人間をみつめて (神谷美恵子コレクション)

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  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (361ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622081821

感想・レビュー・書評

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  • 前著の『生きがいについて』では客観的であることを第一の念願としていたため、単なる分析や整理に終わったきらいがあるらしい。

    「著者自身がどう考えているのか、それが分からないのでものたりない」と、時々言われていたそうだ。

    そのため、本書ではなるべく自分の考え方と、そう考えるようになったわけを明らかにしようとつとめている。

    “死に直面しても、死は苦しみにみちた人生から大きな世界への解放として展望することができる”

    という一節からは、カミュの『異邦人』をイメージさせられた。

    “人は生きがいを「何かすること」に求めて探しまわる。しかし何かをする以前に、まず人間としての生を感謝とよろこびのうちに謙虚にうけとめる「存在のしかた」、つまり「ありかた」がたいせつに思える。それは何も力んで、修養して自分のものにする性質のものではなく、「愛の自覚」から自然に流れ出るものであると思う。”

    という一節からは、岸見一郎氏の『嫌われる勇気』に書かれているアドラー心理学を思わされた。

    本書の中にはマルクス・アウレーリウスの『自省録』に影響されたであろう神谷氏の考え方も色濃く描かれていた。

    前半は人間について書かれていた。

    続いて後半は、著者が長島愛生園のハンセン病患者と関わることになった経緯や、その島での患者の様子などが書かれている。

    ハンセン病に加え精神疾患を患った患者に対して、何もなす術がない現状を変えようと動かれている姿には感動を覚えた。

    特に著者が当時の見学日記に記した「らいの人に」という詩が感動する。

    何度も頭の中で繰り返される言葉。

    「なぜ私たちでなくてあなたが?」
    「あなたは代わってくださったのだ」

    神谷氏の人柄がここに集約されている。

    不覚にも涙してしまうほどに。

    そして、この年代を生きる女性が、神谷氏のような生き方を選択して生きていくということは、並ならぬ覚悟と強い意志、それと周囲の方の理解や支えがあってのことだと思う。

    また、神谷氏の書く文章の美しさや表現力は素晴らしく、私もこのような文章が書けたらなと思う。

  • 時間はかかったが、ようやく読了することができた。
    戦前からハンセン病に心を痛め、全くブレずに一生を終えたことには心を動かされた。しかも大変だったに違いない人生をさも軽やかに描かれたことに、筆者の大きさ、心の広さに感じ入った。
    皆さんが感じられているように以下の言葉に、月並ながら感動した。

    なぜ私たちでなくてあなたが?
    あなたは代って下さったのだ

    私の苦しみなんて小さい、小さい。
    残りの半生、1日1秒を大切に生きていきたい。
    順序が逆になったかも知れないが、「生きがいについて」も読みたい。

  • 神谷美恵子 「 人間を見つめて 」 生きがい論を 深化させた本。

    著者の精神医学や臨床経験を基礎として、自然哲学的な境地に到達している。

    「生きがい=人間の存在価値」に対するアンチテーゼにも読める。生きがいを探し回る前に 人間の在り方が大事〜黙想と自己との対話を欠かさず、自分へ問い続ける

    著者が到達した境地は 宇宙への畏敬の念〜宇宙の愛を 自分にひきつけ 未来の叫び声に耳を澄ますこと。宇宙=人間を超えた精神?宗教的な胡散臭さはない

    宇宙への畏敬の念
    *束の間の生命に伴う許しと恩恵を喜ぶ
    *宇宙の中で、私たちは 意識ある生命を与えられた
    *広大な世界を 小さな心で思い浮かべることこそ 人間の特権

    生きがいを探し回る前に
    *人間としとの生を感謝と喜びのうちに謙虚に受け止める 存在の仕方〜ありかたが大切
    *使命の方が我々を探している〜人生は思いがけないことに満ちている〜何か呼び声が聞こえた時に応じるように

    考える力を養うには
    *現実への密着から脱出を試みる〜実利実益のみを求めない〜これによって対象への隔りができる〜客観性、ゆとりが生まれる
    *黙想と自己との対話を欠かさない〜自分へ問い続ける

    有名になることは醜いこと
    *人間を高めない〜偽りの名声に生きてはならない
    *宇宙の愛を自分にひきつけ 未来の叫び声に耳を澄ます

  •  物の豊かさと心の豊かさ、自発性と主体性、外なる自然と内なる自然、脳とこころ、人格と知性、生きがい!・・・。いろいろなことを考えさせていただきました。神谷美恵子「人間をみつめて」、2004.11発行。

  • 人間は物理的な側面からは捉えきれず、たえず「存在させられている」ものだ。
    人間とは、人間の頭では予測のできない内なる自然と外なる自然から支えられている存在だ。
    自分の使命や行為を善だと思い込んではいけない。自分の人生に意味があるのか?といった類の問は、優れた思想家でも悩む。死の直前にある人も想う。
    人間が使命を見つけるのではなく、使命が人間を見つける。人間は広い宇宙のなかで「なぜか存在しているにすぎない」ことを自覚すれば、死や愛が与えられているものであることに気がつくだろう。そして使命が人間を見つけるだろう。

  • 矢倉紀子先生  おすすめ
    70【教養】498.6-K

  • 4月から読み始めた神谷美恵子コレクションもこれでおしまい。

    思えば、この2ヶ月くらいで、フーコーとマルクス・アウレリウスの著書の訳者で、精神科医というくらいしか知らなかった著者が、なんだか昔から知っている人みたいに、なってしまった。

    この人一体どうなっているんだろう、というスーパー・ウーマン的な活動量はそのエネルギー源はいまだに理解を超えているが、「いやー、神谷さんは、偉ぶってなくて、とても気さくでいい人でしたよ」なんて、知りもしないのに言ってみたくなる感じ。

    さて、「人間を見つめて」だが、これは「生きがいについて」を補完する人間論。前著が、わりとさまざまな思想家の説を踏まえながら考えて行くというスタイルであったのに対し、こちらもう少し直接的に著者自身の人生観、死生観が伝わってきて、さりげない言葉のなかに、思わずどきっとするものが文章がたくさん紛れ込んでいる。

    そして、後半は、らい病に関連する文章が、まとまっていて、前半の深い言葉が、実践の中から生まれてきたものである事が実感できる。

    神谷美恵子という人は、謙虚な人で、普通の意味でまとまった自伝を書いていない。が、とぎれとぎれに自分のことについて、いろいろな文章に書いていて、このコレクションを一通りよんで、その人生のおおまかなアウトラインが浮かんでくる感じだ。

    本当に不思議な人だなー。

  • 神谷さんの文章を読むと、「自分は自分の使命に生きれば良いのだ」と肯定される。

    正解よりも、充実感。自分の実感を大事に生きる。

    誰が偉いとか、誰がすごいとか、そういうのはない。そういうのを自分の行動規範におかない。それよりも自分の「いのち」が生きいきとすることをする。それ以外にはない。

    自分が充実感を持てていればよい。そこからしか、人に何かをするなんてことは出来ない。

    「正しさ」なんてのはない。誰も持っていない。自分の中にしかない。自分が実感する以外に、自分が実感でそれを掴まない限り、それはない。

    そしてあれだけの人であれ、そこに至るまでには人間的な弱さであったり、偶然であったり、人にかける迷惑への申し訳なさであったりが、潜在していたということに、すごく励まされる。

    ーーーーーーーーー

    粘菌はスクレロチームという固い殻をかぶったつぶつぶになったり、場合によっては胞子になって発育をすっかり止めてしまう

    古い脳には動物性が、新しい脳には精神性が宿っている

    幼時や精薄の人は、こうした悩みとはまったく無縁で、素直に嬉々として生を楽しむ

    私は何かから逃避するために忙しさの中で自分を忘れて、安心らしきものを得ている

    人間の多くの活動は、人間がおかれている死刑囚にも似た境涯から気をそらすものだ

    彼が愛すべき人格を持つ存在であることはうたがえない。精薄者の中には、知能が連ちゃんより高くても、気難しくて他人との折り合いがうまく行かない人ももちろんある。

    人格というとき、情緒面と意欲面

    連ちゃんの情緒面について考えた時、時々何かを不満でふくれることはあるにせよ、だいたいにおいて彼の顔は明るく、ひとりでいてもほほえみをたたえていることが多い。親しい人をみかけると、自分のほうからあいさつの、、、

    彼の行動が実際にたいして人助けになっているとはいえないのだが、彼の存在そのものが、みんなの心に大きな寄与をしている

    人間は、どれほど具体的に役立つかによって価値がきまるものではない。何よりもその存在のしかた、その中でもとくに情緒面のありかたが、人格の存在意義を決定する

    どんなに有能でもけわしい顔つきをした人の存在は、自他ともに生命を委縮させてしまう

    知性とは、人間が何か新しい課題の前に立たされたとき、これをもっとも能率よく解決する方法をみつける能力

    本質的自己の割合の多い人ほど慣習にとらわれず、他人の眼は気にせず、いきいきしている

    自由とは統計に反して行動しうる力

    病気のために妨げられていたので、やっとその道にむかうことができるよろこびが、ひとしおであった

    時には周囲との摩擦や危険をも覚悟しなくてはならない。それを恐れる心が、ほんとうに自分の歩みたい道をえらぶのをさまたげる

    反抗期がつよくあらわれるような子供は、あとでしっかり者になる

    「こんな自分ではだめだ」という気持ちがつよくなったり、一挙に理想的な事故になれないことにいらだち、自己との『抗争』がおこり、うっかりすると、強迫神経症になったりする。それになる青年には理想家が多い

    長い時間と内省の苦しみを経て、やと自己のありのままの姿と対面するに至ったらしい、自己英雄視力¥の思い上がり。

    反抗のエネルギーが大きかっただけいに、それがひとたび正しい軌道に乗れば、かえって大成し、社会にも大きく貢献しうる

    大いなるよろこびは研究そのものにあるのです。結果にではありません。

    あらゆるものを犠牲にして、膨大な女性誌を執筆することへの燃えるような使命感

    使命感を持つ人は気を散らさず、こつこつと根気よく歩いて行く。

    「そうせずにはいられないからやる」という「やむにやまれぬ」という必然性、すなわつ自然さをそなえている

    使命感ーそれをいだく人の性格や本性そのものからの発露である。どのような立派な使命感でも、他人からの借り物ではんぴったりせず、無理があり、長続きしない。人間はただ背のびしていては、苦しくなるばかりである

    自分の眼に自分が理想的であろうとしたりすることが、ノイローゼのもとになる

    他人が自分をけなしても、それで自分の価値が下がるわけでもなく、褒めても自分の価値があがるわけでもない。

    自力による修養や瞑想によってもどうしようもない自己というものが、人間の奥底にはひそんでいる

    「存在させられたもの」にすぎない。究極的には「存在させたもの」の前に、草木のように素直に存在するしかない

    小我とは自ら意識する自我で、結局は自我の一部。

    大我とは、万物を「存在させたもの」の手に小我をゆだねるとき、初めて自己の全体像として、真実の「本来的自己」としてあらわれる

    「主体的選択」にせまられるとき、「小我」ではなく、大我的な見地から

    すでにこの点において、人類は原罪を免れない存在である

    ここ十年と少しのあいだ、長島愛生園で精神科医療にほそぼそと関係してきたが、これも自分の意志よりも大きなめぐりあわせで与えられたしごとであり、多くの人やことによって助けられて初めて実現しえたことであった

    「社会のためにつくす」といったって、自分の心ひとつをもてあつかいかねている者に、どんな道があるというのだろう

    人それぞれに運命のようなものがあるのであろう。医学へ行く事への反対は、その後もにじつに多くの人から、いろいろな時期に、いろいろな理由をあげて受けている。

    地上の一切のことは大いなる摂理にまかせておけばよい

    どうしてかなわないときめちゃうの、人間、自分がぜひやるべきだ、と思うことはやるべきよ

    人生とはふしぎなものだ。自分の弱い意志一つではどうにもならないようなことをを、ことのはずみや成行が成就してくれることもある

    子供は生まれる死、精神医学の勉強はかろうじて続けたとしても、私の満はらいとは遠くなる一方のようにみえた。

    島へ来たもの久手期は調査であったのだから、目的を果たしたら、それでまた島とは縁が切れるはずであった。ところが、そうはならなかったのだから、どうしてもここに仏教的な縁ということばを使いたくなる

    いったい家の者に迷惑をかけずにできるものであろうか。島から家族に持ってかえれるみやげは、ただ疲労というかたちでの迷惑だけであるとしか考えられなかった。それにもかかわらず、主人に相談すると即座意に賛成してくれ、いつも「島行き」に協力してくれてきた。いまだにありがたく、ふしぎいに思われる。また、この長い年月の間、時々行方不明になる母親を我慢してくれた子どもたいと、留守をしっかりあずかってくれた人への感謝

    彼のにこにこした顔をみて思った。要するに金や報酬や名誉の問題ではないのだ。自分のいのちを灌ぎ出して、何かをつくりあげること。自分よりも永続するものと自分とを交換すること。

    時には宗教がノイローゼの原因になる

    芸術や学問の世界は、もともと習俗や権威への反抗と懐疑という一面をもつ。そうでなければ進歩も創造もありえないであろう

  • 事例モデル : 神谷美恵子
    493.7-カミ-2 100123405

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著者プロフィール

1914-1979。岡山に生まれる。1935年津田英学塾卒業。1938年渡米、1940年からコロンビア大学医学進学課程で学ぶ。1941年東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)入学。1943年夏、長島愛生園で診療実習等を行う。1944年東京女子医専卒業。東京大学精神科医局入局。1952年大阪大学医学部神経科入局。1957-72年長島愛生園精神科勤務(1965-1967年精神科医長)。1960-64年神戸女学院大学教授。1963-76年津田塾大学教授。医学博士。1979年10月22日没。

「2020年 『ある作家の日記 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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