本の中では卓越した一冊。(『みんな集まれ!』クレイ・シャーキー著 脚注のp334より)
《まえがき》
本書は、読み書き能力の普及ならぬ印刷術が「学問世界内部の文書コミュニケーション」をいかに変えたかということに主眼点をおいている。p5
〘第1部 西洋における印刷分化の出現〙
《1. 認められざる革命》
《2. 最初の移行を定義する》
印刷術の出現以後、視覚補助がふえ、記号やシンボルが体系化された。また、さまざまな図像による非音声コミュニケーションが急速に進歩した。子供を指導する目的で印刷絵本が教育改革者によって新たに作りだされ、また児童教育者が絵画を以前にもまして役に立つ技芸と考えたという事実もまた「形象から文字へ」という単純な公式を超えて考える必要を示唆している。p43
《3. 印刷文化の特色》p47
・広範な普及ーアウトプットの増大とインプットの変容を吟味する
・標準化による影響を考える
・テクストおよび参考図書の再編集がもたらした効果ー合理化、体系化、資料の目録作成
・データ収集の新手法ー誤記された写本から改善された刊本へ
・印刷術の保存力に関する考察―定着と累積変化
・拡大と強化―定型と言語社会学的分化の存続
《4. 広がりゆく文芸共和国》
【読書大衆の勃興】
【新しい「文人」階級の勃興】
〘第2部 他の文化的展開との関わり〙
《5. 永遠のルネッサンス―古典復活の変質》
理論と実践、学者と職人の間の新しい結びつきを説明しようとするとき、印刷術の登場に少しでも触れる専門家はほとんどいないといってよい。しかしこの印刷術こそ、職人たちに書物を近づけ、学者には実践的な手引書を身近なものとし、芸術家や技術専門家に学術論文の発表を促し、教師の技術書翻訳に報いた発明だったのである。p146
《6. 西欧キリスト教世界の分裂―宗教改革の舞台の再設定》
教会が印刷機を熱狂的に受け入れたことには、相当な皮肉が含まれている。「平和な技術」であると四方に喧伝されたグーテンベルクの発明は、いわゆる「戦術」のいずれにもまして、キリスト教の平和を破壊し、宗教戦争を燃え上がらせることに手を貸したのである。その原因をたどると、教父たちの書いたものや聖書それ自体がもはや伝統的な方法では伝えられなくなったという事実に帰着する。
ヨーロッパのプロテスタントの国々では、印刷機の与えた衝撃は二つの正反対の方向に向かうものだった。一つは、寛容な「エラスムス派」の流れ及びそれが究極に到達した高度な批判精神と近代性であり、もう一つは、聖書の語句に忠実な根本主義(ファンダメンタリズム)とバイブル・ベルトをもって頂点に達したかたくなな教条主義である。p180
《7. 「自然という書物」の改訂―印刷と近代科学の興隆》
【コペルニクス革命の時代背景を見直す】
印刷術のお陰で天文学者は過去の記録類の矛盾を発見したり、各恒星の位置をより正確に割り出し恒星目録に収録したり、各地に観測協力者を募ったり、最新の観測結果を永久に残る形にとどめ、再版時に必要な訂正を加える、といったことができるようになったのである。p234
【ガリレイ裁判の見直し】
ガリレイ「われわれの凝視の前に常に公開されている宇宙という、この壮大なる書物の中には哲学が書かれている。しかし、この書物を理解するには、まず最初に、そこに書かれている言語を理解し、文字が読めるようにならなければならない。宇宙という書物は数学の言葉で書かれているのである」p254-255
印刷術が知識階級にもたらした新しい余暇についても、もっと言及しなければ片手落ちだろう。学問の世界では、組織的研究習慣と切り離せないものとして、長々とした数表を手で作成するといった骨折り仕事からの時間的解放があった。講義室でも暗記や機械的復唱に頼る必要が減り、知性を別の方面に発揮できるようになった。印刷術のおかげで自然哲学者は、より多くの時間を難問解決についやし、独創的実験や斬新な器械の考案、あるいはお望みしだいでは蝶を追いかけ虫を集めることにさえ使えるようになったのである。
また、ディレッタント(好事家)とかアマチュア(愛好家)といみじくも呼ばれたしろうとの間で、新たにパズルを解く手法が急速に発達したことを考えると、快楽原則も度外視するわけにはいかない。いわゆる「ホモ・ルーデンス(遊戯人)」も「ホモ・ファーベル(工作人)」も、印刷術の出現を境に、知的エネルギーを新たな方面に向けられるようになったが、それはチェスやバードウォッチングに興じる現代人からも想像がつこう。近代初期の科学は、信仰心や営利的動機のほかに、遊び心や「やじ馬的」好奇心にも、ある程度支えられていたのである。p259-260
《8. 結論―聖書と自然の変容》
印刷術のもたらした変化は、他の種々の「外面的な」できごと以上に、知的活動や学問的な職業に直接の影響を与えた。旧来の師弟関係も変わった。専門技術の教科書は物言わぬ教師であり、これを利用する学生には、伝統的な権威に従わず、革新的風潮を受け入れる傾向が見られた。最新版の教科書、特に数学の教科書を与えられた若い頭脳は、自分の先輩のみならず古代人の知識もしのぐようになった。印刷術の影響は測定の方法、観察の記録、あらゆる種類のデータ収集に及び、さらに教師や説教者、内科医や外科医、算術師や職人技術者といった人たちの生き方そのものもその影響をこうむっっている。p282
印刷術を、複雑な因果関係を構成している数ある要素の一つにすぎないと考えることはできない。コミュニケーションの変容が因果関係そのものの性格を変えてしまったからである。印刷術が歴史的に特に重要なのは、印刷術によって、当時の一般的な継続と変化のパターンが根本的に変わってしまったためである。
コミュニケーションの変容によって、ヨーロッパのキリスト教徒の、聖書や自然界に対する見方が変わった。神の言葉は多様性を帯び、神の業は一様不変となった。印刷機は字義にこだわる根本主義と近代科学双方の基礎を築いた。それは、依然として人文主義の学問には欠かせないものであり、今なお、われわれの壁なき博物館を支えている。p297