囚人のジレンマ

  • みすず書房
3.87
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  • Amazon.co.jp ・本 (425ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622072966

作品紹介・あらすじ

戦争は、終わらない。父エディの謎を追って、ホブソン一家は最大のパラドクスに直面する-『舞踏会へ向かう三人の農夫』の作家が贈る、感動の第二長編。

感想・レビュー・書評

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  • 読みながらずっと、私にとってよい小説とはどんなものかと考えていた。

    *立場の異なる登場人物たちそれぞれについて、これはある時ある場所での自分なのだと思わせてくれること。(同じ作者の『エコーメイカー』もそうだった)
    *で、あなたならどうする?と絶えず問われる&試されること。
    *登場人物たちが普通の生活を生きて、普通にいろいろ考えたりしているだけなのに、なぜだかいつまでもこの世界に浸り、読んでいたいと思えること。(最近ではゼイディー・スミスの『美について』がそんな感じだった)
    *本筋と一見関係のない細部に忘れがたい描写があること。(本書の場合、『11』(P221~)のエディ・ジュニアとサラの場面の特筆すべき美しさ。エディみたいな男の子にとってサラは理想の女の子だろうし、サラみたいな女の子にとってエディはたまらなくまぶしいだろう。その交歓のひとこまをみごとに切り取っていた)
    *すべてを説明せず、いかようにも解釈できる余地があること。(一読しただけでは理解できない箇所が多々あった。「フェアリー・ダスト」の意味もそうだし、最後、どうして一瞬だけ兄弟増えた???)

    つまり、私はこういう小説が読みたいんだよ、とうなずきながら読んだということ。

    ただ、今の私にはここで語られる「個人の力」みたいなものにあまり希望はもてなくて、ちょっと語りがナイーブすぎるように思えてしまった。これを書いたとき、まだパワーズ30歳とかだもんね。そういう意味では、もう波にのまれるしかない諦念の中からそれでも立ち上がる、とりあえず前に進むしかない、なけなしの希望が描かれた(と私は解釈する)『われらが歌うとき』や『エコーメイカー』のほうが骨太な安心感、圧倒的な感動を味わえた。
    あと、B29の学校ってのが出てきた時点でオチがなんとなく予想できてしまったため、怒涛のラストも答え合わせ的に読んでしまったせいもあるかな。
    ああ、でも、時間が許せば、もう一回最初から読み直して、答えのない壮大な答え合わせをしてみたい気がしてならないのです。

  • なぜ我々人間は間違った道を歩んできてしまったのか。それがリチャードパワーズの小説に掲げられるテーマである。「囚人のジレンマ」は、自分の意見を言わずになんでも質問と格言で返事をし話をはぐらかすお父さんと家族の話である。だから子供たちも何でも他人事のように捉え、現実を遠い抽象として捉える。そのスタンスでの会話はかなりイラつく。ある日、父親は発作を起こして倒れる。しかし本人は病院に行かない。家族の誰もなかなか父親に病院に行くように言えない。そこに、息子の視点で語られる若かりし頃の父親の話と、第二次世界大戦下のディズニーの話が加わって語られる。囚人のジレンマとは、共犯として捕まった2人の容疑者を別の部屋に収監し、2人とも白状しなければ釈放するが、相手がやったことをお前だけが白状すれば一年で牢屋から出られる。2人とも白状したら三年、相手だけが白状したらお前は20年の刑だ、と言われる。その時どうするか?というジレンマのゲームだ。互いが互いを信頼し何も言わないのがお互いにとってベストなのだが多くの場合、人は目先の
    利益に惑わされて結局損をする。相手がやりそうだから先手を打つという発想が世界中に蔓延り、我々は傷つけ合い皆んなで損をする。このお父さんの生き方が良いということではない。全てを他人事と捉えて自分の目先の利益だけを考えて損をするような愚かさへの警告である。戦争が終わっても、戦争は終わらない。
    そして「唯一の出口は〈きみ対彼〉の中に閉じ込められた〈われわれとわれわれ〉を解き放つこと」。当事者意識と信頼こそ最大の幸福の根源であることをパワーズは言う。

  • 読んでいる間中ガンガン心に響いて堪らなかった。世界に対して個人の力は何をなしうるのか?常々考え続けてきた。恐らく大きな歴史を前に私は無力であろうけれど、考えることを止めてはいけない、と自分に掟を課してきた。だからこの小説でのパワーズからのメッセージを自分へのエールと受け取ってしまおう。前半は囚人のジレンマに関する心理的な概要を風変りな一家の家長である父エディの饒舌に乗せて語り、後半になると物語が大きく膨らみ歴史に飲まれ思いも寄らぬ場所に着地する。私は茫然自失とパワーズの示した愛にひれ伏すしかなかった。

    父エディが幾つもの格言を操るように、この小説の中から私は全く別の、今までの読書から得た文人達の声が重なってきた。例えば武田泰淳の「僕が生きているかぎり、僕はきっとある種の殺人犯の片割れにちがいないような気がする」だったり、日野啓三の「不屈の生存意志を磨け。短期的に希望を持つな、長期的に絶望するな。」だったり、庄司薫の「知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだ」だったり。曲りなりに自分が他人の受け売り的にも培ってきた知識が走馬灯のようにめくるめく。

    現時点での私の個人史の集大成のような、良くも悪くも自分にすり寄せる読書体験となってしまった。そのぶん消耗もしたが、圧倒的に感動をもたらしてくれた。

  • このじわじわくるものってなんだろう。リチャード・パワーズ、決して読みやすい小説じゃないのに読んでしまうのはなんだろう。私が作家になれるなら、こんな本を書いてみたい。日本じゃ食えないだろうけど(笑)

  • 話す言葉のほとんどすべてが警句や格言、駄洒落や皮肉に満ちて謎めき、本意を汲み取るのは容易でない。
    そんな人がふらりと立ち寄った占いの館の占い師ではなく、家に鎮座する自分の父親、または夫であったらさぞ手強いだろう。ホブソン家の家長・エディはまさにそういった人物だ。職も住所も転々とし、突然昏倒するという病を抱えているが、病院には頑として行かない。頭の中では架空の街「ホブズタウン」を作り上げ、その年代記を口述筆記するのに夢中だ。
    ある晩エディは、ゲーム理論の有名な命題「囚人のジレンマ」を話題にする。裏切りと協調、二つの選択肢が与えられた二者間で、片方が裏切れば片方は破滅、互いに裏切れば互いの小さな痛手、互いに協調すれば互いの大きな痛手となることがわかっているとき、どの道を選ぶのが最良かという問題だ。子どもたちに最良策を提起させてはその問題点を指摘するエディ。しかし彼自身も実はある連綿としたジレンマに陥っているのだった。
    大人の姿をした知的な問題児・エディと、彼に翻弄されつつ彼を慕う家族の姿が微笑ましい。ただ、彼らの交わす会話は機知に富みすぎていて、ページの横に付された膨大な注釈のお蔭でようやく楽しめた。英語とアメリカ文化史に造詣が深ければ、より深く本書の魅力を堪能できるだろう。
    エディの脳内世界「ホブズタウン」は虚構世界と呼ぶにはあまりに現実的に構築されている。第二次大戦中のアメリカを基盤としたその空間にはウォルト・ディズニーまでもが存在する。
    「信頼にしたがって歩むかぎり、ゲームをつづける価値がある」「きみが信じれば、みんなも信じるのさ」というディズニーの言葉は、「囚人のジレンマ」のひとつの理想主義的解答だが、果たしてそれはエディのジレンマの解決策につながるのか……。
    「ホブズタウン」の詳細な記述、エディと彼の家族のやりとり、家族ひとりひとりのモノローグ。交互に綴られるそれらの物語は、エディの突然の失踪を起爆剤に、融合してひとつになっていく。歴史と個人、家族と個人、現実と空想もまた、分かちがたく結ばれた姿で浮き彫りになる。
    エディの病の正体、彼が逃亡しつつ戻ろうとしていた場所に思いを馳せながらページを繰ると、最後にはいかにもこの小説らしい展開が待っていてくれる。

  • 178p
    「世界がすでに失われていると仮定してごらん」。どうやってだか父さんは、すべてを捨て去ることこそ守りたいものを救いうる唯一の可能性だと理解したのだ。

    「もしもきみが安物のバケツで波を汲み出してやれば、きみと月とで多くを為すことができる」

  • 再読すると2度目ならではの愉しみが待っていそうな気にさせられるも、再読するには一寸気持ちが続かない。そんな印象。
    なぞなぞを出し続ける病身の父、という奇怪な設定が成功しているのか、やや疑問。

  • 「囚人のジレンマ」というのはゲーム理論の概念のひとつで、プレイヤー同士が協調したほうが良い結果を得られることがわかっていてもそこに信頼関係がないため自己の利益を優先して裏切りあってしまうという心理のこと。作品内でもこれについて家族がディベートする場面がある。

    回復と悪化をくり返し、一定の振れ幅を保って子供たち+妻を翻弄する父の病。
    病床の自分に向けられた遠慮を逆手に取って家族の上に君臨する父。
    父は常に子供たちにゲーム的な議論をふっかけ、子供たちは「そんなことより病院行きなよ」というキモチを胸に抱えながらも議題を真面目に考え、あるいは降参して投げ出す。たとえ重荷だったとしても。

    みなが呆れつつ嘆きつつ父から離れないのは、そこに愛情と思いやりがあるから?無理やり病院に連れ込んで、父を一家の主から脆弱な病人に転落させてしまうことへの恐れがあるから?

    というようなちょっと歪んだ家族愛と、厭世的で医者を嫌悪している父の過去が二重構成で書かれているのですが文章が冗長過ぎて読むのがつらい。

  • 原因不明の奇病を持つ父、4人の子供と母。父の謎を追求する物語が現在、過去、そして家族それぞれのエビソードが並行して解き明かされていく。壮大な物語を支える膨大な引用と比喩に圧倒される。父の人生から浮かぶ歴史に感動する。

  • 修行かと思うくらいつらかった。つまらない本は中断するので、つまらなくのはないのだがなんともぐったりする。
    自分の読み方が悪いのかと思いきや、柴田さんの後書きを読むとそんなに外れた読み方はしていない。
    多分、合わないのだと思う。いいと思っても合わない芸術はある。


    保坂和志氏の引用
    「夫婦は維持するのに神経を使い、離れるとなったらまたそれで大変な労力を使う。夫婦は私にはつねに本質的な危機が孕まれているようで、そんな関係を小説に持ち込んだら疲れてしょうがない」

    私の場合、この「夫婦」が「家族」であったということに近い。
    パワーズが苦手なわけではない、幸福の遺伝子は面白かったしこの囚人のジレンマの家族以外の話しの部分は好きであった。
    小説において、私が苦手とするのは「政治」「宗教」「家族」ということが分かった。

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著者プロフィール

1957年アメリカ合衆国イリノイ州エヴァンストンに生まれる。11歳から16歳までバンコクに住み、のちアメリカに戻ってイリノイ大学で物理学を学ぶが、やがて文転し、同大で修士号を取得。80年代末から90年代初頭オランダに住み、現在はイリノイ州在住。2006年発表のThe Echo Maker(『エコー・メイカー』黒原敏行訳、新潮社)で全米図書賞受賞、2018年発表のThe Overstory(『オーバーストーリー』木原善彦訳、新潮社)でピューリッツァー賞受賞。ほかの著書に、Three Farmers on Their Way to a Dance(1985、『舞踏会へ向かう三人の農夫』柴田元幸訳、みすず書房;河出文庫)、Prisoner’s Dilemma(1988、『囚人のジレンマ』柴田元幸・前山佳朱彦訳、みすず書房)、Operation Wandering Soul(1993)、Galatea 2.2(1995、『ガラテイア2.2』若島正訳、みすず書房)、Orfeo(2014、『オルフェオ』木原善彦訳、新潮社)、Bewilderment(2021)。

「2022年 『黄金虫変奏曲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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