わたしの非暴力〈2〉 (みすずライブラリー)

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622050186

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  • 「わたしの非暴力」の後半。1941〜1948年の主要な記事、演説、発言など。

    時代は、第2次世界大戦に日米が参戦、日本軍のインドへの接近、終戦、インドの独立など激動のとき。かつてない大規模な暴力の連鎖のなかで、ガンジーの非暴力に対して、さまざまな形でチャレンジが生じる。

    が、そうしたなかでも、ガンジーの非暴力への姿勢はゆらがない。

    戦後、ついにインド独立を勝ちとろうとしたところで、なんとインドは宗教的な対立、暴力の連鎖が生じてしまう。ずっと、ヒンズーとイスラムの共生によるインドの独立を願っていたのだが、インドとパキスタンの分離独立となってしまう。で、それぞれの国におけるマイノリティに対する暴力とそれへの報復みたいなことが生じる。

    ガンディーは、自分の生涯の夢がかなうその瞬間に、大きく裏切られてしまうわけである。

    ガンディーは、自分の非暴力は弱者の無抵抗ではなく、強者の精神の力と言い続けたのだが、結局のところ、弱者の非暴力でしかなかったということに愕然とする。イギリスが国から出て行くと、インドのなかで暴力が支配し始めるし、軍備の強化がはじまる。

    インドの政治家は、非暴力は、対イギリスの闘争の方法論であって、国際関係とか、通常の内政では、通常の秩序維持方法を考えていたというわけ。

    これに対して、ガンディーの暴力は、精神的なもので、そこに例外はない。

    という深い失望があっただろうなかで、どこで隠居して静かに瞑想の日々を送ってもよさそうなものだが、ガンディーの最後の1年くらいは、紛争のまちを歩き、暴動を一つ一つ納めて行く。

    そして、最後には、ヒンズーの過激派(イスラム過激派ではない)によって、暗殺されてしまう。

    ガンディーの言葉とされる"be the change you want to see in the world"の意味があらためて明らかになりますね。つまり、暴力が支配する世界において、すでに非暴力の世界が実現しているかのように行動しつづけるという、そういう意味だったんですね。

    ガンディー関係の本のなかでは、最初に読むものではないかもしれないけど、本当に必読書だと思います。

  • 1巻2巻2冊とも既読。

  • [ 内容 ]
    冷戦構造が崩壊した後、世界の各地で紛争が絶えない。
    民族主義と原理主義的宗教は、独立を求め、銃をとり、流血が止むことがない。
    かつてのインドもそうだった。
    その地にあって「マハトマ=偉大な魂」は、あくまでも非暴力を訴えて、祖国に独立をもたらした。
    あまりの理想主義と言われながらも、その粘り強い言葉は、インドの一草から全世界に及んだ。
    「ガンディー―このような人物が、かつて地上に存在したと、およそ未来の世代には信じられぬであろう」(アインシュタイン)1941年から、死の前日の1948年までの言葉を収める。
    全2巻。

    [ 目次 ]
    アドルフ・ヒトラーに
    悲しむべき事件
    婦女暴行について
    平和主義者の危機
    焦土作戦
    もしほんとうに非人道的であるなら
    非暴力の抵抗
    すべての日本人に
    非暴力の実践としての断食
    「クイット・インディア」決議〔ほか〕

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著者プロフィール

1869-1948。モーハンダス・カラムチャンド・ガンディーはインド西海岸の小藩王国の宰相の家に生れる。19歳でイギリスに留学、3年後弁護士の資格をえて帰国・開業したが、生来の内気のために成功しなかった。1893年に商社の顧問弁護士として南アフリカに渡ったが、上陸後まもなく白人の言語道断の人種差別を体験、これが決定的な人生の転機となった。
1915年にインドに帰り、南アフリカでの貴重な体験を生かして、農民争議やエ場ストライキを有利に指導して注目された。1919年にインドにおける最初の大衆非協力運動を開始した。1922年に民衆の不祥事件を理由にこの運動を中止、自らも投獄されたが、彼にあってはあくまでも手段(非暴力)が目的に先行しなければならなかった。1930年にガンディーの「塩の行進」をのろしとして、インドは国をあげて第二次非協力運動に突入、1942年には、「インド撤退要求」を合言葉に激しい対英抗争を展開した。けれども念願した「一つのインド」は実現せず、1947年インドとパキスタンは分離独立した。1948年、狂信的なヒンドゥー教徒の凶弾によって生涯の幕をとじた。

「2021年 『わたしの非暴力【新装合本】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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