生きられる時間〈2〉現象学的・精神病理学的研究

  • みすず書房
3.50
  • (0)
  • (2)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 40
感想 : 3
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (321ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622022275

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ミンコフスキーの本書(1933年)は前半(邦訳第1巻)が哲学書で、後半(同第2巻)が精神医学の専門書である。
    フッサール流「現象学」の流れを汲む「哲学的精神医学者」が20世紀には多数登場し、脳神経科学の急速な発展とともに勢いを弱めていった。
    本書前半の哲学は、フッサール現象学と言うより、ベルクソン哲学の影響が明らかに濃密である。「エラン・ヴィタール」や「持続」といった観念を用い、ミンコフスキーは時間論を繰り広げているのだが、元のベルクソンの思想に多少修正を加えているとはいえ、亜流の感は否めず、文章はときおり文学調になったり、随所に論理上のアラがあったりと、青臭く、素人くさいといわざるを得ない。
    この書物が本領を発揮するのは、やはり第2巻である。
    急激に論調が変わり、精神医学の(当時の)学説がさまざまに検討され、たくさんの症例が記される。
    なるほど、メランコリー性鬱病の病態に「未来」が存在せず、「内在する時間は著しく進行を緩め、停止しさえするように見える」(P150)という「内在する時間と通過する時間の不一致」という把握の仕方は、なるほどそのとおりだろうと思われる。
    一方、躁病は「ひたすら今に於いてのみ生きており、周囲との接触も今にのみ限られる」。
    統合失調症の自閉的傾向(本書では「自閉症」は症状のひとつとして用いられており、こんにちの精神疾患の分類語としての自閉症とは異なる)に関しては、「現実との生命的接触の喪失」(P124)と語られる。
    このように、第2巻でもベルクソン流の考え方が生かされているものの、「ときどき」という感じであり、オーソドックスな精神医学論述のパターンを徹底的に解体しているわけではない。
    本書自体の「精神医学」はむろん古いものであり、疾病の分類法なども、現在のそれとはかなりちがっているようだ。
    ミンコフスキーの思考は<意識>を主役として割り当てている点、西洋近代思想の域を出ず、フッサールらが犯したのとおなじ過ちを犯していると思う。
    その後、精神医学は脳科学、生化学の急速な展開によって相当に様子が変わってしまった。
    現在の「精神科」はバイブルとしての「DSM」にあまりにも支配されすぎており、安易な薬物への依存が見られる。この時代、医者はただただ、薬を処方するだけのマシーンとなってしまった。
    しかし抗うつ薬にしても、それは症状をおおむね緩和するから「効き目がある」と言われているだけで、根本的な「治療」は果たせていない。
    現代の科学が、かつての<医学的思考>を葬り去り、明快な脳科学理論によって精神病も解決された、と、最近の素人は考えたがるものだが、脳も決して解明されたとは言えない。まだまだわからない部分は沢山あるのだ。
    このマニュアル/薬物至上主義となった現在、ミンコフスキーのような「思考する精神科医」の努力はどうなってしまったのだろうか?
    ベルクソンを援用した精神病理学じたいに限界はあると思うが、現在の脳科学と結合しながらも、なおかつ、その局所性を補うためのさらなる<思考>を営んでゆく決意は、精神医学者らにあるのだろうか?

  • さまざまな患者の様態をまずはよく観察し、行動の次元と、感情の次元で症例を分けることに加えて、根底に時間・空間との関わり方を見いだす。

    症状の個別性を損なわないようにしつつ、時間・空間との関わり方を分析しその変調として感情や行動を分析する。他方、第一部では時間・空間への現象学的分析から逆に健全な人間の現象学的分析を導き出している。

    みたいな感じかなあ。

    観察の細やかさにはパスカルやら、モラリストの系譜を感じます。フランス哲学っぽい。
    詳しくはブログにメモった。

全3件中 1 - 3件を表示

E.ミンコフスキーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×